第31話:ナナミ・トクミヤは人を探して役に立つ08(クロノスはお仕置きをされて、それでも役目を果たす)
「…えー、時刻は昼の三時〇八分。中央時計塔の目前のため、そちらを基準に記録するものとする。天候は晴天…雲ひとつない青空なり。対象者は二十代男性。紅い目が特徴の普人族である。」
黄銅色の鎧姿の大柄なおっさんは何やらぶつぶつ呟いて手元のメモ帳に文字を書き込んでいた。隣にいたナナミはなんだかわからずただ茫然としているだけだ。時計塔の壁をよじ登っているクロノスもまた、それを見守ることしかできない。
「これにて事前記録終了。それでは対象者への徴収を開始する。おほん…やい貴様‼冒険者のクロノスだな!?市民から怪しい男が時計塔を登っていると通報があって駆けつけて来てみれば…やはり貴様かー‼」
時計塔の高い場所にいたクロノスへ、鎧姿のおっさんは怒鳴りつけてきたのだった。
彼の名はライザック。ミツユース街の警備をポーラスティアの国から任されている警備兵団の隊長格の男だ。中年から初老に差し掛かるそれなりの年齢であるが、警備兵として何十年も鍛錬で鍛えに鍛えられ続けた肉体は鋼のごとき逞しさと輝きで、鎧越しでもそのふくらみの立派さは目を見張るものがある。厳つい顔の中年なのに、それがいいと女性の隠れファンも多いと言うから驚きだ。
「二人きりの夜に正義のお縄を頂戴したい‼」
「亭主関白宣言してほしい‼」
「嫁入りしてあのおヒゲを毎日お手入れしたい‼でも既婚者‼うーん残念‼」
…などなどは、ファンの女性達からの熱いお言葉。抜粋が偏っているような気もするが気にするな。
その冴えた肉体から繰り出される捕縛術の数々は一流で、街で悪さをする幾重もの悪人を捕えては檻の中へぶち込んできたのだそう。
あとこう見えて彼はポーラスティア王国より爵位を賜っているお貴族様でもある。階級は最下位の男爵だが、一代限りの名誉貴族などとは違い親から受け継ぎ子へ託す立派な称号であることには変わりない。
無礼を働く者があれば不敬罪で逮捕することもできるが、自身の身分を鼻に掛けず一般市民が相手でも対等に接し、少々の無礼では決して怒ることもない高潔な精神の持ち主と評価が高い。
そんなライザックを時計塔の上から見降ろす形で眺めていたクロノスは、にっこりとヘタクソに微笑み挨拶してみた。
「や、やぁライザック男爵殿。今日はいい天気ですなぁ。お天道様の日差しが気持ちいい。これだけ高いところにいるとそれがよく実感できるよ、うん。」
「黙れ何がいい天気だ‼なにが男爵殿だコノヤロー‼冒険者風情が‼時計塔に登って遊ぶのは禁止されておる‼そこにも立て看板で注意書きを置いているはずだが貴様のゴミのような目ン玉では読めんかったか!?ああそうか内容が理解できなかったんだな‼悪かったな貴様のようなバカの読めない難しい字で書いて‼」
怒り心頭のライザックは真横にあった看板をびしりと指さした。ナナミが見ると確かにそこには「時計塔に登ったり落書きを描いたりする不届き者がいます。時計塔は街のシンボルなので大切に扱わなくてはなりません。不届き者を見つけたら警備兵団への善意の通報を‼」とか書いてあった。クロノスからはずいぶん距離があるわけだが、彼の視力ならばっちり全部読めた。
「読んだか!?なら逮捕してやるから今すぐ降りてこいゴミ冒険者が‼なんなら我が叩き落としてくれようか!?」
「逮捕!?いくら何でも性急すぎやしませんかね!?」
「どう見ても現行犯だろうがクソが‼詰め所で余罪を追及して牢屋に一週間はぶち込んでくれるわ‼」
ライザックは真面目でひたむきで一途で直向。街と市民の安全を守るべく毎日使命に燃えている男である…と言えば聞こえは良いが、単に頭が固い頑固者なだけともいう。街の中では警備兵はヘルムの着用義務はないのに昼間から深々と被っていることからも彼のそれが筋金入りというのがよくわかる。
そんな彼が自由気ままに好き勝手にやっている規律も常識も持ち合わせていない冒険者のことを好むわけがなく、何かと目の敵にしている。ミツユースで活動する冒険者に彼は共通の苦手意識を持たれていた。
ついでに言えばライザックが他に嫌いなものは街でトラブルをよく起こしている荒くれ者の船乗りと傭兵。それとサラダに入っている豆と娘の彼氏だそうだ。最初にあげた冒険者を含むこの五つはさっさと滅んで消えて欲しいと思っており、彼にとって正に宿敵であった。
クロノスのことも当然嫌いだ。それどころかクロノスを冒険者の代表格のように見ており、何かと突っかかってくるし、あずかり知らぬところでよそ様の冒険者が何かをやらかせば全部クロノスのせいにしてきていた。
「…駄目だ。まったく怒り心頭でいらっしゃるご様子で話しになんねぇ。どうしてこういう時に限ってライザックのおっさんが来るのかな?フツーのしたっぱ警備兵なら登ってくる前に全部終わらせられるのに…まためんどくさい相手が来たもんだ。これでは目的が達成できない…早く登らないと…‼」
クロノスは下で喚くライザックを無視することに決めた。そして残りの壁をさっさと登ってしまおうと手を伸ばし上のレンガを掴む。
「言うこと聞かない気だな…逃がすか‼とりゃああああ‼」
それを見たライザックは、少し後ずさりそこから全力ダッシュで時計塔に向って突っ込んだ。
普通ならそのまま壁に激突して痛い思いをすることだろう。しかし…
「うおおおおおおおおお‼」
なんと警備兵長ライザックは壁にぶつかる直前でジャンプしたかと思ったら、そのまま足を壁に突っ込ませてさらに走ったのだ。すると彼の足は壁に当たり、そのままどっしどっしと駆けだす。金属の鎧ががしゃりがしゃりと音を奏でているのがクロノスのいた所まで聞こえた。
彼は今、壁を垂直に走って登っているのだ。まるで彼の周りだけ重力法則が90度傾いているかのようだ。
「ヒィこっち来てるぅ‼しかも壁を垂直に走ってるぅ!?」
「舐めるな小僧‼我の鍛え上げられた筋肉ならこんな垂直の壁程度…うおおおおおおおおお‼」
「いやあああ‼ゴツイおっさんに追われるううう‼レディに追われるのは嬉しいがおっさんはいやだああああ‼」
慌ててクロノスが壁の残りを登ってしまおうとしたが、まっすぐに走るライザックの方がはるかに速い。彼はあっという間にクロノスに追いつき…
「捕まえたぞぉ…‼」
「…捕まっちゃった♡」
「可愛げが無いな。どれ、我がうんと懲らしめてやろう…‼」
ライザックはクロノスの胴体を太くたくましい両腕でがっちりとホールド。そして走りをやめたことで重力に従い自由落下を始める。クロノスの手と足もとっくに壁からはがれていた。
「ちょっと待て‼そのまま地面に頭が…」
「問答無用‼喰らえっ、「飯綱落とし」っ‼」
「ぐえっ…」
空中で頭が下になる形になり、クロノスの脳天が先に地面と激突した‼落下地点は大きく穿たれ、周囲のタイルはひび割れて土煙が巻き起こる。
「く、クロノスさん…‼」
「街の風紀を乱す冒険者は…亡ぬがよし。」
土煙が風に巻かれてなくなると、上半身が逆さまに地面に突っ込んだクロノスの体がそこにあった。彼はピクリとも動かない。
さて、主人公がくたばってしまったので猫より役立て‼ユニオンブレイブ。これにて完――――
「…もが、もがっがあああぁ…ぷはっ、ころ、す気、かあああああ‼」
…ああ安心。クロノスはどうやら生きていたようだ。打ち切りにならなくてよかったよかった。
「いきなりひどくない!?俺だって街の一市民だよ!?税金だってちゃんと真面目に払ってるんだよ!?それなのにいきなり頭から石畳にめり込ませるとかっ、君は悪魔の化身か何かか!?」
地面に埋まった頭を引っこ抜いたクロノスは、開口一番にライザックへ苦情を申し入れた。
「ふん、逃走を試みようとしたがゆえの適切な対処だ。それにどうせ貴様はこの程度では死なんだろうが。」
しかし当人はまったくの反省の意をみせることもなく、警備兵として、人として正しいことをしたのだと己の行いに誇りを抱いていた。
「普通は死ぬからな‼俺だって頑張って防御したんだぞ‼」
「この高さから石畳に頭を直撃すれば脳漿を炸裂させると相場は決まっているというのに…冒険者とは食えん連中だ。」
「俺だからよかったの‼冒険者でも普通は死ぬから‼一般市民に殺す気で技をかけるなっての‼」
「生きておるのだからいいではないか。それに我の逮捕術は相手の命を奪わん技だ。檻の中で自らの罪を悔い改めてもらわねばならんからな。」
「思いっきり奪いに来てるよね?着地する瞬間に死神が手招きしていたのが見えたぞ。しかもありがたいことに髑髏の仮面をつけた美少女だった。あれなら魂を持っていかれても構わないくらいにな。」
「そうかなら死んでまた会って来い。「蛇〆」。」
「グギギギギ…!?」
ライザックがクロノスに抱き着き全身に力を籠めると筋肉が膨れ上がった。そしてクロノスの全身からはぽきぽきめきゃめきゃと嫌な男が立つ。
それが骨の軋む音だとわかった者はいただろうか。常人なら死んでいるだろうが…クロノスは丈夫なので大丈夫だきっと。
技を何分かかけられ続けたクロノスの顔色が悪くなってくると、ライザックはようやく丸太のような太い腕をクロノスから手離して解放してくれた。
「クロノスさん大丈夫?」
「死神の美少女が…三人に増えた…三つ子だと…!?あいや、俺がふらついて三人に見えるだけか…?はらほろひれはれ…はっ‼なんと全員ガーターベルトに黒のストッキングだと…!?あ~ガーターベルトの紐と太ももの間に指突っ込んでうっ血するまで挟まれてぇ~。」
「あらら、壊れちゃってるねうん…よいしょ~‼」
おかしなことを口走っているクロノスの頭へ、ナナミは武器の短杖の先っぽで思いきり殴ってやった。すぱぁんと良い音が鳴る。
「ぐへっ!?」と間の抜けた叫び声をあげたあと、頭を押さえたクロノスは周りをキョロキョロ…どうやら元の世界に戻ってきたようだ。
「クソ、夢か…ああ、俺のマイ死神少女…俺が冥府に落ちるその時に、どうかまた会おう。そしたら今度こそガーターベルトに指を挟ませてくれ。ついでに髑髏の仮面の、君の顔の油がついた裏側を堪能させてくれるとなおよし。」
「茶番は済んだか?」
「…これが茶番に見えるのか。俺は真剣だと言うのに…これだから頭の固く、硬く、そして堅いお役人様ときたら…‼」
「いいから質問に答えてもらおうか。ガキのお遊びならまだしも、いい大人の貴様が何の用があって時計塔へ登るのだ。職務質問してやるから答えるがよい。」
「ったく、聞くだけの余裕があるなら最初から聞けばよかったじゃないか。」
「えと、ライザックさん。あのですね…」
文句を言いながらもクロノスとナナミはこれまでの経緯をライザックに話すことにした。
「出稼ぎ労働者の家族に頼まれて行方不明の男を捜していると…ほう。しかしそれがなぜ時計塔に登ることに繋がると言うのだ。話の点と点がさっぱり繋がらぬぞ。」
「いや実におっしゃる通りです。クロノスさん、私だってわかんないんですけど?」
ナナミだってよくは知らないのだ。ただクロノスに言われるがままに着いてきただけで時計塔に登る理由なんてわかるわけがなかった。
「面倒なんで詳細は省く。とにかく時計塔に登ればヒントが見つかるかもしれないんだ。少しでいい、見逃してくれよライザックのおっさん。」
「わけのわからん奴だ。これだから冒険者というのは…しかし、だ。事情はあい分かった。」
そう言うとライザックは「ちと待っておれ。」とだけ言い二人をその場にとどめ、時計塔の整備点検用の入り口へ向かって行った。
ライザックが扉をノックすると中から老いた爺がでてきたが、きっと時計塔の整備や掃除をしている管理人だろう。有事の際に備えすぐに連絡できるように常に誰かしら駐在しているようだ。
ライザックは出てきた老人に何やら話をしていた。少ししてそれが済むと老人は入り口の扉を大きく開いたまま中へ戻っていき、ライザックはがこちらへ来いとクロノスとナナミ手招きをして呼んできた。
「時計塔に登ってもよいぞ。ただし中の点検整備用の階段からだ。もう壁をよじ登るんじゃないぞ。」
「えっ、登っていいのか?」
「管理者に許可をもらったから問題ない。許可がでたなら我ら警備兵は何も言わん。いいか?もう一度言うが中から天井へ行けよ。壁を登っているのを見られるとまた市民に通報されてしまうからな。通報があれば我らはすぐにでも駆け付けねばならん。貴様ごときのためにいちいち警備兵を出動させているほど我らは暇でもないのだ。わかったな?」
「わかったけどさぁ、本当に登ってもいいのか…?」
「何を不思議そうな顔をしておる。なんでもなにも貴様が登りたがっていたのだろう?それとも登る気がなくなったか?」
「いやいや、それはありがたいことだが…君はそういうの許可するとは思えないからな。それが意外だった。」
たしかに普通なら許可を出すようなことは絶対にしない。ライザックは真面目な警備兵だ。規則に例外など認めるはずがないのだ。そんな頭が固い彼が例外など認めるはずがない。街の重要な施設に一般人の、事あるごとに何かと街を騒がせる憎き冒険者を招き入れることなどまずありえない。まだまだ暖かい季節だが明日から雪が降りだすと言ったほうが信じられるくらいだ。
クロノスが真意を測りかねていると、ライザックがやれやれと首を振り観念して自分から話してくれた。
「この街に出稼ぎにやってきた人間が行方不明となることは時々あるのだ。そうするとたまに家族や友人が街までやって来てそいつを探す。しかし彼らは街に詳しくなく、冒険者へクエストを出したり労働管理組合を頼ったりするがその結果もよいものではない。そうして困り果てた末に遂には我ら警備兵を頼ってくるのだ。「兄が、妹が、息子が、父親が、友人が…どこにいるかわからないか?いっそなにか罪を犯して牢屋の中にいてくれていてもいい。」…などと言ってな。だが、我らとてまさか出稼ぎ労働者を全員把握しているわけでもないし、市民でもない他国の人間の捜索に多くの人員を割くわけにもいかん。結局は力になれぬことも多くてな。尋ね人を見つけ出せずにとぼとぼと故郷へ帰っていく背中をいくつも見てきたものだ…」
真面目な男ライザックは隠し事も下手だ。感情を表に出さないようにしているつもりのようだが、語る彼の表情は寂しそうなのがクロノスとナナミにはよくわかった。
「冒険者の手での捜索など反吐が出るが、真面目にやってくれるのなら文句はない。貴様も悪戯に塔を登るわけではないのだろう?ムカつく顔だが理由もなくそういうことをする男でもないことも我がよく知っておる。ムカつく顔なことにな。」
「ムカつく顔とか二回言うのやめてくんない?」
「ふん、少なくとも…天辺の時計盤にサインでもいれようなんてことはあるまい。」
「まさか。こっちもそんなことするほど暇じゃないんでね。」
「そうか、それだけ聞ければ結構。なら勝手にしろ。」
言うだけのことを終えたライザックはくるりと踵を返して立ち去る用意をしていた。
「…さて、我は街の巡回が忙しいのでこれで失礼する。今回は不問に処すが…くれぐれも時計の針には触るんじゃないぞ。あれを狂わせでもしたら大変なことになるからな。」
街の住人の大半は時計塔の時報を当てにしているので、少しでも狂えばその影響は計り知れない。ライザックはそう警告するのを忘れない。
「ありがとよライザックのおっさん。おっさんもたまには役に立つもんだ。」
「少しでも感謝の念があるのなら、この街で騒ぎを起こさないようにして我ら警備兵の仕事を減らすことに努め励むのだな。…それと我ら警備兵団は市民からの差し入れは大歓迎であるぞ。警備兵は体を使うから休憩中に甘いものを食すのは一時の癒しだ。このことは頭の片隅にでも置いておけ。」
つまり見返りに何か甘い物でも寄越せということか。今度ナナミと甘味を買って差し入れに行こう。警備兵は体格もよくみなよく食べるので相当な量が必要そうだ。
ライザックはヘルムのバイザーを閉じて顔を隠すと振り向くこともなく立ち去っていった。
「えーと、ツンデレ?」
「デレがくる前にツンで刺されて死んでしまいそうだがな。それよりもさっさと登るか。」
邪魔ものも退散したのでクロノスとナナミは時計塔の天辺をめざす。今度は壁をよじ登る必要はなく、内部の階段を使ったので一番上にたどり着くのは簡単だった。
―――
内部の吹き抜け階段から一気にてっぺんまで登り、そこから屋根の上に繋がる清掃用の通路を伝ってクロノスは屋根の上に乗っていた。
地上七十メートルの高さでは吹く風は地上よりも強い。それに加えて足場の悪さ…少でも油断すれば足を取られて地上へ真っ逆さまだろう。
ナナミは出入り口の穴から顔だけ出して、一人屋根の上で立つクロノスの様子を見ていた。頭の麦わら帽子が風で持っていかれないようにしながら梯子を片腕で支えるのはけっこう大変だ。
「(うわっ、風つよっ‼クロノスさんこんなところでさっきから何しているんだろう…?)」
クロノスはこの不規則な環境の中で目を閉じてじいっとしたまま、一時間以上突っ立ったままだ。足元は安定していて、まるで彼は石にでもなったかのようにぴくりとも動くことはない。
もしかしたらいつの間にか自分の石像を持って来て入れ替わっていて、当の本人は今頃猫亭で冒険者おとカードゲームでもしているのかも…ナナミはついそんなことを考えてしまった。
「まさか本当に石になってしまったのでは…?もしかして私が目を離した隙に自分そっくりの石像とすり替えて帰ったとか…まさか自分の石像を用意しているわけないけど、だってクロノスさんだしなぁ…」
「…さすがに俺でもそこまでのことはしない。」
「わ、生きてた‼」
ナナミが目の前のクロノス=石像説を半分くらい信じ始めたところで、クロノスは閉じていた瞼をゆっくりと開き、紅い目を露出させて発言をした。どうやら石像と入れ替わってはいなかったようだ。あり得もしない心配が杞憂に終わりナナミは安心した。
「それよりも…きたぞ。このタイミングなら…‼」
「なにか来たの?」
「静かにっ…‼ここは今の時間帯だと街中の空気が一巡して必ず通るんだ。前に昼寝にちょうどいい場所を探して登ってみた時に気付いた。」
「前にもって…時計塔に登ったことあるんかい。」
「それは忘れておけ。いやしかし…いいタイミングだったな。今の時間なら街中の風を掴むことができる。」
「風?いったいここまで来て何をするつもりなのよ。」
「まぁ待ってろ。少し集中する必要があるんだ。すぐに済む…」
クロノスは再び目をつぶり黙りこくってしまう。そしてポケットから取り出したのは、ルハイから預かったドルハのの手紙だ。それを自らの鼻へ近づけてその臭いをくんと嗅いでいた。それは明らかに手紙の臭いをかぎ取っている仕草だ。
「(こんなところで手紙のニオイなんて嗅いでなにやってるんだろう…?)」
静かにしろと言われた手前、邪魔をするわけにもいかず、ナナミは風に帽子が持っていかれないように気をつけつつ、黙って彼を見守っていた。
しばらく経ってナナミが風により体に冷えを感じ出したところで、クロノスが目をかっと見開いた。
「…見つけた。」
それだけ言うとクロノスはその場を動き、穴まで戻ってきた。手紙はとうにポケットにしまっている。
「ねぇ、何を見つけたの?そもそもずっと何をしていたの?手紙の臭いを嗅ぐ以外に何かしていたようには見えなかったけど…」
「だから臭いを嗅いでいたんだ。臭いだよ。ドルハっつう人間のな。」
「は?」
いま臭いっつたかこの男。犬や猫じゃないんだぞ。というか街中の風に乗ってくるわずかな臭いから特定の、たった一人だけの人物の臭いを嗅ぎ当てるなんて芸当、獣にだって不可能だ。嗅ぎ分けられたのだとしても臭いの元が何十万あるというのだろうか。とても分けることなんてできるはずがない。
「いやしかし見つかってよかった。なかった場合はこの街にいないということだからな。」
しかしクロノスは自身たっぷりの余裕の表情だ。ナナミが梯子を独占して塞がっているのにその横を伝いにするすると時計塔の内階段まで降りていく。本当は時計塔から地面に向って飛び降りてもよかったが、また騒ぎになって警備兵を呼ばれたらたまったものではないので、大人しく階段を使う。
最後に時計塔の管理人へ礼を言ってから、その場を後にした。
「ねぇ、さっきの話は本当なの?臭いでドルハさんを捜したんなてまさかぁ。」
「できるんだよ俺には。普段は抑えているがこれでも人より鼻が利くんだ。」
「利くってレベルじゃないでしょそれは。犬かな?いえ、犬よりもとんでもない嗅覚…」
「街中から流れてくる億単位の種類の臭い、匂い、におい、ニオイ…知っている臭いならだいたいわかる。信じないのなら結構。俺はこのままカフェに茶でも啜りに行くだけだ。」
「あっ、えと、信じる‼信じるから‼その場所を案内してくださいっ‼」
ナナミはてくてくと移動するクロノスの後を慌てて追った。




