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ヒロインではなく第一王子(攻略対象)が記憶喪失になりました 1

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 学園は王都の北、周囲を人工的に作られた森に囲まれるようにして建っている。


 学び舎は三階建てでとても大きいが、これは一つ一つの教室が大きく作られているからに他ならない。

 貴族の子女と言っても公爵家と男爵家では育った環境がまったく違う。ましてや王族も通う学園だ。基準は王族や公爵家の子女が不快に思わないように建てられている学園は、天井も高く、廊下も教室もとにかく広くとられている。


 王都に邸を所有していない家の子女でも通いやすいよう、学園の裏手には希望者は全員が入れる大きな寮もあった。

 もっとも、王族や公爵家の人間が寮で生活したことは未だかつてないそうだ。寮で生活するのは子爵家や男爵家の子女が多く、中には伯爵家の人間もいるが、侯爵家以上の子女はいない。

 そのため、学園の正門前の近くには、通いの学生たちのために馬車が置ける駐車スペースがある。


(はあ……憂鬱だわ)


 オルテンシアはどんよりした気分で馬車を降り、正門からまっすぐに伸びている石畳の道を学舎に向けてとぼとぼと歩いていた。


「ごきげんよう、オルテンシア様」


 途中何人かの学生に声をかけられたが、皆が一様に、オルテンシアの顔を見てギョッと目を剥く。

 化粧をしていないのがそんなに珍しいのだろうか。


(まあ、化粧だけじゃなくて、表情にも驚いているんでしょうけど)


 いまだかつてないほどの暗い表情で歩いていたら、それは驚くだろう。しかし同じ学び舎に通う仲間とは言っても、公爵令嬢であるオルテンシアに、根掘り葉掘り不躾な質問をする人間はいない。皆、戸惑ったように瞳を揺らし、そそくさと距離を取る。


 二学期の最初の今日は、授業はない。

 それぞれのクラスで、二学期からの選択クラスについて担任から説明を受け、各自カリキュラムを組む。半分ほどが必修科目で、残り半分が選択クラスであるこの学園は、自分で講義を選ぶ前世の大学のスタイルと少し似ていた。もちろん、大学のように午前中だけで帰ったり、逆に朝から晩まで講義を詰め込んだりすることはできない。だが、決められた時間の中では好ある程度好きに授業が選べるのは、前世の高校よりは大学が近い。


 各自カリキュラムを組む時間が一時間ほど与えられ、記入シートを提出した後、三十分の休憩を挟んで全体集会だ。

 学年に関係なく講堂に集められ、国王陛下の話を聞くのである。


 窓際の自身の席から曇天を眺めて、刻々と迫る死刑判決を待つ囚人のような気分でいるオルテンシアの上に、ふと影が落ちた。

 顔をあげると、隣のクラスの婚約者フェリクスが立っている。

 肩をいくらかすぎる長さの黒髪をゆるく一つに束ねているフェリクスも、例に漏れず学園の紺色の制服姿だ。


 生来真面目な性格のフェリクスは、シャツのボタンを第一ボタンまできっちり留めて、息苦しくないのだろうかと心配になるほどしっかりネクタイを締めている。

 十を過ぎるくらいから視力が落ちた彼は常に銀縁の眼鏡をかけていて、そのレンズ越しに、髪と同色の切れ長の瞳で、オルテンシアを冷ややかに見下ろしていた。


 彼は以前からオルテンシアの前で笑わないし、口数も少ないタイプだったが、今日のように冷たい目をするようになったのはいつごろからだろうか。

 オルテンシアがヒロインをいじめているという噂が立つ前からだったから、フェリクスは単に、オルテンシアのことが好きではないのだろう。


 第二妃を母に持つフェリクスは、幼いころから、一歳年下の正妃の産んだ第二王子の補佐をするように育てられていた。

 王位継承順位は生まれた順番ではなく、王が決める。正妃が王子を産んだその日に、王がその王子を王位継承順位一位――すなわち王太子に選んだため、彼はずっと、弟が王位についた時に臣下となるべく育てられた。

 そんな環境で育ったからか、彼は人を威圧するような態度を取ることは少ないが、頭でっかちの堅物に成長し、少々とっつきにくい性格をしている。


「話がある。いいか?」


 休憩ははじまったばかりで、まだ時間はたくさん残っている。講堂までの移動時間を考えるとのんびりすることはできないが、話す時間は充分に取れる。

 婚約者に興味がないフェリクスに珍しく誘われて、オルテンシアは目を丸くしながら頷いた。


「屋上に行こう。そこの方が人が少ない」


 人前では話しにくいことなのだろうか。

 オルテンシアは立ち上がり、フェリクスとともに屋上へ向かった。

 このあと全体集会があるからか、フェリクスの言った通り、屋上にはほかに人の姿はなかった。

 フェリクスは屋上の扉を閉めると、くるりとオルテンシアを振り返り、真面目な顔のまま言った。


「君に聞きたいことがある。セレスタンから聞かされたが、君には少々不穏な噂があるようだ」


 セレスタンというのは、フェリクスの弟の王太子の名前だ。彼も学園に通っていて、一学年の在籍している。


「君は一学年のレニエ男爵令嬢に危害を加えているのか?」


 レニエ男爵令嬢――それはすなわち、『木漏れ日のアムネシア』のヒロインのことだ。ルイーザ・レニエ。ピンク色の髪に大きな茶色の瞳の美少女である。もっとも、オルテンシアが覚えているのはゲームのスチルでのルイーザで、この世界に転生してからは、極力関わるまいと避けまくっていたので、遠目からしか見たことがない。


 オルテンシアはフェリクスの質問にあきれた。そんなことを確かめるために呼び出したのだろうか。オルテンシアは噂のようにルイーザをいじめていないし、近寄ったこともない。だがそれを言ったところで、フェリクスに信じる気があるとは到底思えなかった。だって彼も、ゲームの攻略対象だ。


 ここで何を言っても未来は変わらない気がしたし、下手に否定すれば言い訳とみなされるかもしれない。あまり言いたくないなと口をつぐんでいると、フェリクスが目をすがめてくり返す。


「どうなんだ。はっきりしてくれ。セレスタンは君がレニエ男爵令嬢に危害を加えているとして、君を罰しろと父上――陛下に奏上したそうだ。男爵令嬢のために公爵令嬢を罰しろと言われた陛下は心底困られたが、ここは学び舎。建前上は身分に関係なく学生はみな平等と言うことになっている。君が噂を否定できるだけの材料がなければ、君は罰を受けることになるだろう」


 ほとんど抑揚をつけずにフェリクスが言い切った。抑揚がなさすぎて、まるでセリフの読み合わせのように聞こえてしまい、彼の真意がわからない。フェリクスはオルテンシアを断罪する側で、守る側ではないはずだ。なのに、まるで噂を否定する材料をよこせと言われているようだった。わけがわからない。


「……真実か偽りか、それがフェリクス様に関係ございますか?」


 婚約者とは言っても名ばかりで、フェリクスが今までオルテンシアのために時間を割いたことは一度もない。

 一応、義務のように、最低限のパーティーに出席する彼は、そのときにオルテンシアにパートナーを務めさせるだけで、用事がなければ会いにこようともしなければ、オルテンシアを城に招こうともしないのだ。


 彼と恋人のようにデートをしたことは一度もないし、手紙を送っても色気のまったくない内容が戻ってくる。大半は今学んでいることだったり、彼が興味を持って研究していることだったり、オルテンシアからすれば何も楽しくないものばかりだ。


 フェリクスは真面目なので、話しかければ無視はしないが、会話が続いたためしはないし、オルテンシアと話をするくらいなら本を読んでいるときの方が楽しそうにしている。

 オルテンシアはフェリクスに好かれているとは思えないし、気にかけてもらっているとも思っていない。そんな彼が突然今後のオルテンシアを心配するようなことを言うものだから、混乱したオルテンシアは、つい、そんな可愛げのないことを言ってしまった。


「関係はもちろんある。君は僕の婚約者だ。それが冤罪であるならば、僕は君をかばわなくてはならない」

(かばわなくてはならない、ね)


 まるで義務だ。彼は本当にあきれるほど真面目である。不本意でも立場上はそうするしかないのだろう。


(ゲームじゃあ、オルテンシアがフェリクスにかばわれたシーンなんてなかったけど……まあ、現実世界が僅か数分のプロローグに集約できるはずがないから、その前後に何かあっても不思議じゃないよね)


 何も変わらないだろうが、オルテンシアは一つ息をついて言った。


「わたくしはなにもしておりませんよ。そもそも、レニエ男爵令嬢と言う方を存じません」


 これは嘘ではない。オルテンシアが知るルイーザはゲームの中の彼女だけだ。現実世界では一切かかわりを持っていないから、現実の彼女のことはまったくわからない。


「……ではなぜ、君がレニエ男爵令嬢に危害を加えたという噂が立っているんだ?」

「そんなこと、わたくしの方こそ知りたいですわ。わたくしもいくつか知っておりますが、植木鉢を頭上に落とそうとしてみたり、噴水に突き落としたり、ですか? 植木鉢などそもそも学園には置かれておりませんし、わたくし、授業が終わればすぐに帰宅いたしますから、噴水のある中庭に足を踏み入れたことすらございません」


 学園には花壇はあるが、植木鉢はない。なので、ルイーザの頭上に植木鉢を落としたければ家から持ってくるしかないが、わざわざ人にぶつけるために重たい植木鉢を持ってくるだろうか。

 噴水にしたってそうだ。言った通りオルテンシアは噴水のある中庭に足を踏み入れたことがないし、第一、噴水の周りには、噴水を囲うようにしてベンチが並べられている。ベンチを飛び越えて人一人を噴水の中に突き落とすのは至難の業だろう。腕力に自身のある男性ならともかく、オルテンシアがルイーザを抱えて噴水の中に投げ入れるのは不可能だ。

 そう言えば、フェリクスは僅かに目を見張った。


「確かにな……」

「ほかにも、教科書の間にカッターの刃を仕込んだ、ですか? わたくし、レニエ男爵令嬢の教室を知りませんし、知っていたとしても、いったいいつ仕込むのでしょうか? わたくしにも授業がありますし、教科書は毎日持ち帰ることが義務付けられています。ほかにも、お弁当の中に虫を入れるとか、美術の選択授業中に制服に絵の具をつけるとか、どう考えてもわたくしには無理なことばかりではありませんか」


 オルテンシアは常に食堂で昼食を取っている。ルイーザの弁当なんて知らないし、中に虫が入っていたのならば、それはレニエ男爵家の人間の仕業を一番に疑うべきではないのか。

 第一、一学年違うルイーザと授業がかぶることは絶対ないので、美術の時間に彼女の制服に絵の具をつけることも不可能だ。


「わたくしに確認するまでもなく、少し考えれば不可能だと、わかりませんか?」


 頭がいいのだから考えろよと暗に言ってやると、フェリクスが片手で口元を覆って視線を落とした。


「では、オルテンシアはやっていないのだな?」

「当り前です。だいたい、男爵令嬢を陥れて、わたくしに何の得があるのでしょう」


 オルテンシアは公爵令嬢。女性の立場だけで考えると王女の次に身分の高い立場である。金も身分も持ち合わせていて、ついでに美人ときた。自分で言いうのもなんだが、『木漏れ日のアムネシア』のオルテンシアは、世の中の女性がうらやむ何もかもを手にしているような女性だ。そのオルテンシアが、金も身分も低い男爵令嬢を害して何の得がある。学園に通っていなければ、一生関わることもないかもしれない相手なのに。


「……君の言う通りだ」

「ご理解いただけて光栄です。もうよろしいですか? そろそろ講堂に移動しなければなりませんから」


 いくらここで説明したところで、待ち受ける未来は変わらないと思っている。ならば、無駄なことに時間を使わず、断罪後のことを少しでも考えておきたい。


(家を出るときにお金になりそうな宝石類は少し持ち出して来たけど……ほんと、これからどうなっちゃうのかしらね)


 オルテンシアはフェリクスに一礼して踵を返す。

 しかし、屋上から出て、階段を下りかけたところで、慌てたようにフェリクスが追いかけてきた。


「待て、オルテンシア! ならば、弟が動く前に対策を――」

(対策?)


 そんなものが何になるだろう。

 何か変な展開だなと思いつつ振り返ると、走って追いかけてきたフェリクスが、階段のところで盛大にけつまずいた。

 あ、と思ったときはもう遅かった。

 フェリクスは頭はいいが運動音痴だ。受け身など取れようもない。


「フェリクス様⁉」


 オルテンシアが悲鳴を上げるのと、フェリクスが盛大に階段から転がり落ちるのはほぼ同時。

 転がり落ちたフェリクスに駆け寄るも、頭を打ったのか、彼は気を失っていて――、真っ青になったオルテンシアは、これでもかと声を張り上げた。


「誰か、誰か来てください――――――ッ」


お読みいただきありがとうございます!



本日!!「王太子に婚約破棄されたので、もうバカのふりはやめようと思います」の2巻が発売されました!!

皆さまぜひ、硝音あや先生の素敵すぎるイラストを堪能してください!

(どのイラストも素敵すぎますが、何気にわたしが気に入っているのはP175ページの例のあの人の「むっ」としている顔ですw)


そして、巻末に2本書下ろしを書かせていただきました。

1本はオリヴィアの兄ロナウドのショートストーリー。

もう1本はオリヴィア×サイラスのショートストーリーです。こちらは、ちょっぴりイチャイチャさせてみました。

どうぞよろしくお願いいたします!



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