37.身体も夫人らしくを拒みました
息を吸い込む微かな音がして、その直後にユージーン様がやっと言葉を掛けてくださいました。
「謝罪は要らないよ。ミシェル。私は感謝をしている」
言葉を区切りながら、ユージーン様はゆったりとそう言いました。
感謝されるようなことは、まだひとつも出来ていないと思うのですが。
「嫌がらずこんな遠くの地に嫁いできてくれて、ありがとう」
侍女からも聞いていた言葉です。
繋がれた手はじんわりと温かくて。
どうしてか、お顔を見たいと思いました。
背を向けているのは、本当は昨夜の失態を怒っているからですか?
それとももう無能な夫人は要らないでしょうか?
「王命なんてものを使って悪かったと思っている」
何故ユージーン様が謝るのでしょうか?
王命を出されたのは国王陛下です。
王都から遠く離れた領地を持つ貴族ほど、領内で結婚相手を選ぶ方が多く、あるいはお隣の領地の方と縁付きますが、それでは血が濃くなりすぎること、また貴族間の交流が偏る弊害など、様々な懸念事項を並べた結果、これからは王家が遠くの領地を持つ貴族同士を積極的に繋いでいこう、そういうお話の元に今回の結婚の命が出たと聞いておりました。
ですからユージーン様も私と同じように王命として粛々とこの結婚を受け入れたはずなのです。
「自分でも卑怯な手を使ったものだと。恥ずかしく思うことはあるんだ。だけどな、ミシェル」
卑怯な手?
どうしましょう?
ユージーン様が何のお話をしているのかが分かりません。
これは私の知らない形でのお説教でしょうか?
「どうしても──諦められなかった」
諦められなかった?
王命が卑怯な手で、王命を受けたことが恥で……。
つまり本当はこの結婚を望んでいなかった、私とは結婚しない未来をどうしても諦められなかった、そういうお話でしょうか?
だから無能は要らないと?
理論が破綻しているようで、なんだか釈然としませんが。
だめです。分かりません。
せめて──。
「ユージーン様。お顔を見てはいけませんか?」
「──しばし待ってくれ」
失礼なお願いだったでしょうか?
「ミシェルは本当に──その──誰かひとりを想い続けていることを気持ち悪いとは思わないか?」
大変です。
本格的な迷宮に入りました。
ユージーン様は一体何のお話をされているのでしょう?
誰かひとり?それは貴族らしい何かの暗喩かしら?
何にも分かりませんが。
とりあえず、そのままに受け取って答えてみます。
「思いませんが……?」
「そうか──では──」
私はなんとここでも恥を重ねてしまったのです。
ぐーっとそれは大きな音が私のお腹から聴こえました。
なんてことっ!
ユージーン様は声を上げて笑います。
うぅ……笑ってくださる方が有難いとは思います。そう思いますが……恥ずかしいっ。
「そうだな。昨夜は夕食も取れなかったのだ。身支度を整え、まずは朝食としよう。話の続きは食後にするか」
「いえ、このままお聞き出来ます」
「私がそうしたいのだ。こんな風に顔を見ずに言うのは失礼だった──すまない、ミシェル」
何を謝っているのかも分かりませんでしたが、やっとユージーン様は振り返ってくれました。
あら?
目の下に影があるような。
思わず自由な方の手を伸ばしたら、ユージーン様がびくっと身体を揺らします。
「ごめんなさい。お顔色が気になったもので」
「いや、違うんだ。構わない。どんどん触ってくれ。むしろだいかん────違うっ!」
触ってはいけないということですね?
私は急いで手を引きました。いけませんわ、夫人らしく、夫人らしく。
「あぁ──その──な。うん、これもあとにするか」
よく分かりませんでしたが。
ユージーン様は朝からとびきり明るい笑顔を見せてくださいました。
怒っていないようで嬉しくもなりましたが、それは不思議なほどに安心する笑顔だったのです。
誰かに似ている……そうです、この笑顔はアルに近いものがありますね!
「うん、何故だろうな。それは違うと言いたい気分だ」
何か間違えたみたいです。
しゅんと気落ちしてしまいましたら、頭を撫でられておりました。
ユージーン様はまた笑っておられます。
そのお顔色が先ほどよりもずっと良くなったように見えました。
こんなに早く回復されるとしたら、ユージーン様があのお医者様から稀に見るほどの健康体として認められていることも分かりますね。
心配したくなる症状のすべてが癖というのは、本当でした。
あら?またお顔色が赤く変わっているような……。
「着替えをっ。侍女たちに手伝うよう頼んでおくからなっ。また後で迎えに来る!」
ユージーン様はさっと立ち上がって、駆け足で廊下側の扉から出て行かれてしまいました。
急にどうされたのかしら?
どうしても出入りで違う扉を使われますと、気になってしまいますねぇ。
ユージーン様は違うところから出ていくことに、むずむずするようなことはないのでしょうか。




