銀狼の騎士とギルドの受付嬢 3
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朝からここまで疲労困憊になったことが、かつてあっただろうかとエレナは思案した。
(ないこともないか。不死鳥が王都に近づいているという情報が入ってきたときの、三日三晩の大騒ぎの時も、これくらい疲れたもの)
つまり、ぐっすり眠ったはずなのに、そのレベルで疲れてしまっているということに、エレナは気が付かないことにした。
今日の装いは、昨日のどこかスパイスを混ぜたような可愛らしさとは違い、清楚で上品だ。
淡い水色のモスリン、胸元で切り替えられた締め付けの少ないドレスは着心地がよくふんわりと裾が動くたびに揺れる。
エレナは、少し怯えながらも、メイド達に、自分の髪や目の色が、気持ち悪くないのかと聞いてみた。あまりに嬉しそうに、髪の毛の手入れをしてくれるものだから。
困らせてしまっただろうかと思ったのも束の間、本当に不思議そうに「なぜでしょう? こんなに美しいのに」とメイド達は、顔を見合わせる。
そういえば、この屋敷には、エレナくらいの年齢のメイドはいない。みんな、家庭があるから、夜は家に帰る者も多いそうだ。
「坊っちゃまの方が、よほど変わっておられますからね」
そんなことを言って、メイド達は笑った。
公爵家の人間。それもこの国の武力の中枢を担う騎士団長に対して、ずいぶん自由な使用人達だ。
(まるで、家族みたいな関係なのね)
外にいる時の、どこか隙のない冷たいレイの表情が、屋敷に戻ってからは緩んでいる。だから、それが答えなのだろう。
シワになってしまったドレスは、「手入れをしておくので、大丈夫ですよ」と、笑顔のメイド達が回収していった。
でも、エレナにとっては、全てが別世界で、もうこんな風に着る機会があるとも思えない。
(どうする気なのかな。あの大量のドレス)
お貴族様の考えは、よく分からない。
あんなにたくさんのドレス、エレナなら一生かけても全部着られそうにない。
「それでも、こっちのドレスとアクセサリーのほうが、好きかもしれない」
ドレスの色は、煌めく髪の毛に馴染んでいる気がする。そして、メイド達があれこれ悩んだ末に決めてくれた、銀細工にパールがあしらわれた、恐ろしいほど精巧な小さな髪留め。
決して派手ではないけれど、見る人が見れば、わかってしまう価値がありそうだ。
(詳しいことはわからないけれど、古代の魔道具の装飾と似ているわね)
気のせいだろうと流したエレナだが、実際は恐ろしいほどの費用と時間をかけて、再現した古代の技なので、それは図らずも正解なのだった。
疲れ切ってしまったことも、歩くたびに軽い感触で揺れるドレスのおかげで、だんだんと忘れていく。そのまま、執事のジェイルが、恭しいしぐさでドアを開けた。
その、洗練された、ある意味究極にも思える執事の一連の動作に、見惚れながら、少しギクシャクとエレナは扉の前に立った。
(……朝食が用意されているけれど、どの席に座ればいいのかしら?)
エレナが知っている食卓は、多くても八人くらいしか座れない。
それなのに、長いテーブルは、今からパーティーだってできそうだ。
(ま、指定してくれるでしょう)
エレナは庶民だけれど、魔術師ギルドの受付嬢は、貴族を相手にすることも多いため、下流の貴族女性よりはよっぽどマナーを心得ている。
上品に裾をつまんで、優雅にお辞儀をする。目上の人の許しを得てから入室するべきだ。
(目上と言っても、あまりに雲のはるか彼方レベルで、上のお方だけど……)
座っていたレイは、音も立てずに立ち上がると、エレナに向かって歩いてきた。
その歩き方は隙がなくて、貴族らしいというよりは、尻尾をユラユラ、忍足で近づく狼みたいだとエレナは思った。
「美しい所作だが、今日は、エレナ嬢はもてなされる側だ。そんなにかしこまらないでくれ」
「ありがとうございます」
「俺の隣に、座ってほしいのだが?」
確かに、隣にも椅子がある。
通常であれば、ここは辞退するのが礼儀だろう。
しばらく迷ったけれど、昨日から関わったレイという人間は、たぶん断るのを喜ばないと、エレナは判断する。
「……はい、喜んで」
「ああ!」
その時、エレナは、口を半ば開けてしまった。
その顔は、少し間が抜けていたかもしれない。
少年みたいな、レイの笑顔。
(そういえば、狼の姿の時も、こんなふうに笑ったように見えたわ)
エスコートにしては、少しばかり性急に、レイがエレナの手を引いた。
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