遠い距離と銀の毛並み 1
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鐘の音が聞こえる。それは、戦いの勝利を祝う、パレードが始まる音だ。
パチッと音を立てて、瞳を見開いたエレナは、勢いよくベッドから体を起こす。
「――――っ。痛ったぁ……」
「急に起き上がるんじゃない。強く頭を打って気を失っていたんだから」
ひどく痛む後頭部に手を触れると、明らかに腫れているのが分かる。
「ギルド長……。どうして、ここに?」
周囲を見回してみると、確かにここはエレナの部屋だった。
順に思い出してみても、エレナの部屋にギルド長と一緒にいるなんてありえない。
「確かに、業務に参加するのを禁じたが、まさか単身で城門の外に出てしまうとはな。……ああ、心配するな、アーノルドが直接この部屋に連れ帰ったから、お前が外に出ていたことは広まっていない」
「そうですか」
口の中を舌でまさぐれば、下の奥歯に仕込んでいた魔石がなくなっている。
たぶん、あの時、エレナの魔石が割れて、アーノルドに救援信号が届いたのだ。
「あの……。一緒にいた、ジャン・リドニック卿はご無事でしょうか」
「――――リドニック卿。騎士団の隊長のリドニック卿か? いや、アーノルドから報告は受けていないな」
「そんな……」
「代わりに、騎士団長レイ・ハルト殿の愛犬が、エレナを守るように倒れていたから、保護したらしいが」
(やっぱり、間違っていなかったのだわ)
エレナが意識を失う瞬間、ジャンの声と、軽い重さが体の上に覆いかぶさったのを感じた。
それは、確かに姿を変えたジャンだったのだろう。
「パレードの音が、聞こえますね。無事に任務は完遂されたのですか」
「ああ、王立騎士団は、あんな状況だったにもかかわらず、死者がいなかったらしい。魔術師ギルドが到着する前に、決着はついていた」
「――――騎士団長様、おひとりで倒されたのですか?」
「いや、魔術師ギルドに出撃許可が下りた直後、転移魔法で王立騎士団と合流した、上級魔術師アーノルドと、騎士団長ハルト卿の二人の活躍だ」
確かに、アーノルドが扱う属性は氷だ。
ほかの属性を使うことはできないが、氷魔法に関しては、王都最高の魔術師と誰もが認めている。
「すべてが、まるで運命のように嚙み合った……。そんな英雄たちに、王都の熱気は最高潮だ」
「そうですか……」
エレナは、長い息を吐きだした。
いろいろな不都合が、起こっているのだとしても、今はいい。
レイが、無事に生き残っている。今のエレナにとっては、それが全てだった。
「……ギルド長自ら、私の看病をしてくださっていたのですか?」
「ああ、その姿をほかの人間に見せるわけにもいかないだろう? それに、護衛も兼ねてな」
たしかに、視界の端に映るのは、パールブルーの髪の毛だし、メガネをしていない今は、瞳はスミレ色に輝いているだろう。ごく少数の人間しか知らないエレナの特徴を見せまいと、ギルド長が付き添っていてくれたのだ。
「それだけじゃないが……。エレナは、自分の状況を理解しているのか? 噂は止められなかったぞ。門番のルーグが、精霊の祝福を受けた魔術師が外に出たと言いふらしているからな」
「――――そういえば、ルーグさんは、そんなこと呟いていたような」
「その姿で、無理に通り抜けたか。あんなに、人に見せるのを嫌がっていたのに、どういった心境の変化だ?」
(隠し通したかった秘密を見られてもいいから、助けたかった)
パールブルーの髪も、スミレ色の瞳も、人の目には奇異に映る。
そのせいで、エレナは子ども時代、良く近所の子ども達に石を投げられたし、山の奥の小さな村では、大人たちも気味悪そうにエレナを遠巻きに見ているだけだった。
それでも、真っすぐとエレナを見つめたレイと、その周囲の人間は、エレナの髪と瞳が美しいとほめてくれた。
「そういえば、ギルド長は、私の髪の毛を見ても表情すら変えなかったですよね」
「俺が夜になると、姿を変えるのを知った時に、『なんだか、カッコいいですね!』と言ってのけた部下ほどではない」
そういえば、そんなこともあったとエレナは思う。
でも、それでは、エレナのほうが変わっているみたいではないか。
「さて、仕事があまりに山積みなので、ギルドに戻る。丸一日眠っていたエレナの業務停止は、あと六日間だな。……それと、今回の魔石の代金は、俺がポケットマネーから払っておいてやろう」
「そんな……。給料天引きでいいですが」
「――――正式な手続きをして、ほかの人間に城門の外で魔石が割れたことを知られてもいいのか?」
ニコニコと、いつもの笑顔を見せていたギルド長が、今日も子どもに言い聞かせるように、ベッドの横に片膝をついた。
確かに、門番たちに配られたという書状は、上層部からのものだったらしい。
髪と瞳の色を変えていたからと言って、エレナを通してしまったことが公になれば、門番たちも処罰される可能性がある。
「ギルド長…………。お言葉に甘えます。ありがとうございます」
その言葉に、返答はなく。すでに立ち上がり、ドアの近くで背を向けたままのギルド長が、ひらひらと頭の横で手を振った。
ギルド長が部屋から出ていくと、今までの目まぐるしさが嘘のように、部屋は静寂に包まれた。
エレナにとっての日常。けれど、ふと左手に感じたモフモフの感触が、起こった出来事をぼんやりと振り返っていたエレナを現実へと引き戻す。
たまらず、エレナは銀の毛をしたフェンリルのぬいぐるみを、強く抱きしめた。
あんなに幸福感を感じた感触が、なぜか物足りない。
(ぬいぐるみは、温かくないもの)
その気持ちを紛らわそうと、フワフワの感触に顔をうずめても、エレナの頭の中を占領するのは、レイのことばかりなのだった。
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