もう一人の転生者 1
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目を覚ますと、倉庫のような場所の中にいた。
床も壁も板張りで、大きな木箱がたくさん積み上げられている。
潮の香りがして、遠くで海鳥のなく声が聞こえた。
(ここ、どこ?)
体を起こそうとして、動けないことに気づいた。後ろ手で両手が縛られていて、足首にも縄がかけられている。
「お目覚めですか、お嬢様」
声が聞こえてハッと首を巡らせると、すぐ隣にクロエが座っていた。クロエの手足には縄がかけられていない。
「クロエ! どうして!?」
「お嬢様が馬車から出てくるのを待っていたら、いきなり襲われたんです。わたくしはすぐに意識を取り戻しましたが、お嬢様はなかなかお目ざめにならなくて心配いたしました」
クロエは意識を取り戻しはしたが気を失ったふりをしてあたりを窺っていたらしい。
どうやらオルテンシアとクロエは、どこかの港に運ばれたらしかった。ここは荷物置きに使われている倉庫らしい。しかし気を失っているふりをしていたクロエには、周囲の様子をしっかりと伺うことはできなかったようで、場所までは特定できていないという。
「お嬢様は丸一日眠っていらっしゃいましたよ。縄をほどきますから少々お待ちくださいませ」
「どうしてクロエは縛られていないの?」
「お手洗いに行きたいと騒ぎ立てたらほどいてくださいました。この外に見張りがいます。お手洗い場は倉庫とつながっている隣の建物で、残念ながら逃げ出せる雰囲気ではございませんでしたが」
自分の縄がほどかれたタイミングでオルテンシアの縄もほどきたかったが、不用意なことをして再び縄をかけられると嫌だったのでしばらく様子見をしていたらしい。
お手洗いついでに様子を見てきたらどうかと言われて、妙に落ち着いているクロエに納得いかないながらも、オルテンシアは倉庫の入口の戸を叩いた。クロエが言う通り外には見張りがいて、お手洗いに行きたいと言えばあっさり案内してくれる。見張りの大男にトイレに案内されるのはちょっと嫌だったけれど、致し方ない。クロエが言う通り、倉庫の内側の扉からお手洗いのある建物につながっていた。
恥ずかしいから少し離れてくれとオルテンシアが言うと、大男は少し離れてくれたけれど、手洗い場の前でオルテンシアが出てくるのを待つらしい。ものすごい侮辱を受けている気分だった。
(まあいいわ。こんなことに怒っている暇はないもの。……クロエの言う通り、ここから逃げ出せる場所はないわね。見張りを何とかしないと出られないみたいだし。せめてここがどこかわかればいいんだけど……)
見張りの大男は日焼けしていて、いかにも船乗りというがっちりとした体格をしていた。オルテンシアとクロエの腕力では、どうやっても太刀打ちできそうもない。
手洗い場には換気のための小さな窓はあったけれど、人が通れるような大きさではなかった。高い位置にあるので、オルテンシアの身長では窓から外を確かめることもできない。
あまり長時間手洗い場に居座ると訝しがられるので、オルテンシアは仕方なく手洗い場から出る。
再び大男に連れられて倉庫に戻ると、クロエがオルテンシアを縛っていた縄を小さく束ねているところだった。
「なにしてるの?」
「いざというときの武器の確保です」
そう言いながら、クロエはお仕着せのエプロンの大きなポケットに縄を突っ込みはじめる。その途中、思い出したように見覚えのある包みを取り出した。
「襲われそうになった時、咄嗟に隠し持っていたんです。割れていないといいのですが」
それは、オルテンシアが購入したガラスペンだった。
「大丈夫、割れていないみたいよ」
包みを開けてガラスペンを確認したオルテンシアは、ペンを手にふと考える。
「これを使って、外に知らせることはできないかしら?」
包みは紙だ。表には店のロゴが印字されているが、裏は何も書かれていない。ペンを購入するときにインクもセットで購入している。
クロエはポケットに縄をおさめると、オルテンシアの手にあるガラスペンに視線を向ける。
「手紙が書けたとしても、それを届ける手段がありませんよ」
「そうよね……」
名案だと思ったのだが、クロエに指摘された通り、手紙を届ける手段がない。
がっくりと肩を落として、オルテンシアはペンとインクと包み紙をクロエに渡した。
「ポケットがないから、持っていてくれる?」
「もうポケットがパンパンなんですけど……」
クロエは自分のポケットを見下ろしつつ、どうにかしてガラスペンをポケットに入れてくれた。
「でも、いったいどうしてこんなところに運び込まれたのかしらね」
オルテンシアは木箱に背を預けて座ると、はーっと息を吐き出す。
クロエが妙に冷静なおかげか、オルテンシアもあまり気が動転していない。せっせと「いざというとき」のために武器を回収しているクロエを見ていると、そのうち脱出のチャンスが巡ってくるような気がするのだ。
クロエが、声を外に響かせないように配慮しているのか、オルテンシアにぴったりとくっつくようにして座った。
「売り飛ばすそうです」
「そうなの……はい!?」
「わたくしが気を失っているふりをしていたときに、話している声が聞こえました。どこか外国に売り飛ばしてくるように、ダンマルタン伯爵令息が指示を出していました。出来るだけ遠く、足がつかないところにしてほしいと言われていたので、遠距離を航海する船が到着するのを待っているのかと思われます」
モンフォート国は島国だ。周囲を海に覆われている。出来るだけ遠くということは、南の大陸に運び出すつもりかもしれない。東にある大陸まではそれほど距離が離れていないし、北と西の大陸は遠くて、そこまで航海できる大型船はまだ完成していないはずだ。北や西の大陸に向かうには、一度東の大陸に出て陸路を経てから、他国の船を使うしかないが、人を売り飛ばすのにそんなまどろっこしいことをするとは思えない。
(南に売り飛ばす気なら、ある程度港は絞り込めるわね。南の大陸に向かう船が出ている港は、国内に二カ所しかないもの)
クロエは、オルテンシアが一日眠っていたと言っていた。二つの港のうち、一日以内に馬車で到着できる港は、王都の南にあるザントワークで間違いないだろう。
シャルルがどうしてオルテンシアを売り飛ばそうとしているのか考えるのは後回しだ。
ザントワークならば、連絡手段さえ取れれば、父やフェリクスがすぐに駆けつけてくれる距離だ。南の大陸に向かう船は本数が限られる。次の出向まであとどのくらいの時間が残っているのかわからないが、荷物の積み込みもはじまっていないので、少なくともあと数日の猶予はあるはずだ。遠距離航海の船は港に到着した後、最低でも数日は停泊し、荷下ろしと次の荷物の積み込み作業を行う。港に到着してもすぐには出航しない。
売り飛ばす気ならば、オルテンシアたちを殺すつもりはないだろうから、食事も出されると考えていい。お手洗いにも望めば連れていってくれる。どこかにチャンスはあるはずだ。
「クロエ、やっぱりさっきのガラスペンを貸してくれる?」
今のうちに、連絡用の手紙は書いておきたい。チャンスを見つけて誰かに託すのだ。オルテンシアはクロエからガラスペンを受け取ると、包み紙を破って、その裏に簡潔にザントワークに閉じ込められていることを記入した。
クロエがハンカチを出してくれて、ガラスペンのインクを拭い、残った包み紙にペンとインクを包んでクロエに返す。書いた手紙は小さく折りたたんで、胸の谷間に押し込んだ。
(せっかく断罪プロローグを回避できたのに、どこかに売られてなるものですか!)
オルテンシアはぐっと拳を握りしめたオルテンシアは、ふと、意識を失う前にシャルルが言った言葉を思い出した。
(そう言えば……シャルルは、悪役令嬢って、言わなかった?)
聞き間違えでなければおかしな話だ。悪役令嬢なんて、前世の乙女ゲームか小説の中でしか使わないような単語だ。そのことに気づいたオルテンシアは、ぐっと眉を寄せる。
(……すっごく嫌な予感がしてきたわ。よくよく考えてみるといろいろおかしいのよ。わたし、ルイーザをいじめていなかったのに、いじめているって噂されていたし……どうしてルイーザは、あのとき、記憶喪失のふりをしたの?)
最初はゲーム補正だと思って疑っていなかった。しかしプロローグがプロローグ通りに進まなかったのだから、補正がかかっているはずがない。そしてここは現実世界だ。ゲームではない。ここまでは、以前も考えたことだ。だが結局わからなくて、考えるのをやめていた。その答えが、今出た気がする。
(ルイーザは……わたしと同じ転生者?)
もしくはシャルルか、両方か。
そうでなければ悪役令嬢と言う単語が出てくることもおかしい。ルイーザが記憶喪失のふりをしたことも、オルテンシアに危害を加えたと嘘をついたことも頷ける。
(ルイーザとシャルルがつながっているのは間違いないわ。セレスタン殿下の名前を使ったのは、それを言えばわたしが引っかかると思ったからね)
もっと早くルイーザの行動の不可解さの正体に気づいていれば、こんな目に合わなかったかもしれない。過去の自分を叱り飛ばしたい気持ちで、オルテンシアは舌打ちした。