1スパ 女王と犬
内容が被っているため、短編読んだ方は二章からの閲覧を推奨します。
「ねぇーキモオタ。パン買ってきてよw」
お昼時。のほほんとした平和な雰囲気が満ちる教室に、なんとも無慈悲な言葉が響き渡った。
声の発信源は俺の目の前。
「あの、長津田……俺そういうのやりたくないっていうか」
「長津田?」
「アッ……長津田さん。あのぅ……パシリとか、俺的にはあんまりよくないっていうか」
「パシリ? いや、お願いしてるだけじゃん。勘違いしないでよ」
今は昭和でも平成でもない。令和。令和だ。にもかかわらず、目の前の美少女は俺──相模 蓮也になんとも古風なパシリを要求してくる。
長津田 由奈。同じ高校生であるはずなのに、まるで芸能人のようなオーラを放っている彼女は、カーストのトップに君臨する女王。持ち前のコミュ力と欧州ハーフの美貌は彼女を女王たらしめており、俺たちのようなカースト下位は口答えをすることすら許されない。
しかし。俺も男だ。こんな金髪ギャルにへこへこしているようじゃ心が廃る。
「あのな──」
「早くしてよ」
「は、ハイッ」
鬼のような眼光に射すくめられ、気づけば俺は駆け出していた。背後でゲラゲラと笑い声が聞こえる。
「オタクくんがんばれ~!w」
陽キャ集団のNo2である淵野辺みうが野次を飛ばす。普通に惨めで泣きそうだった。
俺はダッシュで買ってきた献上物を陽キャ集団に差し出すと、そそくさと自分の席に戻った。
「だ、大丈夫!?」
唯一の友人である亮が心配そうに声をかけてきた。が、その目が俺の手にある小銭に移る。
「その小銭は……?」
「おつりだ。お駄賃だって」
「優しいのか厳しいのかわからないね……」
長津田は頻繁に俺をパシるが、余ったおつりはくれることが多い。しかしいくら小銭をくれようが俺をパシリにした事実は消えない。まぁ、他の連中はそもそも金すら払わないこともあるので長津田は相対的にはマシな方だが。
先月ギターを買って金欠の亮は羨ましそうに俺を見てくるが、俺はこいつに言いたいことがあった。
「お前も見てたなら助けてくれよ」
「え、嫌だよ。パシられるの嫌じゃん」
亮はちゃっかりしてる。俺と同じ日陰者のくせに、気配遮断が巧妙でまったく目をつけられないのだ。あと俺が責められてるとこっそり野次飛ばしたりするし。楽器も上手いからコイツのキモオタっぷりを知らない人間からは結構モテたりもする。あれ? こいつ敵じゃね?
「こんな時はま~や様の配信でも見て落ち着こうよ。ほら、昨日のアーカイブ」
「そうだな……」
俺の機嫌が悪いことに気を遣ったのか、亮はスマホを取り出して我らが絶対神の動画を開いた。
猫神ま~や♡。それは我らの絶対神の名前だ。
2年前に突如として現れた個人Vtuber。巧みなワードセンスと狂人じみた行動からカルト的人気を博し、今ではその登録者は200万を超える。その異常な人気っぷりから、Vtuber発展のマスターピースである「バーチャルYouTuber四天王」の後釜ともいえる「バーチャルYouTuber三幻神」の一人として知られている。挨拶は「はろはろにゃ~♡」。
亮が差し出してきたイヤホンの右耳を借り、俺たちは昨晩のアーカイブを視聴し始めた。どうでもいいけどこのイヤホンをシェアするの、なんかカップルみたいで嫌だな。
「やっぱま~や様だよな……」
「うんうん。声を聴いてるだけでアドレナリンが放出されるというか……」
アーカイブを見ながら俺たちキモオタがま~や様談議に花を咲かせていると……
「なにあれキモっ」
ツインテメンヘラ(命名:俺)こと淵野辺がそう言い放った。かなり大きめの声で。多分、俺たちに聞かせるためだろう。
「ねぇ、ユナぴもそう思わん?」
「え?」
「ほら、あのVtuberってやつ。めっちゃキモない?」
「あー……」
不思議なことに、長津田はすぐさま同意しなかった。普段なら「キモすぎるからダイナマイト爆破かなんかしてブルドーザーで片した方が良い」ぐらいは言いそうなものだが、どうにも歯切れが悪い。
「現実じゃなんもできないブスたちが、ネットでオタクたちにチヤホヤされてるんでしょ?」
「まぁ……」
「やる側も見る側も地獄っていうか。みう、ああいうのに時間と金を使う人間理解できんくてさぁー」
淵野辺は罵倒を続ける。
正直反論したい。けれど、そんなことをしても無意味だ。「キモオタ」というレッテルが張られている以上、こちらがどれだけ正論を言ったところで戯言以上の意味は成さないだろうし。
それより、不思議なのが長津田の態度だ。どういうわけか──その視線は所在なさげに動いていて、額には汗が浮かんでいる。どこか苦しそうだ。いつもの女王然とした態度とは正反対のように思える。
「そう思わん? ユナぴ」
「でも……別に誰にも迷惑かけてないし。いんじゃない?」
長津田の言うことはもっともだ。彼らは誰にも迷惑をかけていない。嫌なら見なければいいのだ。全人類がその精神を身に着けるだけで争いごとの8割は減ると思う。
が、淵野辺さんは残り2割の戦争を起こしちゃうタイプの人間らしく、一向に退くことがない。
「いやいや。キモすぎて迷惑なんだが?w」
泣いた。やめてよ。思わず反論しそうになるが、怖いので動かない。絶対に。
同意を求められた長津田は、まるで身を裂かれる痛みに耐えているような表情のまま──
「ははっ……たしかにそうかもね。結局、Vtuberなんてただの絵だし……」
ガタン! 俺は無意識のうちに椅子から立ち上がっていた。
「ハァ……ハァ……絵……?」
「?」
「取り消せよ……!!! … 今の言葉……!!!」
いきなり反抗的な態度をとってきた俺に、淵野辺と長津田が胡乱な目を向ける。
一触即発の空気を感じ取った亮が俺の裾を掴む。
「乗るな蓮也! 戻れ!」
「あいつ、ま~やちゃんをバカにしやがった……」
「蓮也!!」
別に俺のことは馬鹿にしてもいい。パシってもいい。あと亮のことも馬鹿にしていい。
けど……「絵」は。「絵」は禁句だろ!!!
俺はづかづかと2人に近づく。
「なぁ長津田。淵野辺。ちょっと語ってもいいか?」
いきなりハキハキと喋り始めたキモオタに、二人は「なんだコイツ……」みたいな目を向けてくる。
「まぁダメだって言われても語るんだけどな」
「じゃあ聞くなよ……」みたいな目。奇遇なことに俺もそう思ってた。
そんな視線を意識の外に追出す。そうして一言。
「いいか! ま~や様はただの絵じゃない!」
俺は両腕を腰に当て、応援団長さながら語りだす。
「キモすぎてぴえんなんだが……」「え、声デカ……」
「たしかに絵は重要だ。完成度の高いモデルは見てるだけで癒されるからな。でも、それだけじゃダメなんだ。トーク力。トーク力あってのモデルなんだよ。その点、ま~や様は完璧だ。一見アホで話が通じない狂人っぽさを出しながらも、ある時は人間の知性の限界を試すような深淵な発言をする。アホさの裏に見え隠れする知性。そのギャップが俺を狂わせる……!」
「ガチきしょなんだが。ユナぴ、やばないコイツ?」
「……そ、そうだね」
「それに声! そんじゃそこらの声優に劣らぬ、蠱惑的で甘ったるい声……最高! 正直俺の語りじゃ伝えきれない部分もあるから、帰ったら配信見てくれると嬉しい。あ、配信じゃなくてASMRでもいい。DLs○teで買えるから。先週発売された『ま~や♡の甘々耳かき』もおススメだけど、個人的にはデビュー一週間後に気の迷いでアップしたらしい『【耳舐め2時間】飼い猫ま~や♡の耳舐めご奉仕』が最高傑作だな。まぁ、本人にとって黒歴史らしくもう配信されてないんだが。俺は初日に購入して複製したファイルを複数クラウドに分散保存してるから聞かせてやれないこともないけど、それはま~や様の権利を不当に侵害する行為に当たるからやっぱりナシだ。再アップされることを祈ってるんだな」
「オタクくん必死過ぎて草なんだが。ユナぴ……ユナぴ? 顔赤くない?」
「……な、なんで知ってるのコイツ!? 投稿から一時間で消したはずなのに……!!」
「まぁ、声とかトークとか、そこもすごいけど。ま~や様の一番の魅力はそこじゃない。心。心だよ。ま~や様は心が綺麗なんだ。デビューから一度も配信時間が遅れたことがないし、スパチャ読みも誰一人漏らさない。Twitterでもリプライには全レスしてるし……天使っていうのかな。殺伐とした資本主義社会に君臨した一翼の天使。それがま~や様なんだ」
「おーいユナぴ。ガチで赤すぎでしょ。風邪? 保健室行く?」
「だ、大丈夫だから!」
長津田の顔は赤熱化した鋼のように赤くなっていた。あれか? インフルか? ちゃんとワクチン打っとけよ。これだから陽キャは……。
「ね、ねぇキモオタ。もうわかったから。いい加減黙って──」
「は? まだ半分も語ってないんだけど」
「はっ、半分!?」
「とにかくだな。俺が言いたいのは────ま~や様愛してる!!! 心の底から!!!」
「いっ──いい加減にしてっ!」
「きょえっ」
長津田は俺の襟を掴むと、腕をクロスして思いっきり締め上げてきた。思わず翼竜みたいな鳴き声を上げてしまった。
「ほんとに──ほんっとにキモい!! こんな公衆の面前で愛を叫ぶなし!! バチャ豚!! 死ねば!!?」
どたん! げしっ!
解放されて床に転げ落ちた俺を長津田が踏みつける。
普通に考えてイジメじゃね? これ。まぁ俺もイジメ認定されるぐらいキモい演説した自覚あるからなんも言わんけどさ。それより一部の男子連中が羨ましそうにこちらを見ていたのが普通にホラーでした。
「オタクに説教されて耳が汚れた。最悪……」
亮のところまで逃げ帰った俺が制服についた埃を払っていると、長津田は当てつけのようにそう呟いてきた。心なしかその顔は赤い。早く病院行ってくんねぇかな。
「あ、ユナぴ。ランオブ聞く?」
「えっ! 聞く聞く~!」
女王の家臣こと淵野辺が、スマホに差し込んだイヤホンを長津田に差し出す。どうやら好きなアーティストの曲を聞かせて俺の汚言を耳から洗い流そうという魂胆らしい。泣きそう。
「まーたランオブだよ」
きゃいきゃいと騒ぎ立てる陽キャどもを遠巻きに見ながら、俺は呟いた、
Landing Object、通称ランオブ。年齢、性別職業、全て不明。年前に突如としてネット上に現れ、数々のヒット曲を生み出してきたの覆面アーティスト。チャンネル登録者数は1000万を超え、日本だけでなく世界中でフィーチャーされている。お年寄りから子供まで、あらゆる世代に人気のアーティストだ。
つまりは、匿名性とかいう作曲にはなんら影響しない属性に価値を見出してしまう、頭の緩いミーハー向けアーティストとも言い換えられる。
「あんなヤツのどこがいいのかね」
俺はランオブのことを心底嫌っている、いや、憎んでいるので、つい悪口を言ってしまう。
その点、亮は俺と同じ逆張りオタクだから賛同してくれるだろう。やっぱ持つべきものはキモオタの友人だな。腹立たしいことに、亮は顔だけなら超がつくほどの塩顔イケメンなんだが。
同意を求めて亮を見ると、なんだか申し訳なさそうな顔をされた。
「亮?」
「いや……実は、ボクも結構聴くんだよね。ランオブ」
「はぁ? 見損なったわ」
「いやいや! 別に普通でしょ!……ていうか、どうして蓮也はそんなに嫌ってるの? ランオブに肉親でも殺されたってぐらいの反応だけど……」
「……実際、殺されたんだよ」
亮はそれをジョークととらえたらしく、半笑いでこちらを見てきた。
……あながち嘘でもないんだけどな。