もう一つの恋の予言
夜の闇に紛れて、音もなく屋根から屋根を黒い人影が、渡っていく。
その姿を王都のほとんどの人間は、認識することすらできない。それは、魔道具のせいだ。
それと同時にその魔道具が外されてしまえば、ごく一部の人間を除いて魔力を奪われて動けなくなるだろう。
どちらにしても、夜のローグウェイを見つけることができるのは、ごく一握りの人間だけだ。
もう一度、高く跳躍すれば、眼下には王都の街並み。一際大きな屋敷は、王立騎士団の本部だ。
そのまま、最近はホームベースのようになりつつある練武場の中心に降り立つと、すでにそこには人影があった。
「待ってました。遅かったですね、ローグウェイ殿!」
「約束した覚えはないのだが。それに、前回も思ったが、魔道具の認識阻害、効いていないのか?」
「ローグウェイ殿の匂いは、もう覚えましたので。それに、良いじゃないですか、同じ騎士団の仲間じゃないですか」
「……リドニック卿。貴殿の仲間になった覚えも」
その瞬間、炎を纏った剣が、問答無用でローグウェイに振り下ろされる。
パキンッと何か、薄いガラスのようなものが割れた音がして、リドニックの振り下ろした剣は、ローグウェイの首、5センチほど前で止まった。
「常時発動型の防護障壁ですか。薄すぎて、見えないのに、俺の剣なんて簡単に止めてしまうのですね」
「……五層張っていたうちの、三つまで簡単に壊しておいてよく言う。だが、そうか。喧嘩を売られているんだな? 分かった」
「え? 正々堂々決闘ですよ」
「不意打ちしておいてよく言う」
ローグウェイの周囲を、雷と吹雪が取り巻いていく。それはそのまま、魔術師にしては珍しく杖と共に携帯しているロングソードに纏わりついていく。
「……本物を見せてあげよう」
剣は凍ったように水色に変わり、その周囲を雷が取り囲む。
「カッコいいです。でもコレ、当たったら死ぬやつなんじゃ?」
「さあ? 今、リドニック卿の剣を見て即興でやってみただけなので、威力はわからないが」
「コレが出来るようになるまでの、俺の努力は一体。あんたも天才の類か。ほんと……」
そう言いながらも、「楽しいな!」と一言漏らし、ジャンはローグウェイに挑んでいった。
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夜が明けると、早朝の爽やかな空気の中、一匹の赤い中型犬のような生き物が、地面に倒れていた。ため息混じりに、どうしたものかと見つめるローグウェイは、すでに魔道具を外し、いつものローブ姿になっている。
そこに、ふわふわとした淡い茶色の髪に、緑の瞳をしたギルドのナンバーワン受付嬢が現れ、信じられないものを見たように目を見開いた。
「ひえ……。動物虐待? 見損ないました、ギルド長」
「どこをどうやったら、そう言う結論になるんだフィル。……はあ。俺に用事か? あと、ギルド長は退任したんだ。今はただのローグウェイだ」
無傷のローグウェイと、満身創痍の可愛い犬。その景色が告げているのだが。それでもフィルは、ローグウェイのことだから、何か理由はあるのだろうと無理に納得する。
「……ローグウェイ様。緊急の書簡をアーノルド様から預かってきました。……ところでこの犬」
「ああ、ちょうどいい。魔術師ギルドに連れて帰って、魔法薬でも使って、回復してやってくれ。請求は俺につけておいていい」
頷くフィルに、背を向けたまま、ローグウェイはヒラヒラと手を振って去っていく。
フィルは、少し小柄なその犬を抱き上げる。怪我をしているらしいその犬は、ぐったりと力なく、完全に意識を失っていた。
「回復させるのはいいけど……」
元ギルド長ローグウェイの行動は、いつも読めない。それにしても、この犬の毛色は、あの騎士を思い出すと、フィルは嘆息した。
抱えたまま、踵を返して早足のまま大通りに出た直後、その人影にフィルは全身を凍り付かせる。
そこには、いつかエレナとフィルの前に現れた予言師の姿があった。
「っ……あなた」
「やあ、久しぶりだね」
相変わらず、胡散臭く赤銅色の瞳を三日月のように細めた予言師は、フィルの正面に立つ。
「……予言なら聞きませんよ?」
フィルが、敵意剥き出しになるのも無理はない。先日、友人は、この予言師の予言のせいで、大事件に巻き込まれたのだ。
そして、何故か王立騎士団団長の婚約者の座に収まっている。溺愛されて囚われてしまったに近いと、フィルは密かに思っているが、エレナは幸せそうなので何も言うまいと決めている。
予言が全ての原因とは言わないまでも、魔術師ギルドは解体直前に追い込まれ、今や王立騎士団の傘下のような扱いだ。
一部のギルド受付嬢は、憧れの騎士とお近づきになれたと、その変化を歓迎しているが、今まで仲の悪かった二つの団体の軋轢は、今も根深い。
ジリジリと後退りしようとしたが、いつのまにか予言師はフィルの目の前に立っていた。
「ふふっ。予言というのはね。押し売りするものなんだよ。でも、今日はタダでいい」
「っ……最低」
「恋に落ちたくなければ、その犬、そこら辺に捨てておいた方がいいよ? たぶん、この程度で死んだりしないし、少ししたら目を覚まして、最近お気に入りの寝床に帰るだろうから。あと、エレナに、あと少ししたら会いに行くって伝えておいて」
それだけ言うと、予言師の姿は煙のように掻き消えた。夢でも見ていたのではないかと、フィルは呆然と誰もいない空間を見つめる。
今のは予言を告げられたと、言えるのだろうか? 取り敢えず、恋に落ちたくないのなら、この犬と関わってはいけないらしい。この犬の飼い主と、恋に落ちるとでもいうのだろうか。フィルの頭の中は、疑問符に占領される。
もう一度、温かいその犬を視界に収める。
「放ってもおけないよね……。別に、恋に落ちても構わないだろうし」
願わくば、普通の穏やかな恋がいい。
恋をしたい相手を思わず思い浮かべてしまったことを、フィルは認めないことにした。
だって、その相手との恋は、どう考えても苦労と波乱に満ちていそうだ。
魔術師ギルドまで、歩けば十五分以上かかるけれど、フィルの借りている部屋は、すぐこの近くだ。魔法薬も家に一瓶ある。
別に、この犬の毛色が、あのリドニック卿と同じだから、助けようというわけじゃない。でも、この犬を見るたびに、あの騎士を思い出してしまうのも事実だ。
「……さっさと治して、寝床とやらに帰っていただこう」
そう呟いたフィルは、まだ知らない。家に連れ帰った赤い犬に、魔法薬を振りかけたら、あっという間に赤みを帯びた薄茶の髪と瞳をした騎士様が、魔法みたいに目の前に現れるなんて。
そして、目の前に現れたその人に、自分がどれだけ会いたかったのかを、図らずも自覚してしまうなんて。
告げられた運命の分かれ道で、そちらの選択をしてしまったなら、恋に落ちるという予言が外れることは、決してないのだ。
赤銅色の瞳の予言師は「まあ、こんなことしなくても、もうお互い恋に落ちていた可能性は、否定できないけど」と呟く。
眩しい朝日の中、賑やかになり始めた街の喧騒の中に、今度こそ予言師の姿は、消えていった。
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