32.お役に立てたこともあるのです
「奥様、紅茶のお代わりはいかがですか?」
はっ。私としましたことが。
夫人らしからず、商売のことなど考えてしまいました。
向いていないことを考えるなと、母からはよく言われておりましたのに。
姉さまには商才がないと思うよ、とアルにまでばっさり言われたこともございます。
そして故郷の侍女たちからは、嫁ぎ先ではどうか商売について忘れてお過ごしください、と言われておりましたね。一般的に貴族の夫人はそのようなことを考えないそうです。
でも稀に故郷では感謝されることもあったのですよ。
これは売れそうというものを森で拾って持ち帰ったときなんかに。
削ったら武器になりそうな大きな固い石を持ち帰ったときには、あの父からもご褒美を貰ったくらいです。
あのときばかりは母も褒めてくださいましたし、アルも絶賛してくれていたはずですのに。
そんなことがあったものですから、あれ以来ついついこれは売れるのでは?と考える癖がついてしまいまして。
誰かのお役に立てることは嬉しいですからね。
売れる物が沢山あると、人は喜ぶものなのです。
ですが今は侯爵夫人。
すまし顔で残りの紅茶を頂きまして、空になったカップを預けます。
「お願いするわ」
そう、今度は紅茶です。
ラベンダー入りのお茶ばかり飲むわけではないと言ったら、普通の紅茶が出て来ました。
ラベンダーのお菓子にラベンダーのお茶では、さすがにね。
それも好きですけれど。
口の中がラベンダー尽くしになって、早々に寝てしまうことになります。
特にこの時間のラベンダーは危険です。
安眠効果で深く寝入ってしまい、夕食を逃す危機を招く可能性がありますから。
「奥様。ご安心くださいませ。ご夕食のときには私たちが必ず起こしますからね」
「そうですよ。ですからお休みしていただいて構いませんよ?」
いえいえ、大丈夫です。
夫人として初日といえる今日からさっそくお昼寝だなんて。まさかそのようなことは。
起きてからそう長く時間も経っておりませんし。
そのうえ今日はまだ食べるか、歩くか、食べるかしかしていないではありませんか。
そういえば、侯爵夫人のお仕事について何も聞いておりませんでした。
ユージーン様がお仕事から戻られましたら確認することにいたしましょう。
お忙しいようですし、私にも何か手伝えたら良いのですが。
「ミシェル!」
廊下から大きな声が聞こえました。
なんて素敵なタイミングなのでしょう。
ちょうど私もユージーン様のことを考えていたところです。
「一人にしてすまない」
いえ、この通り一人ではございませんよ?
そしてユージーン様の足はここでも速かったです。
部屋の扉からここまでの短い距離を、そんなに早く移動することはないと思うのですが。
こう長い足で大股にずかずかと勢いよく近付いてこられますと、どうしても身構えてしまいます。
それなのに不快な足音はしないという不思議。
それがさらに私に危機感を誘うのです。
いつか何かしてしまうのではないかと、心配ですね。
心して耐えなければ。
「食べ終えてしまったか」
そういうことですか!
お腹が空いて待ち切れなかったと。
これは大変です!
「申し訳ありません。ユージーン様の分を残しておか──」
「違う、そうではない」
また同じ言葉を聞くことになろうとは。
もしかして若い男性がよく使う言葉だったりするのかしら?
「ただ──ただな、共に食べたかったなと」
「ごめんなさい、お待ちしていれば良かったですね」
「いや、それも違う。君は何も悪くなくてだな──その──」
「旦那様、まだ沢山残ってございますよ」
さらっと口を挟んだマリーは、お菓子をたっぷりと乗せた新しいお皿を持って来てくれました。
お腹がいっぱいのはずだったのですけれど……まだまだいけます。
お腹がこんなに膨らんでおりますのに、目の前で見てしまうとまた食べたくなってくるから不思議です。
「ふっ。まだ食べられるなら、共に食べよう」
「はいっ!いただきます!」
私は昨夜の失敗をすでに忘れていたのでした。
まだおやつの時間ですのに。
これから楽しみな夕食も待っておりますのに。