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ヒロインではなく第一王子(攻略対象)が記憶喪失になりました 2

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 オルテンシアの悲鳴を聞いて駆けつけた教師によって、フェリクスは保健室に運ばれた。

 階段から落ちたせいで、割れてはいなかったが、彼の眼鏡のフレームはぐにゃりと曲がってしまっていて、使い物になりそうもない。


 ベッドの上に寝かされたフェリクスの瞼はきつく閉ざされていて、目を覚ます気配は感じられなかった。

 保健室に常駐している医師によると、頭を打った衝撃で意識を失ったようだが、たんこぶができているだけで、ほかに怪我らしい怪我はしていないそうだ。ただ、売ったのが頭なので注意は必要だという。


 駆けつけてくれた教師は第三学年を受け持っているクラウディオだった。深緑色の髪に黒い瞳の二十代後半の教師で、伯爵家出身だ。彼はフェリクスが十二歳になるまで、城で二人の王子の教育係を担当していた。特にフェリクスとは仲が良かったと聞いている。


 オルテンシアがフェリクスの枕元に座って彼の顔を覗き込んでいると、クラウディオに何があったのかと訊ねられた。

 屋上で話した内容は伏せて、話をした後に講堂へ向かおうとしたとき、フェリクスが転んで階段から転がり落ちたと説明すると、フェリクスの運動音痴を知るクラウディオが何とも言えない顔になった。


「……よく転ぶのは、昔から変わらないようですね」


 フェリクスは運動神経がよくない。特に、何か別のことに意識が向いているときには、足元への注意が散漫になって、子供のころはびっくりするほどよく転んでいたらしい。自身がどういうときに転ぶのかを理解してくると、注意するようになったから転倒する頻度は減ったが、今でも、ふと注意力が散漫になっているときに転ぶことがある。


「神は二物を与えないというのは本当らしいと、フェリクス殿下を見ているとつくづく思いますよ」


 クラウディオのその意見には大いに同意する。フェリクスはとても頭がいい。学園の成績でも、他の追随を許さないぶっちぎりの学年トップだ。まあそれは、自分の運動音痴を理解している彼が、選択科目で体育系の教科を一切取らないからに他ならないのだろうが、ともかく、学期ごとに一度のテストでも、全科目でほぼ満点という驚異の点数を叩きだしている。


「……頭を強く打ったせいで、頭が悪くなるなんてことはないですよね」


 ふと心配になってぼそりと言えば、クラウディオが神妙な顔になった。


「今まで何度も頭をぶつけているから、今更一度くらい頭を打ったからと言って、影響が出るとはあまり思えないですけど……それでも心配ですね」


 これでバカになれば、運動音痴と合わさって欠点しかないと辛辣なことを言って、クラウディオが肩をすくめた。


「心配ではありますが、いつまでもここにいるわけにはいきませんね。全体集会はすでにはじまっています。陛下のご挨拶は最後ですからまだ間に合うでしょう。シャロン公爵令嬢、参りましょう」


 全体集会という言葉を聞いた途端、オルテンシアの全身が強張る。

 目の前で階段から転がり落ちたフェリクスを見たせいで、頭の中からほかのことがすべて抜け落ちていたが、オルテンシアの追放までのカウントダウンはもうはじまっている。


(……フェリクス殿下の顔を見るのも、これが最後ね)


 気を失っているのだから、彼がオルテンシアの断罪シーンに来ることはないだろう。ゲームのプロローグと少し違うが、彼一人いなくても結果には変わりないはずだ。なぜならオルテンシアを断罪したがっているのは、王太子のようだから。


(つまり、ルイーザの相手は王太子ってことよね)


 フェリクスはオルテンシアがルイーザを害した証拠がないなら、かばうつもりでいてくれたのかもしれない。ちょっと信じられないが、彼はびっくりするほど真面目なので、婚約者をかばいたいというよりは、ただ冤罪が許せなかったのだろう。だが、彼は気を失ってしまった。かばってくれる人はいない。


 フェリクスとは婚約者とは名ばかりで、冷え切った関係だった。前世の記憶を取り戻す前のオルテンシアは山のようにプライドが高く、自分を気にかけない婚約者にいつも怒っていた。フェリクスはそもそもオルテンシアに興味を抱いていなかった。自分たちは婚約者同士でありながら、互いの趣味や好きなものも知らないような関係だ。


 だがこれで最後だと思うと不思議なもので、寂寥感が胸に広がる。

 そう言えば、前世で『木漏れ日のアムネシア』をやりこんでいた時は、フェリクスが一番好きだった。遠い記憶のことのように、すっかり忘れてしまっていたが、真面目で堅物だが、根はとても優しいフェリクスは、自分の最推しキャラだった。真面目過ぎるせいで、四人いる攻略キャラのうち、世間の人気投票では最下位だったが。


(さようなら、フェリクス様)


 オルテンシアがもっと早くに前世の記憶を取り戻していて、これから起こる断罪のプロローグを回避する術を知っていたなら、二人の関係はもう少し違ったものになっていただろうか。

 少なくともオルテンシアは、フェリクスに対して傲慢ではなかっただろうし、もしかしたら、前世の自分のように彼のことを好きになっていたかもしれない。


 すべてが「IF」でしか語れないことを考えたって仕方がないけれど、そう思うと、すごく残念な気持ちになる。

 クラウディオが保健室の医師にフェリクスを頼んで、オルテンシアは彼に促されて保健室を出た。


「それにしても、あなたと殿下が一緒にいるのは珍しいですね」


 講堂に向けて廊下を歩きながらクラウディオが言う。

 正直、これから追放されると思うと雑談に付き合う気にはなれなかったが、無視するわけにもいかず、オルテンシアは肩をすくめた。


「殿下からお話があると言われたので。詳しいことは殿下が目覚められてからお聞きください。わたくしにはお話の内容はお答えできません」


 フェリクスが目を覚ますころにはオルテンシアの追放は決定しているだろう。オルテンシアとの会話など今更知っても仕方がないことだと、おそらくそのままにされるに違いない。


「へえ、殿下から……? それもまた珍しいですね」

「そうですね。殿下はわたくしのことなど気にもとめられませんから」

「え?」


 クラウディオが目を丸くして、思わず、と言ったように足を止めた。

 オルテンシアが振り返ると、不思議そうな顔をしていた彼が、まるで苦いものを食べたかのように顔をしかめる。


「どうかされましたか?」

「……あなたと殿下のことに口を挟むつもりはありませんが、少々、意外……いえ、不可解だっただけです」

「不可解とは?」


 何をもって不可解と言うのだろう。フェリクスの態度を見ていれば、彼がオルテンシアに興味を持っていないことはすぐにわかるはずだ。どこにも不可解な要素はない。

 クラウディオは「何でもありません」と首を横に振ると、再び足を動かした。


「急ぎましょう。陛下のお話に間に合わなくなってしまいます」

「そう……ですね」


 間に合わなければ間に合わなくても構わないと思ったが、そんなこと、口が裂けても言えるはずがない。

 校舎と講堂は渡り廊下でつながっていて、オルテンシアはクラウディオの先導で講堂の奥の扉からそっと中に入った。


 講堂の造りはまるでオペラハウスのように、正面に舞台があり、正面から奥に向けて高くなっていくように備え付けの椅子がある。正面から見ると扇状に広がっている講堂は、外から見ると半円の形をしていて、ゆえに天井はアーチを描いていた。声の通りがよくなるように設計されているのだそうだ。


 今からクラスメイトが固まっているあたりへ向かうと目立つため、オルテンシアはクラウディオとともに、教員たちが座っている奥の当たりの椅子に腰を下ろす。

 隣の教師が何かあったのかとクラウディオに問いかけたが、第一王子が気を失ったとこの場で口にするわけにはいかないため、彼はあとで説明すると言って言葉を濁した。


 壇上では、生徒会長が熱心に演説をしている。今の生徒会長は侯爵家出身の男子で、ベルトラン・バルテという赤い髪に茶色の瞳の、斜に構えているというか、少しすかした男だった。そんな彼だが、秋の文化祭で生徒会長を引退するためか、今までになく演説に熱が入っている。今回の学園祭の出来で、卒業後に要職に就けるかどうかが決まるため、どうしても力が入るようだ。バルテ侯爵家の子息と言っても四男で、家を継ぐことも、バルテ侯爵が持っている他の爵位を譲り受けることもないため、卒業後は自力で生きて行かなくてはならない。何が何でも文化祭で大成功を収めて、統率力があることを証明し、国の中枢の役職がほしいようだ。


 ちなみにベルトラン・バルテは四人の攻略対象の内の一人だが、おそらくセレスタン王太子ルートのようなので、彼がオルテンシアの断罪に関係することはなさそうだった。オルテンシアをプロローグで断罪するのは、ゲームをはじめる前に選んだ攻略対象であるから、二人、三人、と固まってオルテンシアを糾弾することはない。寄ってたかっての集団リンチのような目に合わないだけ、救いと言えるかもしれない。


 ベルトランのあとの生徒会長だが、二学年に王子であるフェリクスがいるため、十中八九彼がなるだろう。学園ではみな平等と言うが、身分社会で生きる貴族たちが身分を無視することはどうしても難しい。大抵、毎年の生徒会長は、最高学年の中で一番身分が高い人間と決まっている。今の三学年に公爵家の人間はいないので、侯爵家の中でベルトランが選ばれたようだ。

 今日ここで追放されなければ、公爵令嬢であるオルテンシアも次の生徒会メンバーに選ばれることになっただろうが、フェリクスと肩を並べて生徒会の仕事にいそしむ日は永遠に来ない。


「今年の文化祭は新しいことをするのだと言っていることは知っていたが、出し物の人気投票とは、また突飛なことを思いついたね」


 クラウディオが言った。

 学園と言っても、皆貴族出身なため、下手な競争を嫌う。特に身分が下に行くにつれてその傾向が顕著になるため、テストの成績発表以外で、あまり競い合うようなことをしたがらない。

 文化祭では各クラスが何かテーマを決めて出し物をするが、毎年、展示だったり、カフェのようなことをしてみたりと、無難に収める傾向にある。その出し物で人気投票をするとなると、今年の出し物は例年より凝ったものになるに違いない。


 しかし、競い合うことを避ける傾向にある学生たちが、そんな案を受け入れるだろうか。


 するとベルトランは、今回の出し物で一位になったクラスには、特別に国王陛下からのお言葉があると言い出した。

 この発言に、講堂の中がわっと歓声に沸いた。国王陛下から特別にお言葉があるということは、陛下に顔と名前を覚えてもらうチャンスと言うことだ。オルテンシアのように高位の貴族ならば個別で国王と会うことはあるが、下位貴族ではそれも難しい。国王に顔と名前を憶えられて、将来要職に就きたい下位貴族にしてみれば、またとない機会となる。


 ベルトランが交渉したのだろうが、それを受け入れた国王は、二人の王子が在籍しているからか、特に今の学生たちに目をかけている気がする。将来息子たちの側近に選ばれるかもしれない者たちを自分の目でも見極めたいのかもしれない。


 最後に学生たちを沸かせて退場したベルトランも、国王に自分を印象付けることに成功したと言っていいだろう。上に立つものは下のものをうまく先導する能力が必要となる。そう言う意味では、ベルトランは才能がある。


 オルテンシアは盛り上がる講堂内を見ながら、自分だけ蚊帳の外のおかれている気分を味わった。

 今日で学生生活も最後。この国からも出て行くことになるオルテンシアが、この熱気の中に加わることはない。


 生徒会長の挨拶が終わると、とうとう国王陛下の最後の挨拶がはじまった。

 鉛のように重たい気持ちでそれを聞きいていたオルテンシアの視界の端に、王太子セレスタンが動くのが見えた。国王がまだ話しているのに、静かに壇上へ上っていく。


 セレスタンの行動に、講堂内にさざ波のような喧騒が立った。

 教師が静かにするように注意をしている声も聞こえる。

 国王がちらりとセレスタンに視線を向けて、諦めるような、重たい溜息をついた。


「……セレスタン、言いたいことがあるのかな?」


 すでに話を通されたあとなのは、フェリクスが言っていたので間違いないだろうが、国王が話を終えると、セレスタンに向かってそう問いかけた。

 セレスタンは「はい」と大きく返事をして、父親の隣に移動すると、講堂内を見渡して大きく声を張り上げる。


「私は今日、ここで、学園に在籍する生徒――いえ、このモンフォート国にふさわしくない行いをする学生の追放を、陛下にお願い申し上げます」


 大きく響いたセレスタンの宣言に、講堂内が蜂の巣をつついたようにうるさくなった。

 驚きに目を見張るもの、まさか自分ではと恐怖に頬を引きつらせるもの、その表情はまちまちだ。


 オルテンシアはそっと息をついて、壇上のセレスタンを見る。

 セレスタンはどうやら、オルテンシアの姿を探していたようだ。講堂の一番奥にいるオルテンシアを見つけて、その口端が持ち上がったのが見えた。


「オルテンシア・シャロン! 今すぐにここへ上がってくるように!」


 オルテンシアの名前に、行動の中が水を打ったように静まり返った。

 隣のクラウディオも、その隣の教師たちも目を見張る中、オルテンシアがゆっくりと立ち上がる。


 講堂内の人間の視線を一身に浴びながら、オルテンシアは、重たい足を叱咤しつつ、壇上へ向かった。

 壇上へ上がると、セレスタンがじろりとオルテンシアを睨み、大声で叫ぶように言う。


「ここにいるオルテンシアは、本日、ルイーザ・レニエ男爵令嬢を階段上から突き落とした! 頭を強く打ったルイーザはこれまでの記憶を失うという大きな障害を負った! オルテンシアが行ったのは、貴族にあるまじき蛮行だ! 父上や私の治世に、このようなものは必要ない! 即刻、身分剥奪の上この国から追放する!」

「…………」


 オルテンシアは何も言えなかった。「やっぱりか」という諦観で胸の中がいっぱいだ。

 オルテンシアはルイーザを突き落としてもいなければ、今日どころか一学期のはじまりからこれまで関わったことすらないが、そんなことは関係ないのだ。これは規定ルートで、プロローグだから、決して逃れることのできないものである。


 だが、何も言わないままでいれば、セレスタンの主張をすべて認めたことになるだろう。オルテンシアの追放が避けられないかもしれないが、せめて、残されたシャロン公爵家の家族が少しでも責められないように、最後の抵抗はすべきかもしれない。


「恐れながら殿下、本日ルイーザ・レニエ男爵令嬢を突き落としたとおっしゃいましたが、いつのお話でしょうか。わたくし、レニエ男爵令嬢どころか、一学年の教室にも近づいておりませんが」

「言い訳をするな! 今日、この全体集会がはじまる前のことだ! ルイーザは一学年の教室のある三階の階段から突き落とされたと言っていた! そなたにな!」

(……ん?)


 オルテンシアはその発言に小さな引っかかりを覚えた。


(ルイーザが言っていた?)


 セレスタンの主張によると、ルイーザは記憶喪失になったということだ。記憶を失っているルイーザが、どうして自分を突き落とした人物の名前を言えるのだろう。もっと言えば、オルテンシアのことも忘れているはずだ。

 しかし、セレスタンはその矛盾には気が付いていないのか、だんだんと興奮に声を上ずらせながら続ける。


「それだけではない! そなたはこれまでにも、ルイーザに度重なる嫌がらせをしていた! ルイーザはそなたのせいで、毎日が怖くて仕方がないと言っていた! 皆の手本となるべく公爵令嬢が、そのような仕打ちをするなど、断じて私は容認できない!」

「……殿下。信じてくださらないでしょうが、わたくし、レニエ男爵令嬢が入学してから今まで、彼女に近づいたことは一度もございません。それどころか、お顔も存じ上げないのですけど……」


 ため息交じりにそう返せば、セレスタンの顔が怒りのためか、真っ赤に染まった。セレスタンの隣に立つ国王は、二人の意見を見極めたいのか、静かな目をして聞いている。


「しらを切るのか! では証明してやる! ルイーザ! こちらへ来い!」


 セレスタンが呼ぶと、ピンク色の髪をした小柄な生徒が壇上に上がってきた。ルイーザ・レニエだ。

 ルイーザはオルテンシアを見て怯えたような顔をし、セレスタンの背後に隠れるようにして立った。


「ルイーザ、そなたはこれまでオルテンシア・シャロン公爵令嬢に嫌がらせをされていたのだろう? 命の危機を何度も感じたとそう言っていたな。今日も、オルテンシアにされたことを教えてくれ」


 するとルイーザは、大きく頷いた。


「はい。入学してから今日まで、わたくしはずっとシャロン公爵令嬢にいじめられていました。今日も……今日もいきなり、階段の上から背中を押されて……気がついたら意識を失って保健室に」

(……はい?)


 オルテンシアは眉を寄せたが、それはセレスタンの隣の国王もそうだった。

 しかしセレスタンはルイーザをかばうように抱きしめて、彼女の発言に大いに同意した。


「そうか、それは怖かっただろう。……オルテンシア、これでもまだ白を切るつもりか!」


 オルテンシアがため息とともに口を開こうとしたその時だった。


「恐れ入りますが、発言をお許しいただけますか?」


 講堂の奥から響いた声に顔を向けると、クラウディオが立ち上がって、こちらへ歩いてくる途中だった。

 セレスタンは眉を寄せたが、国王が「許そう」と許可を出す。

 クラウディオはゆっくりと壇上まで上がってくると、静かにセレスタンとルイーザを見て、言った。


「オルテンシア・シャロン公爵令嬢がレニエ男爵令嬢を突き落としたというお話ですが、それは不可能なことでございます」


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