王立騎士団と銀の犬 3
王立騎士団に行ってから数時間後。
魔術師ギルドを出て、家路につくエレナは、急に空いてしまった数日間に思いをはせていた。
王都の少女であれば、誰もが憧れる魔術師ギルドの受付嬢。
その実態は、朝から晩まで忙しく、緊急事態があれば休みなんてしょっちゅう返上という、ほんの少しブラックな職場だ。
「うーん……どう過ごそうかな」
忙しさにかまけて、机の上に積み上げてばかりの魔術書を読破する。
新しい魔法薬のレシピを考案してみる。
依頼を分配するのに必要な、魔術師たちについての情報をまとめてみる。
エレナが考えるのは、仕事のことばかりだ。
服を買いに行くとか、おしゃれなカフェに出かけてみるといった思考は、エレナにはあまりないようだ。
その時、湿った重みのある視線がエレナを捉える。
徐々に近づいていく人影に、気が付かないままエレナは、いつもの帰り道を歩んでいく。
直後、エレナは口元を塞がれて、物陰へと連れ込まれた。
二人の男が、顔を見合わせる。
「なあ、本当に例のギルド嬢はこの女なのか?」
「ずいぶん地味だが、こいつに間違いない」
少しばかり失礼なことを言う二人は、顔を黒い布で覆っている。
一般人であれば、ここで恐怖におびえるのだろうが、こういった経験が初めてではないエレナは、いたって冷静だった。
(厄介ごとに巻き込まれた。どうしようか……。魔法石を破壊して、助けを呼ぼうかな)
ギルド職員は、秘密を知る機会も多く、危険と隣り合わせだ。
そのため、公にはされていないが、魔法石が支給されている。
ただし、使用した場合、給料から天引きだ。
(――――もったいないけど、安全には代えられないよねぇ)
エレナは、奥歯に仕込んである魔法石を、かみ砕くことにした。
少し奥歯に力を入れた瞬間、エレナを抑えていた男の一人が、壁まで吹き飛んだ。
「え……」
一瞬通り過ぎた姿は、まるで先ほど騎士団にいた、銀色の犬みたいだった。
銀色の風が吹いたように、その動きを止めないまま、その長身の人影が、もう一人の男を瞬時に吹き飛ばす。そして、そのまま魔法で拘束された男たちを、どこから現れたのか、黒い制服の騎士たちが連れ去っていった。
その鮮やかな手際を、ぼんやりと見つめるエレナの目の前に、銀の髪に金色の瞳をした美貌の騎士が跪いた。
(うっ、わあ……。この色合い、王立騎士団の制服、人外ではないかというほどの美貌)
この容姿と姿が当てはまる人を、エレナは一人しか知らない。
王立騎士団、騎士団長レイ・ハルト卿。
『お相手の身長は高く、剣の達人です。あなたと彼の職場は相性が最悪で、いろいろ苦労するかもしれません。いや、確実に、苦労します。まあ、それでも、趣味趣向から性癖まで、相性は最高ですから、きっと、荒波ばかりの運命も乗り越えられますよ』
忘れかけていた、怪しげな予言者の言葉。
(荒波ばかりの運命とか、ぜひご免こうむりたいのに)
望む、望まないにかかわらず、運命というものは、いつの間にか近づいているものらしい。
レイ・ハルトが、微笑みもせずに、その顔に似合わず、剣だこでゴツゴツとした手をエレナの眼前に差し伸べる。
「先ほどの礼をしたい。一緒に来てもらえるだろうか、エレナ嬢」
「――――光栄の至りです」
「堅苦しいな、真面目という噂は本当のようだな。……あなたは、俺たちの恩人だ。恩を必ず返すのが騎士というものだ。俺のことは、レイと呼んでくれ」
王立騎士団の騎士団長なんて、王都でも有数の権力者だ。
ましてや、ハルト公爵家は、歴史も長く王都でも最高峰の家柄。
そんな人間に、逆らうことができる一般庶民なんて、いるはずもない。
(そして、まさかのレイ・ハルト卿から、名前呼びのお許しが出てしまった)
その恋の予言は外れることはない。
嵐の前触れに一時強く吹いた風が、桃色の花びらを舞い散らしたように、エレナの心は、ざわざわ揺れ動く。
「あの、さすがに不敬では……。ハルト卿」
「意外と強情だな? レイだ」
「……レイ様」
「ああ、まあ、それでいいか」
差し伸べられた手を取ると、エレナに歩調を合わせてくれているのか、ゆっくりとレイが歩き出した。
(……公爵家のお方でも、普通に街中を歩いたりするのね)
騎士をしているのだから、歩くくらいは当たり前なのだが、レイ・ハルトは、エレナの知っている貴族にはいないタイプの人間のようだ。
(まあ、あのリドニック卿も、変わっていたから、騎士団に所属する貴族は変わり者が多いのかな)
そのどこか優しい歩調とともに、運命がゆるりと動き出した。
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