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次に会う約束

「美雪って本当想像通りの反応するから笑える。顔に出るのも変わってねえな」


 おかしそうに肩を震わせた桜庭に、美雪は顔を赤くして口を開く。

 慌てたように早口だ。


「だって、びっくりするよ普通。じゃあ、今このへんのお店でやってるの?」

「そ。隣駅の前のとこ。学校卒業してからずっとだから、去年から鋏持たせてもらってんの」

「へえー」


 打って変わって、今度は感心したようなため息を零した美雪に彼は眉を上げる。


「美雪は建設会社の事務やってるって聞いたけど」

「よく知ってるね。市役所の近くのとこだよ」

「ふーん。じゃあ、さっきのおじさん、会社の人?」


 ジョッキを手にかけながら桜庭はじっと美雪を見る。

 それに彼女は首を振った。


「発注先の人。もう定年で三月いっぱいだから、仕事で会うことはないんだけど。お世話になったし、可愛がってもらったの」

「だからって、ああいう話に情とかで乗るなよ? それとこれは別だぞ」

「……あんな話だと思わなかったんだよ」


 げんなりしたように顔をしかめた美雪。桜庭は、そんな美雪を覗き込んだ。


「あの話、正直どう思ったの?」


 サラダのクルトンを箸で追いながら、美雪は困ったように眉を寄せる。


「すごく、おいしい話だと思った。ただ、おいしすぎて不安」

「聞こえはいいからなあ。まあ、まっとうなやつもあるだろうけど、手を出さないことが吉だと思うんだよね、俺としては。それなのに誰かさんは、まあしょうがないかなーみたいな雰囲気になってたから、こっちがハラハラしたじゃん」

「だって、相沢さんが誘ってくれたんだもん」


 ジョッキのビールを一口含んだ美雪は、どことなく肩を落とした。

 桜庭はぐいっとジョッキを煽って空にする。それをテーブルの脇に寄せるとため息をついた。


「それでそんな落ち込んでんの」


 美雪は口を尖らせる。桜庭のものとは比べ物にならないくらい、大きなため息を零す。はあ、と吐き出した息と一緒に、肩まで床に落ちてしまうんじゃないかと思うほどのものだ。


「いい話だから、勧めてくれたんだとは思うんだけど。あれって、わたしが申し込みすると、相沢さんにお金が振り込まれるわけじゃん、チャリーンて。結局、そういうことなんだなあと思っただけで」

「うん。だからさ、そこは怒っていいとこだと思うんだよな。世話になった人だから、余計にがっかりしてんでしょ」

「……やっぱりそうかなあ」


 チャリーン、と大袈裟なように言っていた相沢は、いつも事務所に来てくれたときと同じように、親しみをこめた笑みを浮かべていた。その声とこの単語はしばらく頭から離れなさそうだ。


「本当にいいものだから勧めてくれたとしたって、真意はわかんないんだからさ。ああいう話はそうやって、人間関係も崩れる原因になりやすいんだぞ。美雪は手を出すのやめた方がいいでしょ。それとも、お前会員になって、あれを友達に勧められるか?」

「無理」

「だろ?」


 はあ、とまた大きなため息が出た。もやもやしたものが、桜庭の言葉によって形をはっきりとさせる。そして、諭すようなそれがまた美雪をほっとさせた。

 正直、ショックだったのだ。

 美雪は相沢のことは好意的に思っていたし、本当に仕事で世話になって尊敬もしていた。定年退職すると聞いたときは残念で寂しいと思ったし、定年後にこうして声をかけてくれたことが嬉しかったのだ。実際は内容に度肝を抜かれたけれど。


 相沢が美雪のためを思ってインターネットビジネスを紹介してくれたにしても、結局のところ彼の利益に一役買う立場を勧めてきたことに変わりない。

 あのビジネスがマルチ商法と言われるものなのかもよくわからないし、もしかしたらこちらの先入観が歪んだ見方をさせているだけで本当によいものかもしれないが、言葉を選ばずに言えばそういうことだ。


 自分の心が狭いだけかとも思ったが、桜庭にそう言われて肩の力が抜けた。

 桜庭が偶然居合わせてくれてよかった。

 あのままだったら、美雪はずるずると引き込まれていって、また余計に断れない状況に陥っていったかもしれない。

 今回は断ることができ、相沢との関係も崩れたわけではない。なんとかまあ、丸く収まったわけだ。


「本当、サクありがとう」


 改めて、彼が間に入ってくれたことがとても大きなことに思えて、唐突に美雪は礼を言った。

 桜庭はそれに軽く噴き、笑いながら肩をすくめる。ちょうど来た店員が空いたジョッキを下げていった。


「いいよ。あれもまたそういう巡りあわせだったんでしょ」

「偶然てすごいねえ。――じゃあ、お礼に今日はわたしが奢ります」


 真顔でうなずいた美雪に、桜庭は呆れた顔をした。


「バカだねーだったらここは割り勘が妥当でしょうに。それに、礼だって言うなら今度店に来てくれるほうがいいんですけど」

「店って、サクの美容院?」

「そう。切ってやるよ、俺が」


 にっと悪戯っぽく笑った桜庭に、美雪はきょとんとした。

 そういうことは、思いつきもしなかったと顔に書いてあるから、桜庭はますますおかしそうに声を上げて笑った。


「いいじゃん、そうしてよ。お前、月に一回くらいは行ってんだろ美容院」


 肩につくかつかないかの長さの美雪の髪。

 この長さを保ちながら、重くもなく軽くもない今の状況を見て、桜庭はそう読み取ったらしい。その通りだったので美雪は驚きながらうなずいた。


「わかった。来月あたり、お願いすることにする」

「そうそう。素直が一番」


 じゃあご褒美に奢ってあげよう。

 先ほどと言っていることがすっかり変わって、伝票を持って行ってしまう桜庭に、美雪は慌てて制止の声をかけたが、すたすたと彼はレジに向かってしまった。割り勘って言ったくせに!

 サク、お金お金! と店の前で言ったところで、彼が受け付けるかといったら、もちろん答えはノーである。

 こういう強引さが彼にあっただろうかと思ったところで、美雪にわかるはずもなかったし、結局はご馳走様でしたと頭を下げたことは言うまでもない。




「美雪、携帯教えて」


 店を出たところで、思い出したように桜庭が美雪を振り返った。

 美雪はわずかに眉を寄せる。


「わたし、メールとか苦手だけどいいの?」

「……いや、店に来るなら予約とか連絡必要かと思ったんだけど」

「うわあ! 自意識過剰だったーごめんごめん」


 顔を赤くして笑った美雪は、恥ずかしさを誤魔化すようにいそいそと鞄からスマートフォンを取り出した。

 慌ててぽちぽち画面を操作しているのに桜庭は小さく息を吐く。


「まあ、それでもいいんだけど。――俺から送るぞー」

「はーい」


 端末を向かい合わせて、お互いにその液晶を覗き込む。桜庭の連絡先が美雪の端末に入ったのを確認して登録。無事に交換がすんだ。

 小学生のときは携帯電話なんて持っていなかったし、そのあとの微妙な関係のときに桜庭と連絡先を交換し合うこともなかった。連絡先一覧に【桜庭 敦】と新しく並んだのを見て、なんだかとても不思議な気持ちになる。


「じゃあ、来月入ったら連絡入れて。予約、それでしとくから」

「うん、わかった。ありがとう」


 ちょっとくすぐったいような、ほわほわするのはアルコールだけのせいではないだろうなと思いながら、美雪は久しぶりに会った友人ににっこり笑ってうなずいた。

 それじゃあまたね、と駅の前で別れ、手を振る。

 今日はいろいろあったなあと振り返るけれど、相沢との話よりも桜庭との再会のほうが嬉しい衝撃で、思わずスマホを見て目を細めてしまった。


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