甘々王子に困惑中 2
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「フェリクス殿下とシャロン公爵令嬢は、すっかり学園中の噂になっていますね」
一人ではフェリクスの記憶を取り戻す方法を思いつかなかったので、クラウディオに協力を頼むべく、次の日、オルテンシアは朝早くに学園に登校し、彼の研究室を訪れた。学園の教師たちは厚遇されているので、一人一部屋研究室が与えられている。
フェリクスはシャロン公爵家にオルテンシアを迎えに来て一緒に登校したがったが、国王が止めてくれたらしい。国王は、セレスタンで迷惑をかけているのに、この上、記憶喪失のフェリクスに好き勝手されると面倒だと判断したようだ。
クラウディオは王子たちの教育係だったことから、様々な分野の広い知識を持っているが、一番得意とすることが薬草学である。学園では三年生で選択可能な薬学の授業を受け持っていて、それが理由で三学年の一クラスの担任をしている。薬学はわずか一年で学びきれるようなものではなく、三年生で興味を持った学生は、多く大学に進学して学んでいるが、授業を取るのは爵位を継げない男子に多い傾向にある。家が保有している爵位の多い侯爵家以上の学生はあまりいないのだとか。
ただ、来年はおそらくフェリクスが選択しそうなので、将来薬学を学ぶ予定がなくても王子と同じ選択科目を取りたがる学生が増えそうだとクラウディオが言っていた。喜んでいいのか、冷やかしが増えると迷惑がっていいのか悩みどころらしい。
「もうそんなに噂になっているんですか……」
たった一日で学園中とは、噂が広がるのが早すぎやしないだろうか。
クラウディオが入れてくれた紅茶を飲みつつ、オルテンシアは肩を落とす。
「このままだったら、噂が学園から飛び出しかねません。わたくしたちはほら……特別仲のいい婚約者同士ではないといいますか、よくある政略結婚ですから、まるで殿下がわたくしに恋をしているような受け止め方をされると、あとあと困ることになるはずです」
「よくある政略結婚……ねえ」
クラウディオが苦笑するように口をゆがめた。
「私はあまり困らないと思いますけどね」
「どこをどう見てそのようなことを言うんですか」
「どこをと言われても、殿下とシャロン公爵令嬢は学園を卒業した後、あまり期間を置かずに結婚することが決まっているでしょう? 殿下が別の異性に入れ込んでいるなら困りものですが、婚約者に熱を上げているなら、周囲からすれば微笑ましいだけですよ」
「ですから、そんなに簡単な問題じゃないんです」
「私からすれば簡単な問題なんですけどね」
「どこがですか! 記憶が戻ったとき、一番困るのは殿下ですよ?」
「そうでしょうか?」
「当り前です。困らないわけないじゃないですか」
本来のフェリクスはオルテンシアに好意を持っていない。記憶喪失になって、おかしくなっただけだ。
(卵からかえったヒヨコが、はじめて見たものを親だと思うようなものよ!)
はじめて見たものがオルテンシアだったから起こった現象に違いない。はじめて見たものに恋をする現象というのは聞いたことがないが、そうでなければ説明がつかない。
「……まあ、いいですけどね。あなたに対する求愛は置いておいたとしても、このまま記憶が戻らないのは問題です」
オルテンシアにとっては求愛が一番の問題だが、どんな理由であれ、クラウディオの協力が取りつけられればそれでいい。
「しかし、記憶を取り戻すと言っても、はっきり言って、記憶喪失の人間を見たのははじめてです。医師の見解だと、ある日突然戻るかもしれないし、一生戻らないかもしれない、そうでしたね?」
「はい」
「全部の記憶がないのではなく、自分や他人に対する記憶がすっぽり抜け落ちている……私からすれば実に不思議な現象に思えますが、日常生活や学生生活に支障をきたすことはなし、と」
「そうらしいです」
「うん、お手上げですね」
「先生!?」
「冗談です」
クラウディオは小さく笑うと、一度立ち上がって、本棚から一冊の本を抜き取ってきた。
「さすがに記憶が戻らないままなのは問題ですし、陛下も早く何とかしたいとお考えですからね。知り合いの脳の専門医から、本を借りて来ました。記憶喪失に関する本らしいです。ただ、一部の時間が抜け落ちている、もしくは全部の記憶を失っている例はありましたが、殿下のように、記憶の中の人間関係に関することだけ抜け落ちているという記憶喪失は該当例がありませんでした。仕方がありませんので、一部の時間が抜け落ちている例を取って、対処しましょう」
ちなみに全部の記憶が抜け落ちている場合、この本には「打つ手なし」と書かれているらしい。
「本によると、一部の時間の記憶が抜け落ちている場合、その前後にしていたことや、記憶が抜け落ちている時間に行っていたことを再現していくといいらしいです。疑似体験をさせて、思い出せない記憶を引きずり起こすのだそうですよ」
「なるほど。つまり?」
「殿下の場合、一部の時間でないので厄介ですが、彼の過去の行動を再現してみたらどうですか? さすがに十七年分すべては無理でしょうから、つい最近のことからはじめてみるのがいいでしょう」
「……わたくし、殿下とあまりすごしておりませんので、それほど知っているわけではありませんよ」
「その点は仕方ありません。幸い、もうじき社交シーズンです。去年の社交シーズンのことを思い出して、できるだけ再現しながらパーティーに出席してみたらどうですか」
「正気ですか!?」
あの「オルテンシア、ラブ」状態のフェリクスを連れ歩けというのか。今の彼をできるだけ隠しておきたいのに、連れ歩いたらそれこそ本末転倒だ。
だというのに、クラウディオは至極真面目な顔で「記憶を戻したいと言ったのはあなたです」と言った。確かに言ったが、これはオルテンシアの求めるやり方ではない。
すると、クラウディオは少しばかり意地の悪い笑みを浮かべた。
「別にかまいませんよ。殿下の記憶が戻らなかった場合、殿下は一生あなたにべったり引っ付きもっつき状態でしょうが」
困るのはあなたです、と言われて、オルテンシアはぐっと唇をかむ。
拒否権は、なさそうだった。