第二話
奥の部屋を出て数十分経った。まだ逃げられても通報されてもいない。しかし攻撃は受け掛けていた。相手が人間なら避けなかったかもしれないが、化物なら話しは別である。
激しい動きで、全身に被った血の欠片が落ちていく。乾いて卵のからのようになった血もあれば、掛かりたての水々しい血も一緒だ。
なんとか振り回している鉈も、切り過ぎて元の色が分からなくなっていた。いや、それは最初からか。
風切り音。最後の一匹となったゴブリンの矢が、視界の右端を通り過ぎる。仲間を見捨てて放った渾身を躱され、動揺したゴブリンへと走り、蹴り倒した。
後はあの少女がされた事をやり返すだけだ。
血臭に侵され鈍くなった鼻で、数秒ぶりの空気を吸う。全身の皮膚の下に血が流れていると実感した。ゴブリンに襲われる事一回、先制する事二回。
それでも、なんとか死んではいない。
空紀は鉈に付いたもろもろを振り払い、足元にいるゴブリン達がいた方向を見た。
目覚めた部屋に似た場所。出入り口のような穴に、端の方へ固められたガラクタの山、血痕がこびり付いた岩の壁。
違いは人の死体が無い事と、奥へ続く真っ直ぐな通路。二人横並びで通れる幅の、狭いトンネル。十数メートル行った先に、望んでいた光源が白く輝いていた。ゴブリンが持っていた松明とは、明らかに光の種類が違う。
その光は希望であると同時に、未知。
鼓動が血液と鈍痛を循環させる。痺れる手足を引きずりながら、後門の脅威より前門の未知を選んだ。
ここまでの道は、直通ではなかった。いくつかの横道を無視し、目の前の道が正しい保証は無い。
ゴブリンの集団と会った。松明を持って移動しているので、見逃すことは無いが避けて行けるほど少なくはない。第一ゴブリン団との邂逅なんて無駄な希望を持ったせいで、目を合わせたまま数巡してしまった。
後の第二第三ゴブリン団は奇襲に成功し、どうにか切り抜けられた。
しかし、横道から次が現れる可能性はあるのだ。あのゴブリンらとまた殺し合うかもしれない後方に戻るなど、空紀は恐ろしくて出来ない。
脳内で様々なメーターが振り切っている。この状態で足踏みしようものなら、空紀は耐えられない。選択肢は無い。
白しか見えなかった光から、色を拾いだす目。地面を擦る感覚は薄いが、前に進めていると足の力を信じるしかなかった。
広い空間だった。
平らにならされた白い壁、同色の天井はビル三・四階分より高いのではないだろうか。奥行きもあり、それに見合う柱が中央の足場両脇に並んでいる。大きい六本の柱に照明があり、白い壁の反射で光をより強くしていた。眩しい、人工的な場所。
しかし空紀は、この空間の主の後ろ姿しか目に入らなかった。
殺しまくったアレの仲間なのは、顔を見なくても分かる。薄汚れた緑の皮膚、髪一本無い頭部に生える尖った長耳。
巨大なゴブリンが空紀に背を向け斧を持ち上げている。
頭の血が沸騰した。空紀には五メートル近いゴブリンへの恐怖より、理不尽の元凶に対する怒りの方が、ずっと強かったのだ。
空紀から離れるように歩く巨大ゴブリンへ、痛覚を捨てて駆け出す。後頭部を狙いたかったが、位置が高すぎた。
体を回転させ勢いをつけた鉈を、巨大ゴブリンの左足に叩きつける。人と同じ二足歩行だ、足の健を切れば機動を削れると考えたのだ。
完全に虚を突かれた巨大ゴブリンは、訳も分からないまま膝を着く。前へ出るついでに右足も斬りつけるが、浅い。
群れていたゴブリンですら、急所を執拗に突かないと固くて殺せなかったのだ。武器の重量だけでは、攻撃力が足りないのだろう。
正面から見ると、醜悪具合が他ゴブリンより酷かった。ゴミでしかない人間に負わされた傷の痛みで、より血走った眼。腐った息と怒号を産む口から、空紀の胴体を上回る太さの牙が覗く。
頭上に掲げられた両刃斧が、隕石のように降ってきた。だが巨大ゴブリンは膝を着いたまま、後ろに飛び退く空紀に届くはずもない。
床に深くくい込んだ斧は直ぐには抜かれず、間が作られた。
「ひいぃぃぃぃぃ!!?」
ここでようやく、巨大ゴブリンが空紀に無警戒だった訳を知る。人間を襲っていたのだ。
少女達を殺したように、空紀を殺そうとしたように。
種族が同じなら、巨大ゴブリンの行動も理解出来る。五感はどれも鈍いが、その剛力と耐久力に任せた動きでひたすら欲望を優先する、化物。
「ごめんなさいごめんなさい助けてください、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
そんな化物に襲われていたのは、空紀が渇望して止まない人間だった。既視感のある学生服を着た、年の近い男の子。赤い玉の付いた魔法使いのような杖を待っているが、まず間違いなく空紀と同じ気付いたら異世界にいた人間だろう。
しかし強く望んでいただけに、失望が大きかった。かなり錯乱していて戦力としての期待は持てず、足手纏いなのは明らか。意味のある話し合いが出来るかも疑わしい。
石の崩れる音がした。この空間も、やはり石で作られているらしい。巨大ゴブリンが抜けた斧を振り回す。頭上を通過した斧の速さは、今の空紀にとって大分遅い。
前では巨大ゴブリンが、後ろでは人が喚いていた。
「たすけてくださいたすけてくださいたすけてくださいごめんなさいごめんなさいたすけてくださいたすけてください」
片膝を立てなんとか動くものの、移動速度が大幅に落ちた巨大ゴブリン。がむしゃらに振る斧の重みで状態が揺れた瞬間、後ろの少年に向かって走り出す。
短い悲鳴が上がった。巨大ゴブリンに怯えているのか、血塗れの空紀に怯えているのか、どっちでもいいが。
腰が少しも地面から離れない様子は情けないとも思うが、ただひたすら邪魔である。首根っこを掴み、唯一身を隠せそうな柱へ投げた。
「ごべっ!?」
うめき声を流し、急いで立ち位置を変える為走り出す。声のする柱から遠ざかるように、斬りつけるそぶりを見せ挑発した。
守る余裕は無いが、見捨てたら気にする程度の良心はある。踏ん張りどころだ。
標的を空紀に絞った巨大ゴブリンが、吠える。怒号が体を通り、振動を残して過ぎて行った。
斧が地面を削りながら迫る。空紀はその攻撃を、階段を飛ばすような軽さで躱した。空中で斧を握る手を斬りつけ着地、体勢を直す。体内時計基準で戦闘歴一時間とは思えない、見事なカウンターを成功させた。
少女の解体シーンで目の前が真っ赤になった時、無意識に指輪をはめていた。失くさない方法として最も簡単だと思った、んだと思う。
指に収まった瞬間、左手の中指から神経を這い上がり、脳へ電流が走った。その力は空紀の常識に続き、時間軸まで塗り替えたのだ。
時が緩やかになった。少女を刻む鉈の動きはもちろん、凝視すれば飛び散る血球の数さえ見えそうだ。
疑う余地もなく、この指輪が原因だろう。異世界風に言うなら“魔法道具”。効果は恐らく視力強化。物がゆっくりに見えたのは、動体視力が強化されたからだ。
この指輪のお陰で空紀は、カウンターや奇襲を成功させる事が出来た。
少女の次にと伸ばされた手を掻い潜り、刺さっていた鉈を奪う。振り向こうとするゴブリンの頭を、力任せに叩き斬った。
異変に気付きだしたゴブリン達を、不恰好に殺していく。基本は頭狙い、防がれたら足を切る。囲まれれば素人には厳しい。
最後の一匹の脳天を割るまで、虐殺し続けた。足は止めない、走って斬って殺す。
例え相手が巨大ゴブリンでも、やることは一緒だ。
「ぶっ殺す!」
記憶が無くとも、乱暴な口調だと思う。しかし過去がどんな自分だったとしても、今死ねば全てが終わるのだ。
人とゴブリンの血を吸った鉈で、奴をぶっ殺さなければ。
閲覧有難う御座いました。