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鏡越しに見えるのは

 シャキシャキシャキ……という音が耳に心地よい。

 美雪は鏡越しに桜庭の手元を見つめた。小刻みに動かされる鋏と、ぱらぱらと落ちる髪の毛。手の動きは軽やかで思わず見入ってしまうほどだ。

 邪魔になる髪の房をねじって止めて、鋏を入れる分だけすっと指先ですくう。

 毛先を見つめる桜庭は真剣で、美雪は口を開くことなくただただそれだけを見ていた。

 そんな桜庭が、鏡の中でふっと笑う。


「そんな見つめんなよ。笑いたくなるだろ」


 からかうような言葉に美雪は頭を動かさないように気をつけて、ようやく声を上げた。


「サクちゃん、すごい。本当に美容師さんだ」

「なんだそれ。信じてなかったのかよ」

「そうじゃないけど……実際に見て実感したんですー」

「ああそうですか」


 笑って彼は鋏を置くと、逆側の髪をピンで手際よくとめていく。場所によって髪の毛のとり方もいろいろあるようだ。

 前髪を指で押さえて鋏を動かし始めたのに、美雪は目を閉じる。

 耳だけになると、シャキシャキという音がまた大きく聞こえる気がした。店の中でスタッフと他の客の和やかな会話が聞こえたり、電話のベルが鳴ったりしているのも聞こえた。お電話ありがとうございます、と明るい声が対応している。


 桜庭の指が側面の髪に移ったのを感じて目を開ける。

 ピンでとめられていたひと房をはらりと落として、鋏を持ち直したところに、敦さんすみませんとフロントにいたスタッフが声をかけた。ノートを手にしている。それに桜庭も手を止めて視線を落とした。どうやら予約の確認らしい。

 一言二言交わすと、ありがとうございましたと言って相手がフロントへと戻っていった。美雪がそれを鏡の中で追うと、手前に映っている桜庭が首をかしげた。


「今度はなに?」


 美雪の表情から何か読みとったようである。再び鋏を動かしながら尋ねたのに、美雪は感心したようにうなずいた。


「いやあ、サクちゃんサクちゃん言ってるから、さっきの人が敦さんって言ったのが新鮮で」

「ああ、そういやそうだなあ。高校までは、みんなサクって呼んでたから」


 小学校の頃から、それは変わっていない。

 というか、むしろ小学校のときにそう呼ばれていて、中学に上がっても同小の友人が同じように呼び続け、新しい友人も釣られてそう呼ぶようになったからだろう。それは高校でも同じだ。

 美雪は今まで気にもしなかったことが、急に気になりだした。


「あっくん、とか呼ばれてもおかしくないはずなのにね。なんでサクは苗字の方があだ名になったんだろうねえ」

「そりゃあ、あっくんが他にいたからだろ」

「ああ、そっか。佐藤くんがあっくんだったからか。――じゃあ、専門学校? 短大? 行ってからは名前呼び増えた?」

「専門。――そう、増えた。というか、サクはなかったなあ。地元のやつ一緒じゃないし」

「ふうん」


 敦、という名前なのはもちろん知っているが、美雪は一度も呼んだことがない。

 彼が地元で名前を呼ばれない理由は、今ので納得したが、実際に桜庭が呼ばれているのを想像すると聞き慣れなくておもしろかった。

 そうかそうかとうなずいていたら、桜庭は鋏をケースに戻した。ワゴンを振り返って見開きの鏡を取り出す。


「長さ、これくらいに合わせて、サイドを軽くしたんだけど。後ろはこんな感じ」


 美雪が向き合っている鏡に、桜庭が持った鏡が映って後頭部の髪が見える。

 今までよりもずっと軽くなっていた。


「うん。いいです」

「じゃあ、一回髪の毛落とそうか。シャンプーしてもらって、それからもうちょっと調整。そのあとでワックスつけてみていい?」

「はーい」


 こくこくとうなずいた美雪のクロスを取り外す。髪の毛が落ちて美雪につかないように、裾をまとめるようにして持った桜庭は、お願いしますとまたスタッフに声をかけた。

 初めのときと同じ女性スタッフが、こちらへどうぞと案内してくれるのに、すみませんとまた美雪が頭を下げる。

 そうしてまた、すみませんすみませんという声を間に挟みながら、美雪はシャンプーをしてもらって席に戻る。桜庭ともう一人のスタッフと二人がかりでドライヤーを持ち、濡れた美雪の髪を乾かしていく。ある程度乾いたところで桜庭だけになり、ブラシを使ってブローする手元を美雪はじっくりと眺めていた。


 ワックスをつけて毛先を遊ばせた髪型は、切る前と比べるとずいぶん垢抜けた印象である。雑誌に載っていたモデルとはいかないまでも、あの髪型のイメージにとても近かった。

 おお、と思わず声を上げた美雪に桜庭は片目をつぶってみせる。


「どう?」


 覗きこむようにした彼に、美雪はにっこり笑った。


「すごい。雰囲気が変わって、明るくなった気がする」

「小顔効果もあるよ。美雪、ちゃんと美容院いってるわりに今まで無難にすませてたから、ちょっと変えるだけで結構変わるもんだろ」

「本当だね。サクちゃんすごい」

「はいはい。もっと褒めて褒めて」


 おどける桜庭に美雪はくすくす笑う。こういう明るくてノリのよいところは、桜庭のよいところだ。

 今は美雪相手で砕けているけれど、普通の客相手でもその明るい雰囲気はとても気持ちがよいだろう。実際に担当してもらって、美容師としての桜庭を見て、美雪は納得した。


「今日はこれでおしまい。また来月、来てくれてもいいし、行きなれてるとこいってもいいし、美雪に任せるよ」


 言いながら桜庭は美雪の椅子を回してフロントの方へ向ける。美雪はゆっくりと立ち上がって傍らを見上げた。


「サク。これで他のところは行けないよ。――また連絡してもいい?」


 上目に窺う美雪に桜庭は視線を外して頬をかいた。


「いいんじゃねえの」

「じゃあ、そうする。今日ありがとうね」

「おー」


 ひらひらと手を振りながら、美雪をフロントへ促す。棚に並べられた美雪の鞄を取って手渡した。それから財布を取り出している間に、フロントにいたスタッフがレジを打ち込んで、その横で桜庭が引き出しを開ける。

 本日はカットのみですので、と会計を始めたスタッフに財布からお札を抜き取り、機械が吐き出したレシートと一緒にお釣りが渡された。すると、今度は桜庭が小さいカードを美雪に差し出す。


「店のカード。予約は俺でも店でもどっちでもいいから」

「うん、わかった。――どうもありがとうございました」

「気をつけて帰れよ」


 スタッフに頭を下げて、入り口まで見送ってくれた桜庭に手を振る。

 軽くなった髪の毛がふんわりと踊って頬を撫でた。


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