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【完結】あなたを愛するつもりはないと言いましたとも  作者: 春風由実
本編

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25/96

25.ついにあの怪物を


 急に侯爵様がごほんと咳をしました。


 昨日も何度か咳をなさっておりましたが、本当に身体は大丈夫なのでしょうか?


「私は健康だから心配はいらない。これも癖だ。話を戻していいな?」


 もちろんです。元気なら何も言うことはございません。お話をお願いします。


「どこにいても昨夜のように気安く話してくれて構わない。我が領は君のところと似ていて、そう作法にうるさい者はいないからな。おかげで私もこの通りだ」


 こちらには私の専属でない侍女も沢山顔を見せておりますが……本当によろしいので?


「邸の中では、いや、我が領地のどこでも、気楽にしてくれて構わない」


 本当にいいのでしょうか?

 なんだか心配になってきました。


「昨日会った親戚たちはどうだ?私と変わらなかっただろう?」


 そう……でしたかね?

 お顔もお言葉も覚えていますが。


「女性たちも気安く話していたと思ったが、違ったか?」


 そう……ですかね。

 うーん。従姉妹たちほど令嬢らしい言葉はなかった気もしますが。


 女性の方が、初対面ということもあって、おそらくですが他家から嫁いできた私のためにも、言葉をよく選ばれていたように感じます。


 確かに男性の中には、ベロベロに酔って、私には理解出来ない言葉を発した方も……あのときは途中で侯爵様に耳を塞がれたのでしたね。

 そしてその男性は連れの方に引き摺られていきました。


 あの方、あれからどうしたかしら?


「すまない。昨夜の失態は忘れてくれ。とにかく、ここでも領地のように君らしく過ごして欲しい」


「分かりました。ではお言葉に甘えます」


「うん」


 こういう柔らかい笑顔はいいと思います。

 あの渋いお顔も嫌いではありませんが、こうして笑われた方が安心出来るのです。


 というわけで、許可を得ましたけれど。

 少しは夫人として頑張ってみたいのですが、どうしましょうか。


 考えながら、魚と思わしき白い物体を口に運ぼうとしていました。


「その貝も美味しいぞ」


 これは貝でしたか。川にもいますから見たことはございます。

 さっそく口に含みますと、コリコリとした触感を楽しめました。


「本当です。美味しいっ!」


「うん、そっちの端が赤いのは蛸だ」


「これがっ!あの蛸ですの?」


 まぁ、大変です。

 長年絵で見てきたあの怪物っ!


 怪物が……このような薄い存在に。

 怪物ですのに……ペラペラね。


 白く美しい見目をしながら淵だけが不気味に赤いところは怪物らしいかしら。淵の歪な形も奇怪ではあるわね。


 今度は少し緊張して口に含みますと……不思議ですね。

 先ほどの貝と同じ味がしました。


 食感を楽しむものでしょうか。

 こちらは貝よりも少し柔らかかったのですが、はじめに食べたお魚のように蕩けることはありません。


 むっ。弾力がありますね?

 怪物だけあってしぶとい、いえ面白い食感です。


 けれども噛むほど出汁がしみだして来るような、味わいのあるものではありませんでした。

 怪物らしい強烈な味がするかとどきどきしておりましたのに。


「蛸はそうでもなかったか?」


「いえ、とても美味しいのですが。もしや海の生き物には味がしないものなのでしょうか?」


「ふむ。そう言われてみれば、味の強くない淡白なものが多いやもしれん。合わせてある海藻にも味はないな。いや、しかし全部ではない……」


 そうです。この草。

 こちらもコリコリとした草らしからぬ食感が不思議ですが、お味は一緒でした。


 それから玉ねぎは変わらず使うようですね。辛みのあるお味は故郷のものと一緒で安心します。


 そしてすべてがさっぱりとしたソースとよく合っていて、とても美味しいのです。

 このソースがあれば、肉も魚もお野菜もなんでも美味しくなると思いました。

 故郷に持ち帰りたくなるソースです。

 いえ、帰る予定はございませんし、今さら帰ることになっても困りますが。


「貝も蛸も他の食べ方があるから、嫌いでなければこれから試してくれ。それから強い味のある海産物もあるが、そちらも後で出て来るだろう」


「はい、楽しみにしていますっ!」


 つい力強く答えてしまいました。

 侯爵様は笑います。


 どうやら本当に、貴族らしくしなくてもいいみたいです。

 また気が緩んできましたねぇ。


 本当にいいのかしら?

 これは私を油断させて試している、なんてことであとで後悔……。


「私も気楽な方が有難いんだ。君とはかつ──これから気安い仲になりたいと思っている」


「では、お言葉に甘えます」


「うん。敬語もなくていいからな」


 それは……私が困りますね。




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