叔父さまはこんな方でした その1
「どうして私ばかりがこんな目にっ!」
叫んだ男は、辺境伯の弟でした。
過去形であるのは、本当にそれが過去となったからです。
辺境伯家を代表して王都に入り、重要な任務を与えられていたはずの男は、あろうことか最初から辺境伯当主を陥れることしか考えておらず、そのうえ王都の誘惑に魅了されて自ら落ちていき、ついには辺境伯家から除籍され、兄弟の縁を切られてしまったのでした。
そんな男は、しかも王家から罪に問われ、ただいま牢屋の中です。
男は少し前に面会に来た女を思い出して、醜く顔を歪めておりました。
「お痛が過ぎましたね。お小遣いの範囲における散財程度ならあなたに甘い伯は見逃してくださいましたのに」
「可愛い噂話でしたから、わたくしも寛大に許して差し上げておりましたのよ?我が家のために利用出来ましたからね。うふふ」
「されどさすがに伯を騙っては見過ごせませんわ。他家を惑わし、あろうことか王家にまで軍事費を請求するなんて」
「愚物など見飽きたわたくしですが、ここまでの愚物は知りませんことよ」
男は何度も脳内で繰り返される女の声と、通常扇から鳴るはずの無い音に、頭を抱えて唸り声を上げます。
辺境伯家の次男である自分に対し、兄の夫人になる前から一貫した態度を示してきたこの義姉を、この男は徹底的に嫌い避け続けてきたのです。
それがこんな屈辱的な状況下での再会となってしまったものですから。
夫人がこれまでの不敬を詫びて擦り寄ってくる日を待ち望んできた男には、何度も思い出して叫んでしまうほどに、それは恥ずかしく悔しい出来事でした。
「どうしてだ!どうして私ばかりがこんな目に合う!」
男はここに来てからというもの、似たようなことばかり叫んでいます。
牢屋といっても、男がいるのは貴族用の牢で、庶民の家よりもずっと広い部屋の中でした。
食事は運んでくれる者がおりますし、質素ではありますが、庶民の食事としてはかなりいいもので、それも冷めた料理ではありません。
そのうえ身体を清めるための水も布巾も毎日支給されていて、ベッドはありませんが包まる毛布も与えれているのです。
苦労をしているそこらの庶民たちよりずっと快適な暮らしをしているのですが。
男はそこにある恩恵や配慮には、何ひとつ気付くことが出来ませんでした。
もっと広い屋敷で、使用人に世話をされて当然の身の上であった彼にとっては、この環境もまた屈辱なのです。
「くそっ!母上はどうして私を二番目に産んだのだ!私を一番にすれば!そうすれば、あの忌々しい兄など早々に遠くの砦に飛ばしてやったというのにっ!全部母上のせいだ!」
ここまで来ると逆恨みも甚だしいと初めて聞く者でも眉を顰めてしまう話ですが、この男はある時点からずっとこうだったので、この思考が真面であると信じています。
だから牢の外で見張り役の騎士が聞いていても、おかまいなしで叫ぶのです。
「私の方が顔も良く、背も高く、当主らしいではないか!なのに何故!ただ少し早く産まれたあんな奴に当主の座を奪われなければならない!」
独り言でも、いいところが二つしか出て来ないあたりに、自分が当主に向かないという証明が示されているのですが。
これを真直ぐに受け止めらない男には、自分のことも、そして兄のことも、正しく見定めることが出来ませんでした。
「だいたいあの兄に当主が出来ているわけがなかろう!どうせあの馬鹿力で人を脅し、自分のために働かせているに違いない!」
確かに彼の兄は、一般的な領主という意味では出来た男ではありませんでした。
しかしながら、辺境伯という立場においては別です。
広く国境と接する辺境伯領は、隣国との火種を抱えた危険と隣り合わせの領地でありました。
そのため辺境伯は、通常の領地経営だけをする当主では困るのです。
その点において、当代の辺境伯は優れた人物でした。
敵を前にしたときの、瞬時に状況を把握する観察力や洞察力。
敵の動きを見据えたうえで、先回りして的確な指示を出す判断力。
有事に人をまとめ指揮する強いリーダシップに、彼自身が武人としての能力に長けている点。
戦においてはどれを取っても、辺境伯当主に相応しい男でありました。
彼が当主になってからというもの、荒くれ者揃いの隣国側の国境を守る騎士たちが、あんなにあった戦意を喪失し、おとなしくなっているのですから、それもまた彼が当主として相応しい男であると証明しています。
どうも聞くところ、隣国の騎士たちが恐れる相手は、辺境伯当主夫妻のようですが。
いずれにせよ、この通り彼の辺境伯当主としての適性は疑いようのないものでした。
ただ一人、いえ一人とその家族を除いては──。