ギルド受付嬢は手配される 2
声だけではない。瞼にやさしげに触れる、節くれだった長い指だけでも、レイなのだと分かってしまう。
「あの……。王立騎士団の団長様が、どうしてこちらに」
フィルが、震えを抑えた硬い声音で、レイに話しかける。
無理もない。魔術師ギルドと、王立騎士団は、犬猿の仲なのだ。
もちろん、魔術師と騎士すべてが仲が悪いわけではない。それでも、属している派閥が違う限り、急に現れた騎士団長に、フィルが警戒するのも当然のことだった。
「それは……」
「もちろん、エレナ殿の安全を確保するために、団長自ら」
後ろから、緊張感の壁を突き崩してしまうような、陽気な声が聞こえた。
「こ、こら! 余計なことを言うな」
「レイ様……。心配してくださったのですか?」
「――――く。純粋過ぎないか」
エレナが、魔術師ギルドで働き始めたことで、何か危険に巻き込まれるのではないかと心配したレイは、ジャンとともにひそかにエレナを護衛していたらしい。
(言ってくれればいいのに……)
そんなレイを、フィルが半眼で見つめながら「エレナがまた、異常なほどに、誰かを虜にしている」と、つぶやいた。
「――――護衛だと言って、勝手についてくるなんて、付きまとわれているんじゃない? 大丈夫なのエレナ?」
「うぐ」
レイの秀麗な唇から、似つかわしくないうめき声が聞こえた。
でも、すでに何度も、レイによってエレナの命が助けられていることは事実なのだ。
(きっと、あまりに頻回に命の危険に陥ったりしたから、心配させてしまったのね)
それに、フィルにだけは嘘をつきたくなかった。
エレナが、王国に来てから、初めての友人なのだから。
「実は、レイ・ハルト騎士団長と……」
恋人なんて言っていいのだろうか。確かに、好きだと言われたし、愛してるとお互い告げた。
でも、付き合ってほしいなんて、一言も言われていない。
ようやく、エレナの瞳を塞いでいた手を離してくれたレイが、サラリと答える。
「――――エレナは、俺の恋人だ。俺にはエレナを守る義務と、権利がある」
静まり返る席。
(恋人。それに、エレナ嬢じゃなくエレナって呼んだ)
エレナは、その言葉を心の中で反芻して、肯定の言葉を口にする代わりに、「はわっ」と一言。そして、サクランボみたいに真っ赤になった。
両の頬を、白い小さな手で挟んで、その熱を感じる。
(確実に、真っ赤になっているに違いないわ)
ちらりと、友人の顔を見れば、暗い森を抜けたら、急に開けた空に満天の星空が現れたのを見たように、ぽかんと口を開け、茫然とした表情になっていた。
「あっ……。騎士団長様って、たしかハルト公爵家の」
「そ、そうだよね。釣り合わな過ぎてっ」
「――――ハルト公爵家の人間なのは事実だが、エレナを愛してしまったことと生まれは関係ない」
今度は、フィルはエレナとレイを交互に見ながら、プルプル震えだした。
「え? 王立騎士団の人と、もしや恋にでも落ちたのかなって、予想していたんだけど、相手が大物過ぎる」
そこまで来て、フィルはレイの斜め後ろに、澄まして立っているジャンにようやく気が付いたようだ。
「私服だけれど、そちらの方も、騎士様なの?」
ジャンの私服は、シンプルな白いシャツと、グレーのこちらもシンプルな、トラウザーズだ。
レイと比べると、小柄で少し華奢な印象を受ける長い足をシンプルな衣装が引き立てていた。
「ジャン・リドニックだ。以後お見知りおきを」
珍しいことに、ジャンは、騎士らしい立礼を優雅な所作で行った。
こうしていると、まだ幼さが残っていながら、二重で大きな瞳のジャンは、可愛らしい印象かつ、容姿端麗で、騎士の中の王子様という印象だ。
ジャンが、もふもふ、ゴロゴロと過ごす姿は、今のところレイとエレナだけが知っている。
「お楽しみのところ、申し訳ないが、エレナは、具合が悪いようだ。連れ帰らせて頂こう」
フィルが止める間も無く、エレナはお姫様抱っこされて店を出ることになった。
いつのまにか、店内に客の姿はない。
「え? なぜ誰もいないの?」
「……貸切だからだろうな」
「え?」
疑問符がたくさん浮かんでいるうちに、二人はあっという間に店外へ。なぜか待っていた公爵家の馬車にエレナは、押し込まれる。
「帰ろうか、エレナ」
「え? 送ってくださるのですか?」
「調子が悪いのだろう? 一人になど、出来ないに決まっている」
(最近、レイ様の屋敷にいる時間の方が、アパートの部屋にいる時間よりも長い気がする。いや、確実に長いわ)
あきれ半分、嬉しさ半分。
複雑な心境ながらも、エレナの頭痛は治まり、いつの間にか、思い出しかけた幼馴染のことは、エレナの思考からすっかり消えてしまっていた。
✳︎ ✳︎ ✳︎
その頃、店内に残された二人は、なぜか普段は提供されない特別コースを食していた。
「このコース、どう考えても特別なメニューよね」
「団長殿からのお詫びの気持ちだろ? せっかくだから、食べた方がいいに決まってる」
「……ところで、なぜリドニック様まで残っておられるのですか?」
警戒感を隠すこともできないまま、フィルがジャンに質問を投げかけた。
ジャンは、当たり前のように前菜に手をつけながら、フィルに応える。
「だって、二人分あるだろう? 明らかに」
ジャンの食べ方は美しく、テーブルマナーを習得している事がわかる。その割に、貴族らしさのない、砕けた言葉遣いが、どこかチグハグだ。
「だって貴方様は、リドニック伯爵のご関係で、しかも騎士団の隊長に若くして昇進された、あのリドニック様ですよね?」
「あまり興味ないな。とりあえず、美味い飯を食べるのに、それ、関係あるか?」
魔術師ギルドのナンバーワン受付嬢として、貴族との付き合いも多いフィル。
だが、ジャンはどの貴族とも違う、変わり者の部類に入るようだと、フィルは判断した。
だが、こういう正直に物を言うタイプ、別にフィルは嫌いではない。
「たしかに関係ないですね。せっかくなので、私もいただきます」
「それがいい。あんたみたいに、物分かりのいいタイプ、嫌いじゃない」
「お褒めに預かり、光栄です。あと、あんたじゃなくてフィルです」
「そうか、失礼した。フィル殿」
フィルも、優雅な印象の食べ方で、前菜を食べ始める。予想外にもフィルとジャン、二人にとって、その夜は楽しい時間になったのだった。
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