ヒロインではなく第一王子(攻略対象)が記憶喪失になりました 3
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「な――」
口を開きかけたセレスタンを、国王が静かに手で制した。
「理由は? 詳しく話せ」
国王に説明を求められて、クラウディオは大きく頷く。
(ここでクラウディオ先生の乱入はなかったはずよ……?)
オルテンシアはゲームのプロローグとは違う展開に戸惑って、クラウディオを見上げた。
「はい。シャロン公爵令嬢は、授業選択の時間が終わったあと、フェリクス殿下と一緒でした。そして、フェリクス殿下に少々アクシデントがあり、私が駆けつけたあとは、私とともに殿下を保健室にお運びし、しばらくの間保健室におりました。全体集会の途中……ちょうど、生徒会の挨拶の当たりで、私とシャロン公爵令嬢は講堂へ入りました。シャロン公爵令嬢に、レニエ男爵令嬢を突き落とすような時間はございません」
「フェリクス殿下とお話される前のことです!」
ルイーザが声を上げたが、クラウディオは不可解そうに眉を寄せる。
「休憩は三十分しかございません。殿下とお話する前に、シャロン公爵令嬢に時間はないように思いますが――」
クラウディオがそう言いながら、オルテンシアのクラスメイトが固まっているあたりに視線を投げると、その中の侯爵家出身の女子が、おずおずと声をあげる。
「フェリクス殿下は、休憩時間がはじまってすぐにオルテンシア様を呼びに来られました。殿下がいらっしゃるより前に、オルテンシア様が教室を出て行かれたところは見ておりません」
彼女の言葉を皮切りに、クラスメイトが口々に同じ意見を述べる。
それを聞いたルイーザは悲鳴のような声を上げた。
「皆さまオルテンシア様のクラスメイトだからかばっていらっしゃるのですわ!」
そのような意見でクラウディオの主張を否定することはできないだろうが、ルイーザはセレスタンに縋りつく。
「殿下、助けてくださいませ。皆さま、オルテンシア様の味方で、わたくしをいじめるんですわ」
しかし、セレスタンはクラウディオの発言に動揺したのか、ルイーザを慰めるように背中に手を回すものの、せわしなく瞳を揺らしている。
クラウディオは「仕方がありません」と言って続けた。
「ここではあまり言いたくありませんでしたが、納得いただけないようですので仕方がありません。王太子殿下。殿下は公正を重んじる方だと信じております。男爵令嬢のために公爵令嬢を糾弾したように、私の意見を聞いて公正に判断してください」
もと教育係の男に言われて、セレスタンは戸惑いながら頷く。
クラウディオは小さく微笑み、言った。
「殿下は先ほど、レニエ男爵令嬢が記憶喪失になったとおっしゃいましたね。ですが、それは本当ですか?」
「どういう意味だ?」
「真に記憶喪失であるなら、私たちの名前はおろか、自分を突き落としたという人物の顔を覚えているものでしょうか? それに、レニエ男爵令嬢は、入学してから今まで、シャロン公爵令嬢に嫌がらせを受けていたとおっしゃいましたね? どうして覚えているのでしょう」
「それは……」
ルイーザの顔に動揺が広がる。
セレスタンが絶句していると、クラウディオは彼が聞いていると判断したのか続ける。
「もう一つつけ加えさせていただきますと、レニエ男爵は本当に階段から落ちたのでしょうか。……フェリクス殿下の名誉のためにあまり言いたくはありませんでしたが、殿下も実は階段から落ちられたのです。その殿下は気を失い、いまだに目を覚ましておりません。ああ、保健室の医師がしっかりついておりますのでご安心ください。私が言いたいのはですね、階段から落ち、記憶を失うほど衝撃を受けたにも関わらず、レニエ男爵令嬢はあまりに元気すぎやしませんかということです。ちなみに保健室に運ばれたとおっしゃいましたが、私とシャロン公爵令嬢が保健室にいたとき、ほかには誰もいらっしゃいませんでしたよ。保健室の常駐している医師も、『今日は時間が短いので、仕事がないと思っていた』と苦笑していました。殿下がいらっしゃるまで、ほかの方は来られなかったようですね」
さーっとルイーザの顔が青くなった。
(ゲーム補正で勝手にストーリーに沿って話が進むと思ってたけど……よく考えたら、ルイーザは嘘をついていたことになるのよね)
今までゲームだからと思って諦めていたが、これが正しく現実世界だと認識すると、やってもいない罪が上がってくるのは、誰かが嘘をついているからだ。この場合、本人がオルテンシアに攻撃されたと言っているのだから、嘘をついているのはルイーザ本人となる。
しかし、これはどういうことだろう。
オルテンシアはルイーザと面識がない。ルイーザに反感を持たれるようなことをした覚えはないのに、なぜ彼女はオルテンシアを罪人に仕立て上げようとしたのだろうか。
そしてなぜ、今目の前ではゲームと異なる話が進んでいるのだろうか。
プロローグだからと諦めていたけれど、プロローグも変わるのかもしれない。ゲーム通りの展開ではないなら、オルテンシアは追放されずにすむのだろうか。
「わ、わたくしは……! わたくしは本当にオルテンシア様にいじめられたんです……!」
涙ながらに訴えるその主張に、セレスタンも同意できずにいるようだった。
話を聞いていた国王が、疲れたように息を吐き、セレスタンにルイーザを連れて講堂から出て行くように命じる。
「話はあとだ。……少なくとも、二学期のはじまりと言う晴れがましい場でこのような茶番を演じたそなたらには、それなりの責任を取らせるからそのつもりで」
王の固い声に、セレスタンはうなだれるようにして頷いた。
ルイーザは甲高い声でまだ自分が被害者だと主張していたが、セレスタンに半ば引きずられるようにして講堂の外に出される。
茫然としているオルテンシアに、国王の視線が向いた。
「オルテンシア、そなたには恥をかかせたようだ。本当にすまなかった。フェリクスが気になるので、申し訳ないが、君には同行願ってもいいだろうか。クラウディオもだ」
国王はそう言って、進行役の教師に一言詫びを告げて歩き出す。
オルテンシアに同行をするよう命じたのは、国王なりの気遣いだろう。すでに講堂にいる学生たちから、オルテンシアに好奇の視線が向けられている。居心地が悪かった。
国王の気遣いに感謝しつつ、オルテンシアはクラウディオとともに講堂をでる。
王は背後で講堂の扉が閉まると、大きく息を吐いた。
「私の息子は、いったい誰に似たのか、そろいもそろって真面目なのだが……セレスタンはどうも、物事を平たく、複数の方向から見るということを知らないらしい。オルテンシア、迷惑をかけたな」
セレスタンは一度自分の正義を見つけると、周りが見えなくなるらしい。少々暴走気質のため、国王は、少し年上の落ち着いた女性を彼の婚約者にと望んでいるようだが、頑固なので、将来の伴侶は自分で探すと言って譲らず、王太子の立場なのにいまだに婚約者がいない。しかし、今回の暴走は、セレスタンがルイーザに傾倒してしまったがために起こった事故なので、早々に婚約者をあてがう必要がありそうだと国王が言った。
ということは、ルイーザはセレスタンルートから外れることになる。いや、プロローグが成り立たなかったこの場合、今後、ゲームのような展開は起こらないということでいいのだろうか。
ここが『木漏れ日のアムネシア』の世界だと知っているオルテンシアは、どうしてもゲームのストーリーと同じように進むと思いがちだが、現実世界だとすると、この国に、この世界に存在するすべての人が、決められたストーリーに沿って生活するのは無理がある気がしてきた。現にオルテンシアも、ゲームと同じようにルイーザをいじめていない。
この学園に通う学生だけでも数百人いるのだ。その数百人がそれぞれ違う行動を取っていたら、ゲームのストーリーと未来がかわっても不思議ではなかった。
(わたし、なにを怖がっていたのかしら……。ここは知っているようで知らない世界なのよ。未来が決まっているはずないんだわ)
断罪だ、追放だと怯えていたが、オルテンシアがゲームと違う行動を取っている以上、自分を待ち受ける展開がゲームと同じになるはずがない。
すごく単純なことなのに、恐れすぎて目の前が見えていなかったようだ。
ルイーザがオルテンシアを悪人として陥れようとしたことは気になるが、人の行動の理由など山のようにある。オルテンシアの知らない何かがあるのかもしれないが、オルテンシアが関わらなければすむ話だ。もう、ストーリーは変わったのだから。
「本来なら、嘘をついて公爵令嬢を糾弾すれば、男爵家など取り潰しになってもおかしくないが、もしそなたに寛大な心があるのなら、多少のことは目をつむってくれないか。もちろん、あの二人は無罪放免とはいかないが、この学園に在籍している間は身分に関係なくみな平等だと、校則で定められていてね。理事長である私が、その公平性を欠くわけにはいかない。罪に対しての罰は問うが、身分に対しての罰は問いたくない」
少し急ぎ足で廊下を進みながら、国王が言う。
オルテンシアは国王の言い分も理解できるし、ひとまず追放と言う危険が去ってホッとしていることもあって、それに否を唱えることはしなかった。
保健室に到着すると、国王の姿に医師が目を丸くした。
王がフェリクスの容態を訊ねると、まだ眠ったままだと言ってベッドへ案内する。
国王は父親の顔をして、心配そうに息子の顔を覗き込んだ。
「階段から落ちたと聞いたが……」
「ええっと……足を滑らせたようで」
「……相変わらず、フェリクスはどんくさいな」
王子の義務として、幼いころから文武関係なく教育を受けるが、フェリクスの場合、あまりに運動音痴で、剣を持たせたら大怪我をしそうで恐ろしかったため、早々に危険なことから遠ざけられた。体力だけはつけさせようと、武器を持たない基礎訓練は受けたようだが、ただのウォーキングやランニングだけでも擦り傷を作って、武器を持たない護身術の授業で全身青あざだらけになっていたことを思い出したオルテンシアは遠い目をした。訓練で足をくじいてダンスができないため、一緒にパーティーに出席して一度も踊らず帰ったこともある。
ちなみにだが、フェリクスはダンスもへたくそなので、あのときは逆に踊らなくてすんでオルテンシアはホッとした。
国王の横でフェリクスの顔を見ていると、その整った眉が、ピクリと動いたのがわかった。
「先生」
オルテンシアが医師に声をかけるのと、フェリクスの双眸がゆっくりと開くのは同時だった。
メガネはフレームが曲がって入るので使えないが、一応渡しておいた方がいいだろうかとオルテンシアが手に取ると、視界がぼやけるのか、フェリクスが眉間にきつく眉を寄せる。
「殿下、眼鏡ですけど……」
フレームは曲がったが、レンズは無事だと声をかけると、焦点が合っていなかったフェリクスの目が、ぴたりとオルテンシアに向いた。
フェリクスの黒い瞳がゆっくりと開かれて、その頬が薔薇色に染まる。
「殿下?」
いつも涼しい顔をしているフェリクスに似つかわしくない、そわそわとした表情に、オルテンシアは首をひねった。
「殿下、打った頭はどうですか? 強く痛みますか?」
医師が声をかけても、フェリクスは反応すらしなかった。
オルテンシアを見つめたまま視線をそらさず、そして、ほう、とため息のような細い息を吐き出す。
「……美しい」
ぽつり、とこぼしたささやきに、保健室にいた全員の目が点になった。
「「「は?」」」