プロローグ
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ついに来てしまった――
オルテンシア・シャロンの気分は、窓から見上げた空のように、重たい灰色の中にあった。
窓ガラスに映る自分は、艶々の銀髪をゴージャスに巻いて、サファイアのような綺麗な青い瞳をしている。最高級の化粧品で手入れをされた肌はシミ一つなく滑らかで、定期的に蜂蜜でパックしているサクランボ色の唇はみずみずしくてぷるぷるだ。
小さな顔に大きな瞳。長い睫毛。
ガラスに映る自分にそっと指先で触れて、オルテンシアははーっと大きなため息を吐いた。
(ついに来た、断罪エンド……いえ、ゲーム的には断罪プロローグ……!)
ぐ、っと奥歯を噛んで、顔をしかめれば、十七歳と言う年の割には大人びて見えるすましたオルテンシアの顔が、年相応に幼く崩れる。
オルテンシア・シャロンは、この国――モンフォート国の公爵令嬢である。
五家ある公爵家の一つのシャロン家に生まれたオルテンシアは、小さいころからそれはそれは大切に育てられた。
祖母が当時の王の妹で、現王の叔母にあたることから、王家とのつながりも厚く、八歳のときに同じ年の、第二妃の産んだ第一王子フェリクスとの婚約がまとまると、オルテンシアの扱いはまるで国宝のティアラを扱うように慎重になった。
誰もが傅き、兄や両親たちから愛されて形成されたオルテンシアの人格にはいろいろと問題があったが、少なくとも、世界が自分のために回っているかのように、何も不可能などないような生活だったの確かだ。
だが、それも、十七歳の誕生日――今から、五か月前までのことだった。
この国には、十五歳から十八歳までの貴族の子女が通う学園がある。
もちろんオルテンシアもこの学園に例外なく通っており、現在は二学年に在籍中だ。
ちょうど始業式がはじまる一日前がオルテンシアの誕生日で、婚約者である第一王子が誕生日に会いに来られないという手紙を送りつけてきて憤っていたときのことだった。
フェリクスは、婚約者であるオルテンシアに冷淡すぎる。
腹を立てたオルテンシアが、メイドの一人に当たり散らしながら庭を歩いていた時、それは起こった。
激怒していたからか注意散漫になっていたオルテンシアは、庭の小さな段差にけつまずいて、すっころんだ。それはもう、見事に、手で防御する暇もなく、頭から地面に倒れて、意識が吹っ飛んだ。
そして目を覚まし、愕然としたのだ。
(ここ、『木漏れ日のアムネシア』だあッ!)
記憶を失ったものが、頭を打った衝撃で記憶を取り戻すという話はよく聞くけれど、まさか、頭を打った瞬間に『前世の記憶』を取り戻すとは思わなかった。
そう、オルテンシアは、頭を強打したせいで生まれる前の記憶を思い出し、そしてあろうことか、ここが前世で好きだった恋愛シミュレーションゲーム『木漏れ日のアムネシア』の中であると知ったのである。
しかしオルテンシアの悪夢はこれだけではなかった。
この『木漏れ日のアムネシア』は、ヒロインが男爵家の令嬢で、タイトルの通り彼女が記憶喪失になるゲームである。
ゲームのプロローグでヒロインが記憶喪失となり、ヒロインに心を寄せている四人の攻略対象が、彼女の記憶を取り戻そうと奮闘する物語である。
ゲーム開始時に攻略するキャラクターを選べるので、四人がヒロインの心を寄せて、どろどろの恋愛劇場になることはなく、ストーリーも四人とも別のものが用意されているが、一つだけ、誰を選んでも必ず起こる共通のエピソードがある。
それが、プロローグだ。
普通、恋愛シミュレーションゲームにおいて、悪役令嬢はゲームの途中にヒロインを陥れ、ゲーム終盤で断罪されるのが既定路線だろう。
だが、『木漏れ日のアムネシア』は違う。
悪役令嬢はゲームのプロローグに登場し、ヒロインが記憶喪失となる原因を作って、さっさと断罪されて退場する。
そう、どのルートを選んでも、絶対に断罪されてしまう悪役令嬢――、それがなんと、オルテンシアなのだ。
これが悪夢でなかったらなんなのか。
どうあっても、絶対に断罪される人間に生まれ変わったなんて、神様はなんて意地悪なのだろう。
ヒロインである男爵令嬢は、一学年下で、オルテンシアが二学年の時に入学する。
ヒロインは男爵家出身でありながら、母親が平民のため、貴族のマナーに疎く、上下関係をうまく理解しないままこの学園に入学した。
オルテンシアはそんな礼儀知らずの男爵令嬢をよく思わず、取り巻きとともにヒロインをいじめる。
そして二学期がはじまる日、ヒロインを階段から突き落としてしまうのだ。
階段から突き落とされたヒロインは頭を打って記憶喪失になり、それを知った攻略対象は大激怒。その中には、オルテンシアの婚約者であるフェリクスもいる。
始業式の日には学園の理事長でもある国王が挨拶をする全体集会があるが、その席で、オルテンシアはヒロインに危害を加えたものとして、国王と全校生徒の前で断罪され、学園を退学させられる。それどころか、フェリクスとの婚約は破棄され、国外追放と言う憂き目にあうのだ。
正直言って、男爵令嬢を害しただけで公爵令嬢を婚約破棄の上に国外追放と言うのはやりすぎだと思うのだが、そこはゲームなのだから突っ込んだって仕方がない。
ともかく、オルテンシアは悪役令嬢で、断罪されて追放される。最悪だ。
これがゲームの規定ルートなら、オルテンシアがどれだけあがこうとも無駄だろうが、せめて断罪から逃れるための言い訳は用意しておこうと、ヒロインには決して近づかないようにしようとすごしてきた。
ヒロインがいるところには近づかない。姿を見かけたら即逃げる。それを繰り返し、一度も接触せずに一学期を終えたのに――どういうわけか、学園内にはオルテンシアがヒロインをいじめているという妙な噂が立っている。
(ああ、詰んだ……)
関わっていないのに、オルテンシアが危害を加えたことになっているのは、ゲームの補正なのだろうか。
ゲーム補正があるなら、オルテンシアが今日断罪されるのも既定路線。
もう、諦めるしかない。
「お嬢様、髪型はどうされますか?」
ぼんやり空を眺めていたら、侍女のクロエが両手にリボンを持って訊ねてきた。
すでに、髪の毛はいつも通りのくるくるのゴージャスな縦ロールに巻かれたが、なんだかもう、どうでもいい。
「もういいわ、面倒くさいし」
オルテンシアが投げやりにそう言うと、クロエは目を見張った。
「よろしんですか?」
「うん。というか、この髪もばっさり切っちゃいたいわね。長くて重たいもん」
どうせ明日には国外追放だ。生きていくだけで精いっぱいになるのに、長くて綺麗な髪なんて邪魔なだけ。
「化粧とか面倒くさいし、もうこのままで行くからいいわ」
「……はあ、お嬢様がそうおっしゃるなら構いませんが……」
クロエはどこか諦めたような顔をしている。
五か月前に頭を打ってから、オルテンシアが変わったというのは邸の使用人たちのもっぱらの噂だ。
当然である。記憶を取り戻すと同時に、人格も前世に引っ張られてころっと変わってしまったのである。
オルテンシアだった記憶はあるし、そのころの感情もすべて残っているが、前世の記憶を思い出したからか、以前のように女王様のようにふるまうことはどうしてもできない。
おしゃれに興味がないわけではないが、美しさで他者を圧倒してやろうなどと言うこれまでの気概はどうしても持てない。
特に今日にいたっては、気合を入れても断罪が待っているだけなのだから、むしろ滑稽さが際立つのがおちだ。
(はー。追放って、どこに追放されるんだろ。そういえば、ゲームではそのあたり詳しい説明がなかったなあ)
身一つで追放だ。一人で生きていく自信はないから、おそらく、女子修道院あたりを訊ねて、そこに拾ってもらうしかないだろう。
(こんなことなら、隣国の適当な修道院に目星をつけておくんだったな)
修道院は、場所によって天と地ほども環境に差があるらしい。
修道院が建っている領地によって、寄付額が大きく異なるのだそうだ。寄付の少ない修道院を選ぶと、生活が非常に苦しくなる。逆に寄付の多い修道院だと、食べるものにも着るものにも困らず、そこそこ豊かな暮しができるという。
どうあっても逃げられない運命なら、早いところ諦めて修道院を探しておけばよかった。いっそのこと、今日が来る前に家出して、目星をつけた修道院に逃げ込めば、衆人環視の中で恥をかかなくてすんだかもしれない。どうして気が付かなかったのだろう。
「お嬢様。そろそろ着替えなくては間に合いませんよ」
クロエに急かされて、重たい足を引きずるように、オルテンシアは窓から離れた。
クロエに手伝ってもらって、紺色の、学園の制服に身を包む。
断罪だとげんなりしながら向かった学園で、まさか、思いもよらぬ事態に巻き込まれることになるとは、この時のオルテンシアは予想だにしなかった。
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