56.また新しいお作法を見付けました
誰も私がジンに抱き締められていることには触れませんでした。
膝に乗っている時点で今さらということかしら。
私には何も起きていないように、話まで進んでいきます。
「そしてこの二人は、ジンにその気がないと分かると、嘘を並べて自分たちを第二夫人、第三夫人にするように侯爵に強要したということなんだ」
「これでお前たちは私に虚偽を伝えたことになるが──どうするつもりだ?」
ハルとジンが立て続けにそう言うと、ひぃっと怯える声が聞かれたのです。
けれどもさすがはレーネ、冷静になるのも早かった。
「お許しくださいませ。侯爵様を欺こうと思ったわけではないのです。わたくし、どうしてもミシェルお姉さまと離れることが辛くて、悲しくて──」
レーネはどこからかハンカチを出して目元を押さえたのです。
私と離れることが辛くて、悲しい……?
レーネはほとんど王都にいましたが、それは辛いことだったのでしょうか?
いつも嬉しそうに領地から王都へと旅立っていきましたが、悲しく思ってくれていたのかしら?
「そうですわ。わたくしたち、どうしてもミシェルお姉さまと離れがたくて」
ミーネまでそう言って、従姉妹たちは二人で見詰め合い手を取り合うようなことをしていました。
それからミーネがさらに言います。
「ねぇ、侯爵様。わたくしたちもミシェルお姉さまと一緒に妻として迎えてくださらないかしら?そうすればミシェルお姉さまだって嬉しいはずよ。ねぇ、そうよね、ミシェルお姉さま?」
嬉しい……と思った方が良さそうです。
ジンがこの二人も妻にして嬉し……くなるのかしら?
「喜ばなくていい。というか、そこは嘆いてくれ」
私の耳元で囁くジンを見て、ハルが笑い出しました。
そんなハルの陽気な笑い声が部屋に響くなかで、レーネが目元をハンカチで拭いながら言うのです。
「酷いわ、ミシェルお姉さま。わたくしたちと一緒にいたくないと仰るの?」
「そんな──」
「私が妻は一人だと言っているんだ。それ以上に何を望む?」
そんなことはないと伝えるつもりが、またジンに言葉を遮られてしまいました。
瞬時に変えた見事な低い声です。
「ひっ──ですが、わたくしたちはミシェルお姉さまと──」
「私の話を聞いていなかったのか?だがもういい。迎えが来たのだから、早々に我が領地から出て行って貰おう」
「そんな──」
「君たち、どうして僕がここにいるか、本当は分かっているんだよね?」
ハルが言うと、レーネとミーネの顔色が青褪めます。
つまりハルは本当にレーネとミーネを迎えに来たということなのね?
でもそれはどういうことかしら?
はっ。もしかしてハルが二人を妻に──。
「うん、違うからね、ミシェル。僕が不快だから、それ以上の想像はやめてくれる?」
こちらを見るハルの目が笑っていません。
室内光を集めたその輝きは、人から光を奪い続けた後のように冷たく光ります。
これは本気で怒っているときの目だわ!
「ごめんなさい。私とし──」
「不快とはなんだ、不快とは。言い方ってものがあろう?」
また私は最後まで言えませんでした。
「君に言われたくないんだけど?」
「ミシェルのことは私のことだ。何人たりとも私の妻を冷遇することは許さん」
「なんだよ、冷遇って。君だって、ミシェルがこんなのを第二夫人、第三夫人にするところを想像したら──」
「や、め、ろ」
低い声で一語一語を切りながらゆっくりとジンは言いました。
するとハルはまた笑い出すのです。
どうしましょう。
ハルが笑い出すきっかけが読めません。
ついさっき怒っていたような気がするのですが。
それからしばらくの間、応接室にはハルの愉快な笑い声ばかりが響いておりました。
レーネとミーネはどうしていたかというと、私をきつく睨み付けていたのです。
目元を拭っていたはずのレーネのハンカチは、いつの間にか彼女の口元に添えられておりました。
ハンカチの端を噛んでいるように見えるのですが、あれも王都で最新のお作法かしら?




