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何でそんなことを、と言いかけてやめた。
「そりゃもちろん、同人誌を漁るためさ」
決まってるだろう、そう言わんばかりに胸をはって答えた。当然だ。通り過ぎる人たちも明らかにいわくつきの絵柄で彩られた袋を抱えていたり、背負ったリュックからポスターらしき筒がはみ出していたりする。この会場全体が、「そういった」グッズを買う場所というのは普遍の事実である。
「そうですか」
前の顔に戻ったネネは、捩れた体を元に戻して何事もなかったように俺へと向き直った。ただ、その表情は無に近く、何の感情も読み取れないその顔に、俺は少なからず畏怖をおぼえた。ごくり、と喉がなる。
「それはそうと、ずっと不思議だったことがあるんですが」
「な、なにが……」
不思議というフレーズに嫌悪感を感じ、また何か問い質されるのかと俺は身構えた。
だが。
「おしりち○ちん、とはどこから来たのでしょうか」
時が止まった。リアルに時間停止を感じた。
「……は?」
「だからですね。実家の近所のクソガキが、おしりち○ちん参上! とか言いながら攻撃してくるんですよ」
いやいやいやいや、まてまてまて。
ちょっと、なんかいろいろとあれこれ待て。
とりあえずその、前だか後ろだかわからんネーミングは何だ。
「ちょ、ちょっと待って! 頭が混乱していろんなものが入ってこない。その、おしりち○ちんってなに?」
「悪と戦う戦隊ヒーロー、正義戦隊おしりち○ちん! と近所のクソガキが言ってました」
まったく正義っぽくない。
まったく正義っぽくない。
重ねて命ずる。
まったく正義っぽくない。
それと、クソガキ二匹めゲットだぜ。
「よくわかりませんが、必殺技はおしり爆弾だそうですよ」
「あらゆる意味で難しそうな技なんだけど」
「あれ? ご存知ないですか? 爆弾って案外簡単に出来るんですよ」
「あ、いやー、その……」
そういう問題ではない。
「あの、ネネ……ちゃん? 戦隊ヒーローなのそれ? テレビでやってるの?」
すると彼女は手を口に当てながら、えらく驚いた様子で言う。
「やってるわけないじゃないですか! バカなんですか?」
まるで汚物でも見るかのような眼差しを遠慮なしに向けてきた。けれども、俺はこの子より歳上だ。努めて大人に、冷静に対応することにしよう。
「近所って、ネネちゃんどこに住んでるの?」
「台東区ですよ」
思いがけずリアルな地名が出てきて戸惑う。近未来からやってきたという設定だったはずだが、公式ではどうだったろうか……と思考を巡らせ始めて「あっ」とあることに気付いた。
近未来セイバー ネネ&ナナは株式会社クロウドというゲーム制作会社が発売したゲームだ。そのクロウドがあるのが台東区だった。そういうプログラムが埋め込まれているからなのか、それとも裏設定であるのか、いずれにしろ台東区在住というのはそれほどおかしくもない話だと思えた。
そして、株式会社クロウドはもうこの世には存在しない。そもそもが、シリーズ第一作目から販売元との利益分配で失敗していて、見た目ほどの収益は得られていなかったらしい。その後、二作目でハードが変わり開発費がネックとなる。足りない分を補填しようと一作目のリメイク制作案が出たが、社長がこれを一蹴。「過去は振り返らない主義」発言はかっこよさを狙ったのだろうが、結果が全くかっこよくなかったのはいまだに語り草だ。
これを機に販売会社と決裂、開発資金も得られず二作目制作は頓挫。他にキラーソフトを持たない同社にとって、新作を出せないことはそれだけで死活問題となり、最終的には近未来セイバーの商標権を他企業へ売却するも、開発スタッフのほとんどが版権を追うように移籍していってしまった。
グラフィッカーは残ったが、それだけでどうにかなるはずもなかった。経営資金を得ようとも人材を失った会社に新しいものを生み出す力は既になく、他企業から出るシリーズ二作目の発売を待たずして倒産した。
何もかも失い、無になったゲーム会社クロウド。
失敗につぐ失敗で、堕ちるべくして堕ちた。
その価値はあるのか? と問われ、誰も答えることができなかった。
それはまるで。
黒く暗い感情が自分を取り巻く。
ちがう。ちがうぞ。
尚もとぐろを巻くように膨れ上がって。
ちがう! ちがう!
そうじゃない。これは別の話だ。そう、別の話。決して、
「……俺の話じゃない」
俺はその考えを頭から消し去り、そこへ考え至る。
俺の話なんてどうでもいい。いまはネネのことだ。ネネのことを考えねば。




