赤い狼と魔法薬 1
猛烈に、走りたくなる時がある。
それが狼という生き物なのだ。
自然の、欲求の求めるままに、狼は走り抜けていく。
そんなわけで、ジャン・リドニックは街中を風のように駆けていた。
通常であれば、捕まってしまいそうなものだが、王都の住民には、ジャンは、レイ・ハルトの飼い犬として認識され、マスコット的存在を獲得しているので問題ない。
小さな子どもが手を伸ばしたため、ジャンは歩みを止めて、黙って頭をなでられる。
「ワフッ?」
子どもの手前、一応犬のまねをしておくジャン。
そうするように、最近はギルドナンバーワン受付嬢のフィルに、口を酸っぱく言い含められている。
「……それにしても」
再び走り出した、中型犬にしか見えないジャンが、人間の言葉をつぶやくのは、誰にも聞きとがめられることはない。
「あの二人……。なぜ、俺のこと知っていたんだ?」
本気で調べたなら自由気ままなレイ・ハルト卿の飼い犬の正体にたどり着くのは、それほど難しくないだろう。
そもそも、ジャンには、自分が狼になることを隠そうという気持ちが、それほどない。
けれど、二人とジャンは初対面のはずだ。
それなのに、新しい魔法薬の被験者になってくれだなんて。
「いくらなんでも、怪しいよな?」
理由もなく、引き受けてしまったら、フィルに本気で怒られてしまうに違いない。
けれど、見た目そのままの年齢ではないだろう、浅黒い肌にベージュの髪をした兄妹。
その二人が提示した魔法薬の作用は、ジャンにとってあまりにも魅力的だった。
その時、ドンッと急に目の前に現れた何かに、ジャンは勢いを殺せないままぶつかった。
「うぐ……。近すぎた」
「……予言師」
ジャンの目の前に現れたのは、赤銅色の瞳をした予言師だった。
「何のようですか。 久しぶりですが、予言師殿が現れると、ろくなことがないんですよね」
「用があるときだけ、探し出して、無理難題を言ってくる割に、ひどい言われよう……」
いつもであれば、相手のテリトリーに踏み込んで翻弄するのが予言師という存在のはずだ。
そうでなければならないことは、それこそ神話の時代から定められている。
しかし、ジャン・リドニックの前に立つと、なぜかいつでも、その人物の素が引き出されてしまうようだ。
『……新たなトラブルの発生だ。でも、君は思うまま行動した方がいいだろう。どちらにしても、未来にトラブルはつきものなのだから』
頭を軽くかきむしって、予言師は口を開いた。
現在、ジャンが思うままに行動した方がいいなんて、一つしか思い浮かばない。
「双子の兄妹と、魔法薬か」
「残念ながら、そこまでは見えない。おぼろげだ」
「エレナ殿のこと以外、適当ですよね? 予言師殿は」
「……一番言われたくない相手に、事実を突きつけられたときって、どうすればいいんだろうね?」
二人はしばらく見つめ合っていたが、もう一度予言師は、髪をかきむしると、煙のようにジャンの前から消えていた。
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