甘々王子に困惑中 3
お気に入り登録、評価などありがとうございます!
秋になると、領地ですごしていた貴族たちが王都に集まるようになる。
それに伴い、王都に邸を抱えている貴族たちの家でパーティーが催されるようになるが、本格的な社交シーズンの到来は、何と言っても、学園の始業式から数えて三週間後に行われる王城でのパーティーからだ。
最低限のパーティーにしか出席したがらないフェリクスも、王城のパーティーには強制参加のため拒否権はない。ゆえに、社交デビューした十五歳の時から毎年出席していた。
(去年の再現ってことは……ど派手縦ロールか……)
記憶を取り戻す前のオルテンシアは、とにかく派手に装うことが好きだった。記憶を取り戻してからは、一昔前の漫画の中に出てくるいつも高笑いしているお嬢様にしか見えず、あまり好きじゃない。
侍女のクロエはオルテンシアが十二歳の時から仕えてくれているので、オルテンシアの髪と言えば縦ロールと認識しており、毎日頼みもしないのにクルクルとコテで巻いていくが、記憶を取り戻してからは、できるだけ緩めに巻いてもらうように頼んでいた。しかし今日は、久しぶりのど派手な髪形にしなくてはならず、気が重い。
クロエに、きつめに髪を巻いて、去年と同じブルーのリボンで飾りと、大きな百合の花を挿してほしいと頼む。百合の時期ではないが、温室で育てられているものがあるので、シャロン公爵家の庭師に頼めば用意してくれるはずだ。
しばらくしていなかった濃いめのメイクを施され、サファイアブルーのプリンセスラインのドレスに身を包む。
まさに完全武装という言葉がふさわしい、頭のてっぺんからつま先まで気合の入った装いで部屋を出ると、たまたま廊下を歩いていた兄がギョッとした。
「オルテンシア……また今日は……うん……」
妹の派手な装いを久しぶりに見た兄が、引きつった笑みで頷いただけで言葉を切った。おそらく、派手、とか、けばけばしい、とかいう言葉が喉元まで出かかって、急いで飲みこんだのだろう。
階下に降りると、母の支度を待っていた父がオルテンシアを見て一瞬動きを止め、それから明らかに作り合笑いとわかる笑みを浮かべた。
「オルテンシア…………今日は一段と……美しいね。だが、なんというか、最近のお前らしくない装いに見えるよ」
父の視線が派手な縦ロールの銀髪に向いている。
「何故だ」という心の声が聞こえてきそうだ。
「…………今日は久しぶりのパーティーですから、気合を入れましたの」
今日どころか、しばらくパーティーの時は派手な装いになることは黙っておく。オルテンシアと家族の心の平穏のためにも、フェリクスには早く記憶を取り戻してほしいものだ。
父は何か言いたそうな顔をしたが結局「そうか」とだけしか言わなかった。女性の装いに男が口を出すものではないという認識の父は、ぐっと我慢したようだ。しかし、父や兄は我慢しても、母は違った。
支度を終えて、品のいいシルバーベージュのドレス姿で階段を下りてきた母は、オルテンシアの姿を見てギョッとした。
「オルテンシア! どうしたの!? せっかく落ち着いてきたと思ったのに、どうしてまた、そんなにけばけばしい格好をしているの!? せっかく可愛い顔に産んだのに台無しじゃないの!」
「…………」
娘に向かって「台無し」はないだろう「台無し」は。そしてオルテンシアの顔の造形は、すべて母の功績だと言わんばかりの言い分に、父が何とも言えない顔をしている。しかし基本ベースがフェミニストの父は、妻に逆らうような愚かなことはしない。
父と同じように「気合を入れた」と言って誤魔化そうとしたが、母は「気合のいれどころが違う!」と怒り出す。
「今からでも間に合うわ! 今から髪を直すのは無理でも、厚化粧を何とかしていらっしゃい!」
きっぱり厚化粧と言われて、オルテンシアはちょっと傷ついた。好きでやっているわけではないのに、はっきり言わなくてもいいじゃないか。
フェリクスの記憶のために厚化粧でいなくてはならないのに、母の剣幕に逆らえず、カクンとうなだれてオルテンシアは自室に戻る。クロエに化粧を直してほしいと頼むと、苦笑が返ってきた。
「久しぶりに見ると、衝撃が強いですからね」
クロエもあんまりだ。
クロエがコットンにメイク落としを含ませて、厚化粧を落としていく。
化粧水で肌を整え直してから、薄付きのナチュラルメイクを施すと、髪型が派手でもまだ見られる顔になった。
「お嬢様は目も大きいですし、顔も小さいですし、シミなど一つもありませんから、濃い化粧をすると逆に悪目立ちするんですよね」
常時完全武装の半年前まではいつもそれなので違和感は少なかったというが、しばらく派手な装いをやめていたから、久しぶりにそれをやると強烈すぎるらしい。
家族の様子を思い出す限り、フェリクスの記憶を取り戻すための去年の再現でも、派手な化粧と髪型は避けざるを得ないだろう。オルテンシア的にはありがたいが、それでフェリクスの記憶は戻るのだろうか。
化粧を直してオルテンシアが階下へ降りると、母が「まあ、それならばいいでしょう」と一応の合格を出した。ただ、次からは髪型ももう少し考えるように釘を刺される。
兄は一足早く婚約者を迎えに行くと言って馬車に乗って出かけて行き、父と母のために別の馬車が準備されたとき、王家の紋章の入った黒塗りの馬車が玄関前に到着した。降りてきたのはオルテンシアを迎えに来たフェリクスだった。オルテンシアはさーっと顔を青くする。
父と母は、記憶喪失によって別人になったフェリクスを知らない。こんなところで歯の浮くような甘いセリフを吐かれては大変だ。
あわあわするオルテンシアの前で、記憶を失った後で城で叩きこまれたのか、フェリクスがこれまでの彼と遜色のない丁寧で真面目な挨拶を両親とかわした。
しかしその視線がオルテンシアに向いた途端、彼はぱあっと満面の笑みを浮かべる。
(う……眩しい……!)
なまじ顔が整っている分、笑顔の破壊力が凄まじい。
もともと使っていた眼鏡はフレームが曲がってしまったが、似たような眼鏡をいくつかストックしていたようで、フェリクスは以前と変わらない銀縁の眼鏡をかけていた。
レンズの奥の切れ長の双眸が優しく細められ、ゆっくりと歩いて来た彼が、オルテンシアの手を握りしめる。
「オルテンシア、今日も美しいね。迎えに来たよ」
フェリクスの口から出た言葉に、馬車に乗り込もうとしていた父と母が勢いよく振り返った。
父が信じられないものを見たように目を見開き、母が両手で口を覆って頬を染める。母の、オルテンシアと同じ青い瞳が、「いつからそんなに仲良くなったの!?」と興味津々に輝いていた。
(……さっそくやらかしたよ)
こっちは必死で、記憶を取り戻した後のフェリクスのために誤魔化そうとしているのに、当の本人があちこちに爆弾を投げては爆発させるのだからどうしようもない。
爛々と輝く母の視線から逃れるように、オルテンシアはフェリクスの手をつかむと強引に引っ張った。
「殿下、行きましょう。早く」
「急がなくてもまだ時間はあるよ?」
「でも、早くしないとお城は混みますから」
これは間違いではない。招待客が多いので、王城前は馬車が大渋滞を起こしている。王子である彼がパーティーのはじまりに間に合わないのは困るので、急ぐに越したことはないのだ。
父と母から逃げるようにして馬車に乗り込むと、当然のようにオルテンシアの隣に座ったフェリクスが、これまた当然のように手をつなぐ。
「オルテンシアは百合がよく似合う。君が、百合のように凛としているからかな」
記憶喪失になると、ボキャブラリーが増えるのだろうか。彼の脳の中のどこに、これほど歯の浮くようなセリフが蓄積されていたのだろう。
記憶喪失になる前と百八十度違うフェリクスに戸惑いも大きいが、優しい笑顔を向けられると戸惑いとは別の感情まで生まれてきて、オルテンシアはどうしていいのかわからなくなった。
フェリクスがオルテンシアに興味を示さなかった以前までは、オルテンシアも政略結婚なのだからと一線を引いて彼を見ることができていた。しかし、ぐいぐいと距離をつめられて、まるで宝物のように大切に扱われると、オルテンシア自身が彼との間に引いていた一線が曖昧になる。これは本当の彼ではないとわかっているのに、まるで笑顔の彼が、オルテンシアの引いた線を端から消しゴムで消していくのだ。
(しっかりしなさい、わたし。流されて今日の予定を忘れたらだめよ)
去年の再現をするためには、まず、城に入ってからウェルカムドリンクを手に、バルコニーへ向かう。バルコニーへ向かったのはフェリクスが静かな場所を好んだからだ。そこでドリンクを飲み終えるまでぼんやりと外を見て過ごす。会話はない。無言のフェリクスにイラついたオルテンシアが、自分は踊りたいから失礼すると言って彼から離れようとすると、仕方が無さそうな顔のフェリクスがダンスに誘ってきて、ワルツを一曲踊る。ダンスが苦手でへたくそな彼は、一曲以上は踊りたがらないから、ダンスが終わったあとで別れて、オルテンシアは兄を捕まえてもう一曲。そのあと――
(……あー、思い出した。お兄様とダンスが終わってフェリクス様を探したら、何人もの女の子に囲まれててムカついて強引に中庭に連れ出したんだったわ)
フェリクスにはオルテンシアという婚約者がいるが、王族は複数の妻を娶ることは珍しくない。第二夫人、第三夫人の座を狙っている令嬢は多く、フェリクスの周りには油断していると女性が沸いてくる。
前世の記憶を取り戻す前のオルテンシアは山のようにプライドが高かったので、婚約者が他の女性に囲まれているのが面白くなくて、気分が悪いから付き合えと、フェリクスを強引に中庭に連れていったのだ。
中庭では会話らしい会話はなく、オルテンシアとフェリクスはパーティーが終わるまでぼんやりと月を眺めて過ごした。
(……わたしも大概なことをしてたわね)
オルテンシアは過去の自分を思い出して反省した。王子を振り回して、せっかくのパーティーのほとんどを中庭でぼんやりとすごさせたなんて、どんな女王様だ。フェリクスもよく付き合ったものである。
これを再現するのかと思うと、かなり気が重い。
「オルテンシア、もうすぐつくよ」
ぼんやりと過去を思い出しているうちに、馬車が城へ到着したようだ。
フェリクスの手を借りて馬車を降りると、玄関ホールを抜けて、パーティー会場へ向かう。
開始時間には少し早いが、会場はあけられていた。まだ人はまばらだが、人が少ないうちに、人気のないバルコニーへ連れていきたい。
ウェルカムドリンクのスパークリングワインを受け取り、バルコニーへ向かうと、そこから見える空は夕日が夜空に溶け合う前の赤紫色のグラデーションをしていた。
昨年の再現をしようと、バルコニーから空を眺めつつグラスを傾けていると、フェリクスがお腹がすいていないかと訊ねてきた。
「パーティーがはじまると人が増えてあんまり食べられないから、お腹がすいているなら今のうちに食べた方がいい。ほら、向こうに軽食があるよ」
せっかく去年の再現をしようとしているのに、「行こう」と手を引かれて早々にバルコニーから連れ出されてしまった。
オルテンシアの腰に腕を回し、人から守るようにして歩くフェリクスを、近くにいた人が不思議そうな顔で振り返っていく。
オルテンシアとフェリクスが通りすぎるはしから「お二人はあんなに仲が良かったか?」というつぶやき背後から聞こえてきて、オルテンシアは頭を抱えたくなった。
カラフルなサンドイッチや、一口大のお菓子が並べられているコーナーへ向かうと、皿を手にしたフェリクスが料理をいくつか取り分けてオルテンシアに差し出した。皿に乗っているものはどれもオルテンシアの好物だった。
フェリクスも自分用にサンドイッチを数種類取ると、手袋を外して、卵サンドを口に入れる。
(……フェリクス様がパーティーで食事をするところ、はじめて見たわ)
パーティーに来ても、フェリクスはドリンクは飲んでも、食事はしなかった。これも記憶喪失の影響なのだろうか。
「オルテンシア、この鴨のローストのサンドイッチがとても美味しいよ」
二つ目のサンドイッチを口に入れたフェリクスが教えてくれる。
せっかく取り分けてくれたので、オルテンシアも彼に倣って手袋を外すと、サンドイッチを口に入れた。確かに美味しい。
思い返してみると、フェリクスとこうして食事をしながら会話をしたことなど、ほとんどない気がする。一緒にお茶会に招かれたことはあるけれど、あのときもフェリクスは紅茶ばかり飲んで食事には手を伸ばさなかったし、そう言う場では基本的に彼は聞き役で、自分から会話には参加しない。
フェリクスに会いに城に行ったことはあるけれど、食事をした記憶はない。
(……ずっと昔は、あれでも、一緒におやつを食べたりしてたんだけど)
婚約したてのころだったろうか、それとも婚約する前だったろうか。あまり詳細には覚えていないけれど、公爵令嬢であるオルテンシアは子供のころから王城に出入りしていた。フェリクスと同じ年と言うこともあり、彼の母である第二妃に誘われて、一緒の部屋ですごした経験は多い。子供のころのフェリクスはあれでも表情が豊かだったので、お菓子を食べながら笑って話をした記憶があった。
(いつからだったかしら……、急に表情がなくなったのよね)
ある日突然だったことだけは何となく覚えている。急に笑わなくなり、口数が減り……ああ、そうだ、たぶん、婚約がまとまって少し経ったあたりからだ。
オルテンシアはそれを、フェリクスが自分との婚約をよく思っていないからだと解釈した。フェリクスはオルテンシアが好きではないのに、周りの大人に婚約させられて嫌になったのだろう、と。
オルテンシアは勝手に解釈して勝手に腹を立てて、自分からフェリクスに会いに行くことをしなくなった。フェリクスも呼ばなかったから、一気に王城に行く機会が減った。二人の関係を憂えた第二妃がオルテンシアを呼びつけることはあったが、毎回毎回公爵令嬢を呼びつけることもできないので、一週間に一度が二週間に一度になり、気がつけば一か月に一度顔を合わせるだけになった。
学園に通い出してからは、それを理由に王城には足を運ばなくなった。
同じ学び舎ですごしているのに、城に通わなくなったせいか、もともとあったフェリクスとの距離がもっと開いて――いつの間にか、彼の好きな話題がちっとも思い浮かばなくなった。話題が思い浮かばないから会話もなく、ただ義務のように隣に立っているだけの間柄になってしまった。
第二妃に会っていた時は、彼女がそれとなくフェリクスの好きなものを話題に乗せていたので、それで自然と情報収集していたのだと、今更ながらに理解する。
今では彼の好きなものも、趣味も、最近何をしているのかも、何一つわからない。
「オルテンシア、このゼリー、不思議な味がするよ。下が甘くて、上が酸っぱいんだ。食べてみて」
フェリクスが食べ物についてこんなに饒舌になるなんて思わなかった。記憶喪失だからだと思う反面、幼いころはお菓子を食べながら同じようなことを言っていた気がして懐かしくなる。
フェリクスに勧められてゼリーを口にすれば、数種類のゼリーが断層になっていて、それぞれ味の違うゼリーだった。フェリクスの言う通り、上が酸っぱくて、下に行くほど甘くなる。上から下まで一緒に巣くって食べるのが一番おいしく感じられた。
(……記憶喪失で別人格になったんじゃないんだわ。記憶喪失で、子供のころのフェリクス様に戻ったのよ)
それに気づいたからこそ、オルテンシアは困惑した。
別の人格になったのならば彼を早く戻さなくてはと思っていた。でも、これももともとの彼の人格ならば、どうするのが正解なのだろう。記憶は戻るに越したことがないが、幼い日のように笑う彼がひどく懐かしくて、オルテンシアはわからなくなった。
彼の笑顔を見ていると、ぎゅうっと胸が苦しくなる。
美味しいはずのゼリーが、急に苦い味に変わったような気がした。