甘々王子に困惑中 4
お気に入り登録、評価などありがとうございます!
軽食を取り終わると、オルテンシアとフェリクスは再びバルコニーへ向かった。
去年と違い、フェリクスはよく話しかけてくる。
「昨日読んだ本がとても面白かったんだ。よかったらオルテンシアにも貸してあげるね」
フェリクスが昨日読んだのは小説だそうだ。難しそうな本ばかり本でいそうな彼が小説をたしなむというのが意外だった。
どんな話なのか訊ねてみたところ、今から百年ほど前のモンフォート国が舞台の推理小説だという。実際の歴史も交えてあり、長編小説なので読みごたえがあるという。
「面白そうですね。ぜひ貸してください」
オルテンシアが言うと、フェリクスが嬉しそうに笑う。
「他にも僕の部屋にはいろんな本があるよ。今度見においで。読みたいものがあればどれでも貸してあげる」
記憶を失ったからではなく、フェリクスはもともと読書家だったらしい。
(わたし、本当にフェリクス様のことを何も知らないのね)
前世でゲームをやりこんでいたが、攻略対象の趣味に関してはストーリー上触れられなかった。いや、ゲームでもし触れられていたとしても、ここは現実世界。必ずしも、ゲームのフェリクスと、目の前のフェリクスが同じであるとは限らない。オルテンシアが違うように、彼もまた別人だ。
フェリクスと話をしている間に、パーティーがはじまる時間になったようだ。
フェリクスとともにバルコニーに続く窓から中に視線を向けると、会場の前方、数段高いところに座っていた国王が立ち上がる。国王は挨拶とともに、近く王太子セレスタンの婚約発表があることを告げた。相手の名前は言われなかったが、オルテンシアは父から聞いて知っている。カリエール侯爵令嬢ベアトリーチェだ。セレスタンより三歳年上で、今年十九歳になる。もともと国王が目をつけていた令嬢で、冷静沈着、頭脳明晰なしっかりものである。
カリエール侯爵は現宰相でもあるので、学園で失態を犯したセレスタンを守るための婚約と思えば、これ以上の適任はいないだろう。国王陛下はセレスタンには年上のしっかりものの女性がいいと考えていたが、セレスタンより年上で未婚の女性は、五家ある公爵家の中ではオルテンシアしかいない。オルテンシアはフェリクスの婚約者なので除外されるから、それ以外で考えた場合、ベアトリーチェ以上の令嬢はいないのだ。
国王陛下の挨拶が終わると、ワルツの演奏がはじまった。
数人の男女がダンスホールへ移動するのが見える。
「オルテンシア、踊るかい?」
「え?」
オルテンシアは目をパチパチとしばたたいた。ダンスが苦手なフェリクスが、自分から進んでダンスに誘ってきたことがいまだかつてあるだろうか。
婚約者に誘われて断るわけにもいかない。オルテンシアが差し出されたフェリクスの手を取ると、彼は優雅にダンスの輪に加わった。
これまでのフェリクスのダンスと言えば、ぎこちなく、カクカクした動きで、非常に踊りにくかったのを覚えているが、どういうわけか、今日は過去の彼と比べるとびっくりするくらいにスムーズだ。上手いわけではないのだが、格段に上達している。
記憶喪失でダンスが上達するものだろうか。先ほど、記憶喪失になって、子供のころのフェリクスのようになったと思ったが、彼は子供のころからダンスが下手だった。記憶喪失の影響であるはずがない。
混乱するオルテンシアをよそに、去年まで表情をこわばらせて踊っていたフェリクスが笑顔すら見せた。信じられない。
「フェリクス様、ダンス……」
「うん?」
「い、いえ、なんでもありません」
ダンスが上達したのはなぜか聞いたところで、記憶喪失のフェリクスが答えられるはずもない。
(どうなっているのかしら? 性格が子供に戻って、技能だけ上がったなんて……魔法?)
いや、『木漏れ日のアムネシア』の世界に魔法は存在しない。そんなものが使えるなら、とっとと魔法でフェリクスの治療をしている。
オルテンシアは子供のころから、運動音痴でダンスがへたくそなフェリクスのために、徹底的にダンスを学ばせられた。フェリクスがリードできないならいオルテンシアがさりげなくリードしなくてはいけないからだ。しかし今日のフェリクスは、オルテンシアのリードを必要としていない。やや頼りない部分は残るが、彼はきちんとオルテンシアをリードしていた。
(はあ……本当に、何がどうなっているのかしらね)
不思議だが、フェリクスが楽しそうにダンスをしているので、深く考えるのはやめた。上手くなる分には問題はないだろう。
一曲踊り終えて、壁際に移動する。喉が渇いたので、互いにリンゴジュースを手に取った。フェリクスもオルテンシアも、アルコールはあまり強くないので、酒は最初のウェルカムドリンクだけで充分なのだ。
二人そろって喉を潤していると、王太子セレスタンがこちらへ歩いてくるのが見えた。彼は一人で、ややこわばった表情をしながら、人の間を縫うようにして近づいてくる。
「オルテンシア、ここにいたのか」
セレスタンはオルテンシアを探していたようだ。
フェリクスがほんの僅か眉を寄せ、オルテンシアの手を握った。心なしか、セレスタンを睨んでいるようにも見える。
「王太子殿下、わたくしに御用ですか?」
セレスタンから謝罪されたけれど、心の中のわだかまりが完全に消えたわけではないから、どうしても身構えてしまう。
セレスタンはちらりとフェリクスを見たあと、おずおずと手を差し出した。
「その……一曲踊ってくれ」
「え?」
「……君と、一曲踊るように、父上が」
小さく付け加えられた一言で、なんとなく理解が及んだ。セレスタンは学園でオルテンシアを糾弾した。学園に通っている学生が、それを親に報告しないはずがない。王太子としては、公爵家の一つであるシャロン家とわだかまりを残したままではいられないし、周囲に、公爵家と王太子が不和だと認識されると非常にまずい。だから、公然の場でオルテンシアとダンスをして、二人の間にはもうわだかまりは残っていないのだと知らしめる必要があるのだ。
セレスタンのこわばった表情から、彼がオルテンシアに対して負い目を感じているの間違いない。父の命令とはいえ、オルテンシアをダンスに誘うことにも、後ろめたさがあるのだろう。
フェリクスがオルテンシアの手を握る手に力を込めた。
セレスタンが、オルテンシアの手を放そうとしないフェリクスに困惑顔になる。
「兄上……一曲だけです。一曲だけでいいので、私に婚約者をお貸しください」
「フェリクス様、陛下のご命令ですし……」
なかなか手を離さないフェリクスに声をかけると、オルテンシアを見下ろした彼があからさまに不貞腐れたような顔になった。
「一曲だけだ」
「もちろんです」
フェリクスが手を離すと、セレスタンがホッと息をついて、改めてオルテンシアをダンスに誘う。
セレスタンとダンスホールに向かうと、学園で何があったのか知っているものが多いのだろう、皆が好奇の視線を向けてきた。
セレスタンのリードで踊りはじめると、さすがというべきか、王太子として恥ずかしくないように教育されている彼のダンスは上手かった。
足を踏まれる心配も、彼がステップを間違う心配もしなくていいダンスはとても気が楽だ。
だが、どうしてだろう、あまり楽しくない。
踊りやすいのは間違いないし、フェリクスを相手にしたときよりものびのびと踊れるのに、さきほどのぎこちなさの残るフェリクスとのダンスの方が、何倍も楽しかった。
ダンスを終えて、セレスタンがフェリクスのもとへとオルテンシアを返してくれる。
僅か一曲のダンスの間に、フェリクスの周りには大勢の令嬢が集まっていた。
その様子を目にしたオルテンシアの胃のあたりが急にムカムカしてくる。
けれど、そのムカつきも、彼がオルテンシアに気づいて向けた満面の笑みであっという間に霧散した。
「オルテンシア!」
ムカムカが消えて、ドキリと胸が高鳴る。
今のフェリクスは記憶を失っていて、今の彼はフェリクスだけど本来のフェリクスではないわけで、本来の彼はオルテンシアに興味がないとわかっているのに、顔が熱くなるのが止められない。
オルテンシアが近づくと、フェリクスの周りにいた令嬢たちがクモの子を散らすように離れていく。
エスコートしてくれていたセレスタンから離れ、フェリクスの隣に立つと、彼は指を絡めるようにしてオルテンシアと手をつないだ。
(わたし――)
ドキドキする。
たくさんの令嬢に囲まれていたフェリクスが、オルテンシアを見つけた途端――彼の瞳の中には、自分しか映っていないように感じた。
それがどうしようもなく嬉しくて、どうしようもなく困ってしまう。
(今のフェリクス様は違うのに……)
どうしたらいいのだろう。
――わたし、今のフェリクス様に、ときめいている。