告白 2
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「これを話す前に前提として知っていてほしいんだが……僕は、君が好きだ。君と初めて会った、六歳のころからずっと、君のことが好きだった」
フェリクスの言葉が、頭の中で反響するように何度も響いている。
(フェリクス様がわたしを好き? 六歳のころからずっと? ……でも)
幼いころの記憶は朧気だが覚えている。フェリクスは記憶喪失を演じていた時の彼と同じで、よくしゃべり笑いかけてくれていた。けれども、婚約が決まったころからだろうか、フェリクスはオルテンシアによそよそしくなった。人が変わってしまったように、オルテンシアと距離を取ろうとして、あまり笑ってくれなくなった。
オルテンシアはフェリクスが変わってしまったことが悲しくて淋しくて――、婚約者なのにちっともそれらしくない彼に腹を立てた。
フェリクスもオルテンシアを避け、それに腹を立てたオルテンシアもフェリクスを避けるから、二人で出席しなければならないパーティーや式典以外で一緒にいることはなくなっていった。
フェリクスが記憶喪失になったあの日までは、オルテンシアは彼との間に深い溝を感じていたし、それが修復されることは永遠にないのだろうと思っていた。
信じられない気持ちでフェリクスを見つめていると、彼は悲しそうに眉尻を下げた。
「君が信じてくれないのも仕方がないと思う。でも、本当なんだ」
「……それでしたら何故、わたくしのことを避けていたんですか?」
好きならばそばにいてくれればよかったのに。もっと話して笑って、好きだって、言ってくれればよかったのに。
そんな思いを込めて訊ねると、フェリクスはティーカップに視線を落とした。
「説明すれば……君を怒らせてしまうかもしれないけど……」
「教えてください」
これまで避けられていた理由を教えられないまま、ずっと好きだったと言われても、オルテンシアは信じられない。フェリクスが好きだと言った気持ちに嘘がないなら教えてほしい。
フェリクスは小さく頷いて、ティーカップを両手で握るように持ち直すと、ぽつぽつと語り出した。
「はじめて君に会ったのは、六歳のころだった。君は覚えていないと思うけれど、君は僕ではなくセレスタンの婚約者候補として、セレスタンとの顔合わせのために城に招かれたんだ。でもその日、セレスタンは……理由までは覚えていないんだが、何かに癇癪を起していて、とても君に会わせられる状況ではなかった。でもすでに城に呼んでしまったのに、そのまま帰すのも申し訳ないと父上が思ったのか、待っていればセレスタンの機嫌が直るかもしれないと思ったのか、急遽、僕と君を遊ばせることにしたらしい。部屋で本を読んでいたら、母上が興奮気味に呼びに来たので、その時のことはよく覚えている。僕はその時は母上が何に興奮していたのかよくわからなくて、ただ、同じ年の女の子が来たから一緒に遊んだことだけ覚えている。はじめて会った君は、明るくて、可愛くて、きらきらと瞳を輝かせてよくしゃべる、素敵な女の子だった」
残念ながらオルテンシアは、フェリクスが覚えているほど、当時のことを覚えているわけではなかった。なんとなくフェリクスと一緒に遊んだ記憶だけが残っている。それだけだ。
「僕はその日から君のことが気になって仕方がなくて、父上に何度も君を城に呼んでほしいと頼んだ。母上も僕と君は仲がいいからと父上にお願いしてくれて、僕の願い通り、君は何度も僕と遊びに城に来てくれた。僕と君が一緒に遊ぶ中にセレスタンが入ることもあったけれど、僕と君はあのころ、部屋の中でカードゲームをしたり本を読んだりして遊んでいたから、外で遊ぶのが好きだったセレスタンは合わなかったのだろう、本当にたまにしか部屋に来なかった」
言われてみれば確かに、セレスタンと遊んだ記憶はあまりない。そう言う理由があったのかと、今更ながらに納得した。フェリクスは子供のころから運動音痴で、外で走り回って遊ぶことを嫌っていたから、自然と部屋の中での遊びばかりしていたのだ。
「あの頃から僕は君が大好きで……でもある日、父上が君の父上と話しているのを立ち聞きしてしまったんだ。君はセレスタンの婚約者候補だってね。僕はびっくりして、そして君をセレスタンに取られるのが嫌で、二人が話している間に入って、オルテンシアをくださいと頼んだ。父上たちは驚いて、最初はダメだと断られた。でも何度も何度も頼んだ結果、オルテンシアの父上の方が先に折れてくれたんだ。そこまで娘を望んでくれるなら、と。シャロン公爵が折れたから、父上も仕方がないなと言って、オルテンシアを僕の婚約者にしてくれた」
(そんなことがあったの?)
オルテンシアはもちろん、その事実を知らされていなかった。父も何も言わなかったし、国王からも何も言われていない。ただ婚約が決まったと報告があっただけだった。
「僕はすごく嬉しかったよ。でも、何も考えていなかったんだ。幼い頃の僕は、ただ君がほしくて、ずっと一緒にいたくて、それだけで君を望んでしまったけれど、公爵家の令嬢と婚約すると言うことはそう単純な問題ではなかったんだ」
フェリクスはティーカップの中身をすべて飲み干した。テーブルの上にティーカップを戻し、顔をあげる。微笑んでくれたけれど、その微笑みはどこか悲しそうだった。
「君と婚約して、半年……もしかしたら一年くらいたっていただろうか。いつだったかは明確には覚えていない。ある日、母上が嬉しそうに侍女たちと話しているのを聞いてしまった。母上は、君と僕が婚約したから、次の王は僕だと言っていた。僕は知らなかったんだが、母上は、第一王子である僕が王太子になれなかったことに腹を立てていたらしい。セレスタンは王妃の子だけど、第二王子だ。もしセレスタンと僕の年齢が離れていたら、僕が王太子に上がっただろう。けれど年が近く生まれてしまったために、僕は王太子にはなれなかった。正直僕は玉座にそれほど興味はないし、物心つく前から将来弟の臣下となるべく育てられていたから、何も思わなかった。でも母上は違ったんだ。僕たちと年の近い公爵令嬢は君だけ。公爵家の後ろ盾を手に入れた僕は、望めばセレスタンを蹴落とすことだって可能な立場にいた。……その事実を知ったとき、愕然としたよ」
第二妃がフェリクスを王太子にすることを望んでいたことも知らなかった。
(わたし、知らないことだらけだったのね……)
フェリクスの言う通り、シャロン公爵家の後ろ盾があれば、フェリクスを次期王にすることだって可能だろう。父が働きかければ、モンフォート国の多くの貴族がフェリクスにつく。もちろん父にも政敵はいるが、父は人と争うことを嫌うので、味方の方が圧倒的に多い。フェリクスと父が本気になりさえすれば、セレスタンを蹴落とすことはたやすかったはずだ。
「僕が君と婚約したせいで、セレスタンの立場を危うくしてしまった。僕が王太子の地位を望めば、セレスタンを擁立しようとする勢力と僕を擁立しようとする勢力とで、国は二つに割れるだろう。そんなことは望まないし、そんな醜い争いに君を巻き込むのも嫌だった。でも、母上は君とシャロン公爵家に働きかけるつもりでいて……だから僕は、君と仲が悪いように見せようと思った」
フェリクスは自嘲する。
「子供の浅知恵だよ。僕と君の仲が悪ければ、母上も馬鹿なことを言い出さないのではないかと思った。いつ婚約破棄になるかわからないし、僕と君が婚約を解消すれば、君とセレスタンとの婚約の話が再び持ち上がることだってある。母上は僕を王太子にと言うより先に、僕と君の仲を取り持つことに必死になるはずだ。ここまでは、僕の予想通りだった。母上は必死に君を城に呼んで、僕との仲を取り持とうとした。母上にご機嫌伺いをされているのは君も何となく気づいていただろう?」
第二妃は昔からオルテンシアに友好的だった。友好的すぎるほどに。いくらオルテンシアが公爵令嬢だからと言って、第二妃の地位にある女性が、あそこまでオルテンシアにへりくだる必要はない。けれども第二妃はいつもオルテンシアを立て、機嫌を窺い、暇さえあれば城に呼んで、オルテンシアとの時間を取りたがった。それはすべて、オルテンシアとフェリクスの関係が良好であると、周囲にアピールするためだったらしい。
「僕とオルテンシアの中がギスギスしていると知ったシャロン公爵からは、どういうことなのか質問されたよ。僕が正直告げると、子供の浅知恵が面白く映ったのか、公爵は笑って、そう言うことならば目をつむろうと言った。でも、オルテンシアが誤解しているから、結婚までにはその誤解を解くようにとも言われた。僕も一生君に誤解されたままでいたくなかったから、いつ真実を打ち明けようか、ずっとタイミングをうかがっていたんだ」
「……知りま、せんでした……」
「うん。ごめん。……もっと早く打ち明けたかったけど、僕の態度のせいで君の心は僕からすっかり離れていた。だから、言うのが怖かったんだ。愛想をつかして捨てられるんじゃないかって……」
「そんなことは……」
ないとは言い切れず、オルテンシアは口を閉ざした。オルテンシアが前世の記憶を取り戻さなければ、もしかしたら言い出していたかもしれない。
「学園を卒業したら結婚だ。結婚までに誤解を解くと言う公爵との約束もある。僕は本当に焦っていた。でも、まだ安心していたんだ。オルテンシアは僕に怒りながら、僕が他の令嬢と一緒にいたら嫉妬してくれたから。まだ愛想はつかされていない。そう思っていた。でも、君は今年に入って……春をすぎたくらいからだろうか、急に変わってしまった。急に僕に、まったく興味を示さなくなった。僕が冷たくしても怒らなくなったし、話しかけに来てくれなくなった」
それは、オルテンシアの前世の記憶が戻ったからだろう。前世を思い出したオルテンシアは、待ち受ける断罪プロローグのことで頭がいっぱいで、正直フェリクスどころではなかった。
前世の記憶を取り戻すまでのオルテンシアは、自分からフェリクスに話しかけて見たり、その態度に怒ったりしていたけれど、前世を思い出してからは、どうせ追放されてフェリクスと別れることがわかっていたから、彼の態度を気にしたって仕方がないと思っていたのだ。
「とうとう愛想がつかされたのかと思った。それどころか、学園で君の変な噂を耳にするようになって、もしかして僕のせいで下級生に八つ当たりをしているのかとも思った。でも違って……。もうだめだと思ったのは、二学期の学年集会の日、君と屋上で話した時だった」
オルテンシアは首をひねった。フェリクスの口ぶりでは、屋上で話したときに、オルテンシアは彼を追い詰めたらしいのだが、それが何かがわからなかったからだ。
「学園での君の噂は偽りだった。君と話して僕はそう認識したけれど、僕には、君が、そんな質問をした僕を軽蔑しているように映った。君を少しでも疑った僕のことを怒ってもいいのに、君は怒りもせず、淡々と事実だけを伝えて、そして立ち去ろうとした。本当はあのとき、僕は君が僕に助けを求めてくれるのではないかと思っていた。セレスタンが君を罪に問う気だと教えたから、君はそれを恐れて、僕に縋りついてくれるのではないかと思った。でも、君は僕に縋らなかった。僕に見切りをつけるかのように背中を向けて立ち去っていく君を見たとき、僕は血の気が引いた。このまま永遠に君を失う気がしたんだ」
怖くなった、とフェリクスはぽつりとつぶやいた。
「怖くて、急いで追いかけて、全部説明しようと思った。信じてくれるかどうかはわからないけれど、最初から全部。そして謝ろうと思った。でも僕は足をもつらせて階段から落ちてしまって、気を失った。目を覚ました時は保健室で、あの時記憶が飛んでいたのは本当なんだ。オルテンシアのことも、僕自身のことも、父上たちのことも、あの時は何も思い出せなかった。でも、それは一時的のことで、城に帰って、父上やクラウディオから『フェリクス』の説明を受けている途中で、びっくりするくらいにあっけなく記憶が戻った。でも、僕は『記憶喪失の僕』を利用して、君との仲を……君との間に生まれた亀裂を埋めようと思った。君に僕を好きになってほしかった」
あとはオルテンシアが知る限りだよと言われて、オルテンシアは二の句が継げなくなった。なんて言っていいのかわからない。
しばらく瞳を揺らして沈黙していると、フェリクスが俯いた。それはまるで、断罪されるのを待っている姿にも映った。
怒っているよね、とフェリクスが小声で訊ねて来るけれど、それにも答えられない。
怒りとか悲しみとか、そんなんじゃなくて。本当に、ただ茫然としてしまった。
今までのフェリクスの態度も、その説明ですべて納得したのは間違いないけれど、頭では納得していても心がついていかない。
フェリクスに好きだと言われて嬉しい気持ちと、戸惑いが、ぐるぐると胸の中で渦を巻いていた。
好きなんだ、とフェリクスが言う。
「君が好きなんだ。それだけは本当なんだ。嘘じゃない」
オルテンシアはただ黙って、うつむくフェリクスを見つめる。
フェリクスが沈黙に耐え切れないように、時折、「ごめん」とか「好きだ」とかつぶやくのが耳に入って来るけれど、何を返していいのかがわからない。
わからなくて、本当にわからなくて――、オルテンシアは無言で立ち上がると、彼の隣に移動した。
「……なんて言っていいのか、わかりません」
隣に座って、正直な感想を言えば、フェリクスが一度顔をあげて、また伏せる。
オルテンシアは手を伸ばして、フェリクスの手に指先でちょんと触れた。
「時間が経てば、怒るかもしれないし、泣くかもしれないし、自分でもよくわからないけれど……、フェリクス様がわたくしを好きだと言ってくれるのは、嬉しい、と思います」
フェリクスが弾かれたように顔をあげる。
オルテンシアはちょっと笑った。
「今日を境に、フェリクス様がまたよそよそしくなるのかなと思うと、すごく淋しかったので、だから、これまでのフェリクス様の態度の理由がわかって、ちょっとホッとしています」
フェリクスが、遠慮がちにオルテンシアの手を握る。
「……もっと早く教えてくれればよかったのにと、思わないわけではありません」
「うん……」
「でも……、……結婚前にフェリクス様の気持ちがわかって、よかったです」
フェリクスが目を大きく見開いたので、オルテンシアは思わず小さく吹き出してしまった。
「婚約を解消すると思いました?」
「……少し」
「しませんよ。だって……」
フェリクスの記憶喪失のふりには驚いたけれど、彼が記憶喪失のふりをしたから、オルテンシアはフェリクスへの気持ちを認識できた。
前世の記憶が戻ろうがどうしようが、オルテンシアはフェリクスが好きだ。今の告白を聞いても、その気持ちに変化はない。あきれてしまったけれど、やっぱり好きなままだった。
オルテンシアは顔を赤く染めて、彼から視線を逸らす。
「……わたくしも、フェリクス様のことが、好きですから」
声になったかどうか怪しいほど小さな声でつぶやいたのに、フェリクスはしっかりと聞いていたらしい。
驚いた彼が息を呑んで、それからおずおずと手を伸ばしてオルテンシアを抱きしめる。
まるで繊細なガラス細工に触れるかのように緊張しているフェリクスに、オルテンシアはおかしくなった。
「許してくれるの……?」
「仕方がないから、許してあげます。でも、よそよそしい態度に戻るのは、嫌です」
「うん。……僕も嫌だ」
「それから、次から、何か悩むことがあったら、ちゃんと相談してほしいです」
「約束する」
オルテンシアを抱きしめるフェリクスの腕に、力がこもる。
こうして抱きしめられるのははじめてではなかろうか。
ダンスの時のホールドの姿勢とは違う、ぴったりとくっつくような距離感に、オルテンシアは今更になってどきどきしはじめた。
「オルテンシア……今回の件が片づくまでは、忙しくて時間が取れないかもしれないけど、また、一緒に出掛けてくれる?」
「はい。今度は、悲しくないオペラを観ましょう」
「そうだね」
くすり、と耳元でフェリクスが笑う声がする。
「それから、たくさん話をしよう。今まで話せなかった分、たくさん」
「そうですね」
フェリクスの胸から、オルテンシアに負けないくらい早い鼓動が伝わってくる。
オルテンシアは、彼の鼓動の音と、彼がぽつりぽつりと話す言葉に耳を傾けながら、幸せをかみしめるように目を閉じた。
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【幼児化したらなぜか溺愛されています】
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7歳児になった27歳魔女と、十六歳の王子のラブコメです!
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