叔父さまはこんな方でした その7
しかしながら男に甘かった兄は、もう遠い過去の人です。
もしも男が領地に留まり兄の側で働いていたら、おそらく今でも兄は男を甘やかしてくれていたことでしょう。
王都に逃げることに決めたあの日、男は兄と決別し、自立していく道を選ぶべきだったのです。
しかし、男はただ逃げただけで、自分の人生そのものを見詰めることがありませんでした。
いくら兄が弟を可愛がっていたとしても。
甘やかすことの出来る範囲というものがあります。
領地であればなんとでも出来たことも、遠くの王都で他家に迷惑を掛けたとなれば、男に罰を与えずに救うことは出来ません。
少し考えれば分かることでしたが、辺境伯の名を出すと王都の貴族たちが皆一様に良くしてくれたものですから、男は兄の持つ権力をはき違えてしまったのです。
だからこんな状況下でも、兄が助けてくれると信じられていました。
「嘘なんて言っていないよ。母上も言っていただろう?貴族院にも除籍届は提出済みで、おじさんは辺境伯家とは何の関係もない人間なんだよ」
「嘘だ!」
「嘘じゃないんだなぁ、これが。おじさんもそろそろ現実を見ないといけないね」
「嘘だ!嘘を吐くな!」
「はいはい。叫ばなくても聞こえるからね。それで僕がここに来たのは、おじさんを引き取るためだよ。おじさんの処理は辺境伯領で行うことになったからね」
一瞬はほっとした男でしたが。
「おじさんはこれから領地に戻って、死ぬまでただ働きだ」
「ふざけるな!この私がただ働きだと?」
男はカッとなって叫んでおりました。
まだ目の前の若者と大いなる身分差がある現実を受け止められません。
「おかしいな。これで済んだことにお礼を言って欲しいところなんだけど」
「馬鹿にするな!本当のことを言え!兄は何と言っている!」
青年がふぅっと息を吐いたあとのことです。
憤っていた男の顔があっという間に引き攣ります。
かつて感じたことのある気配に、男は本能的に身を固めていたのです。
「あんたたちの件で、こっちがいくら払ったと思っている?あんたの妻も娘たちもやらかしてくれたおかげで、うちは方々に慰謝料を払うことになった。これが我が家じゃなかったら、今頃お取り潰しになっていただろうよ。当主だけでなく僕の首だって怪しいものだ。あんたはそれを分かっているか?」
男は声が出せませんでした。
ぴんと張り詰めた空気が男の全身の肌を刺していたからです。
「ま、うちはいかなる有事にも対応出来るよう蓄えてはいる方だけれど。だとしても、あんたら一家のために無駄な金を使う余裕はないわけだよ。他国から付け込まれる隙になってもいけないからね。というわけで、全額その身で払って貰うことにした。働き先は鉱山に決まったからそのつもりで」
「鉱山だと?」
やっと絞り出せた男の声は震えています。
正規に雇用された労働者もいますが、鉱山で働く者の多くは捕虜や犯罪者です。
そんな場所に何故当主の弟である自分が行かなければならないのか、心中では叫んでいるのですが、目の前の青年が怖ろしく男は声が出ませんでした。
「先に言っておいてあげるよ。もしこれが不服なら、今すぐそう言えばいい。それならあんたは王家管理の鉱山行きだ」
いずれにせよ行先は鉱山ではないか!
やはり男は心中でだけ、そう叫ぶことになりました。
「僕としてはどちらでも良かったんだけどね。ほら、父上って身内を側に置きたがるから」
なんだ、やはり兄は私を見捨てていなかったではないか。
男がほっと安堵したのは、束の間の出来事でした。
「愚かだねぇ。今、父上に助けて貰えると思ったでしょう?」
男は聞き返すことも出来ませんでした。
どうか、そうであって欲しいと願いながらも、答えが怖ろしくて聞くことも叶いません。
けれども無情にも青年は事実を伝えてきます。
「父上はこう言っていたよ。せめて最後は辺境伯領で──」
賢くはない男ですが、甥の言った意味を理解することは出来ました。
しかし心は理解を拒絶します。
嘘だ。そんなはずはない。
どうせまた泣きながらも許してくれる。
男はまだ信じています。
あれだけ厭うた兄であるのに、最後に頼る先は兄なのだという自覚もなく。
兄だけは助けてくれるはずだ。
そう信じて、立派に育った甥から目を逸らすのでした。