チャリーン!てお金が入る
2012/06/02(散歩道)
「例えば、森下さんがインターネットで、量販店の販売価格より半額以下の値段で取り扱っているお店があったら、やっぱり友達なんかに勧めるよね」
陽が落ちてしばらく経ったファミリーレストランは、平日にもかかわらず人が多かった。
ピンポーンとテーブルで呼びボタンが押され、ウエイトレスが忙しなく行き交っているのが見ていなくてもわかる。子供がメニューを覗き込んでこれがいい! と声を上げたのが聞こえた。
仕事帰りのこの時間、美雪は滅多に来ないそんな場所へと腰を落ち着けていた。
目の前には中年の男性。取引先企業に勤めていた人で、美雪の会社にも顔を出すことが多かった相沢である。毎回、事務所で対応をする美雪を気に入ってくれ、なんだかんだと世話になった。
美雪はもともと人見知りの部類で、初対面のときは慣れない仕事や環境も相俟って酷くおどおどしていたと思う。それでも相沢は嫌な顔せず気さくに笑って、仕事の手順など助言してくれていた。上司や先輩とはまた違ったふうに美雪を見守ってくれたのだ。
彼はやや脂汗を滲ませた額を光らせながら、にこにこと美雪を覗き込んだ。三月いっぱいで定年を迎えた相沢から、ちょっとよい話があるんだけどと連絡が入ったことが今回の発端である。
何の話かと思えば、なんというか、その、アフィリエイト……?
インターネットビジネスと相沢は言ったが、美雪の受けた印象はマルチ商法、ねずみ講と言ってもよいかもしれない。言い方もいろいろあるのだろう。
まさか、いい話ってこういうこと?
美雪は平静を装いつつ、内心で呆然としていた。
「その友達がネットショップを使うためには会員登録しないといけないんだけど、そのときに紹介者の森下さんのIDを入力することになる。それで買い物をすると、合計金額の一割が森下さんのところにチャリーンて入るわけ」
チャリーン、という単語が妙に鮮明に耳に残るなあと思いながら、美雪は何度か瞬いた。
「はあ、一割ですか」
「そう。一割って、でかいんだよ。よく化粧品の広告をブログに張ってクリックしてもらうアフィリエイトなんかあるでしょう? あれってよくても五パーセントくらいの報奨金しかもらえないんだよ。千円のものだったら五十円、そう考えると一割ってすごいでしょう」
「ええ、多いほうが嬉しいですもんね」
「そうそう」
当たり障りのない相槌を打つと、チャリーンと一割入るんだと言いながら相手はうんうんとうなずいた。
空に近いコーヒーを傾けて、彼は先を続ける。
「扱っている商品も、普通に量販店で売っているメーカー品。なんでこんなに安いの、てこっちが心配になっちゃうくらいだよね」
言いながら彼がカタログを示すと、電化製品から細々した日用品までずらりと並んでいるなかに、見知った商品たちをいくつも見つけた。それが、どれもこれも販売価格の半額以下。
美雪が愛用しているハンドクリームなんて、店で買うと三千円ほどなのに、相沢の示すカタログでは千円を切っている。普通に買うのが馬鹿らしくなってしまうくらいだ。
「会員からの口コミで宣伝できるから、中間マージンを省いてその分安くできるんだ。車とか住宅の販売もあるんだよ。――それで、森下さんの友達がまた友達に紹介するとか、フェイスブックやツイッターなんかで紹介するってことも考えられる。そうすると、普通は、勧めた友達がチャリーンと一割もらえることになるよね。でも、私の紹介するシステムだとそこは森下さんになるんだ。ここはもうちょっとシステムの説明しないといけないんだけど」
「はあ」
なんて言っていいのかわからずにいる美雪に、相沢はレポート用紙のような紙を広げ、簡単な絵を描きだした。
四角い形のものの上に、前株で会社名が足される。
「ネットショッピングで会員になれるのは、森下さんのIDを取得した人なんだけど、その森下さんはここの正会員になっているっていう条件で」
「株式会社なんですか?」
「そう。知らないかな? でも、埼玉にあるちゃんとした会社だよ。その会社が、ネットショップを運営しているんだけど、会社の本当の仕事は健康食品の販売で、その健康食品を定期購入する正会員を今こうして増やしているところ」
会社に模された四角の反対側に、ネットショップという四角が足されて、その間に健康食品の箱だろうか。また四角が増えた。それぞれを矢印で繋いで、図解してくれている。
「健康食品……」
「腸の働きを良くするもので、飲みやすい錠剤で、食事のあとに二粒だけ。これがまた、本当に調子よくなっちゃうんだよねー。一ヶ月分で三万円くらいかな。それで、私が森下さんを誘うみたいに、紹介した新しい人に会員になってもらうと一人につき五千円キャッシュバック。しかも、月々入るんだ。だから、新規会員を増やすとゆくゆくはその食品もタダになって、もっと増やすとまたチャリーンて収入になるわけ」
「それ、増やせば増やしただけ儲けになるんですか」
「上限はあるけど、食品代がタダになってプラス十万円くらいまでは大丈夫だよ。ただ、食品を森下さんが買った月じゃないと振り込まれないところは注意しないと駄目だけど」
つまり、月々三万円払って定期購入しないと機能しないということだ。
紹介して会員を増やすまでは、三万円は確実に出費になる。月に三万円は正直痛い。
「それで、正会員になる人が、さっき説明したネットショップの利用するときに、一般の会員へとIDを広めて、買い物した一割がまたチャリーンてなるから、健康食品の紹介と二本立てで収入が生まれるってことなんだけど。全然知らない人が人づてにショップに来て買い物したとき、森下さんのIDで登録することを考えてみて? その人がもし車を買ったら、家を買ったら……考えただけで嬉しいよね」
「なるほど」
美雪は神妙な顔でうなずいた。
たしかに、おいしい話だ。
六人紹介して健康食品を買ってもらえば、毎月美雪が定期購入しても出費はなくなる。それに加えて、安いネットショップで買い物ができ、口コミで広がった人たちの買い物でも収入になっていく。ネックなのは、六人紹介する部分か。
「こう話すと、チャリーンて部分がすごく強調されちゃうんだけど、大元の健康食品が本当にいいものだからこういうことができてるんだよ。ネットショップの方は置いておいても、あの食品は本当にお勧めだから、ちょっとでもいいかな~と思ったら、試しに一ヶ月分でもやってみると森下さんのためになると思って今日は話を聞いてもらったんだけど」
「腸の働きをよくするんですよね」
「仕事で疲れてても、疲れが次の日に残らないし、肌にすごくいいんだよ」
「うーん、たしかに肌荒れは気になりますけど」
どうしたものか。
おいしすぎる話には、乗らないのが一番だと美雪は思っているのだが、こうして話を聞いてみて欠点はないような気がする。
相沢には本当に世話になった。その彼がこうしてわざわざ紹介してくれるということは、本当にその健康食品は効果が絶大で、三万円出したとしてもそれだけのことはあるのかもしれない。
それに加えて、プラスアルファで収入を得ることができる、となると美雪だっていいなと思う。
話だと、定期購入とは言っても自分で買う買わないを選べるから、最悪は一ヶ月分だけ買ってあとの月は申し込みをしなければ済むわけだ。
三万円かあ。
美雪は腕を組んだ。
「うーん……相沢さん、でも三万円は痛いです」
正直にそうもらすと、相沢は声を上げて笑った。
「たしかにね。森下さんだって出費は他にもあるだろうから。でも、携帯電話も月々払うでしょ? 私なんか、それと同じ感覚なんだよね。必要だから払う、ていう感じで」
「はあ、そうかあ。調子がよくなるわけですもんねえ」
ひと月だけ、出費を覚悟で購入すれば相沢の顔も潰れずに済むだろうか。
美雪は小さくため息をこぼして、それから苦笑を浮かべた。
「ええと、じゃあ――」
「美雪。お前、貯金する金ないって言ってなかった? いい話だろうけど、その前に堅実に貯めたほうがいいんじゃん?」
「へ?」
相沢でもない、もちろん美雪でもない声が突然二人の会話を遮ったのに、驚いて顔を上げる。
声の方を振り返ると、同年代の青年が立っていた。
手にはぺらりと一枚の伝票。短い髪をワックスで立てた相手が背後にいて、美雪は目をまん丸にした。
「え!? サクちゃん!」
「いやホント、こいつ副収入得る以前の問題なんで、すみません。――な。だからお前そろそろ行こうぜ? 俺さすがに腹減ったわ」
「え? ちょ、サク」
「外で待ってるから、早く来いよ」
唐突に登場した相手は、去るのも唐突だった。
驚きに固まった美雪は、唖然としてその背中を見送る。え? サク?? なにがどうなったんだ今。
相沢ももちろん驚かなかったわけがない。ぽかんとした表情を浮かべて、美雪と同じように彼の背中を目で追った。それが見えなくなると、気まずい沈黙が降りる。
美雪はもう一度レジのある店の入り口の方を見てから、相沢に視線を戻して上目に窺った。
「す、すみません。同級生です」
「はあ、そうなんだ。……ええと、約束してたのかな? じゃあ、待たせて悪かったね」
美雪は慌てて手を振った。
「いえ、そんなぜんぜん! ――ただ、まあ彼が言ったことも合っているので。ちょっと今回はやめておきます。せっかく相沢さんがお話ししてくださったのに、申し訳ないんですが」
突然の介入者に驚きもしたが、それをまったく無視して話を完全に戻すことまではしない。せっかく口を挟んでくれたのは、ありがたく利用させてもらおう。
さっきまで、渋々ながらも加入しようかと思っていたのを、都合よくお断りに切り替えた。
申し訳なさそうに頭を下げると、相沢も苦笑を浮かべてうなずく。
「そうか、いやいや私の方はまったくかまわないよ。また気になったら声かけてくれれば、もう一回説明もするし登録してくれてもいいし」
「はい、ありがとうございます」
ここでにっこりと美雪は笑った。
じゃあそろそろこんな時間ですし、と荷物をまとめて暇を告げる。時計は八時を過ぎた時刻を差した。二時間ほどこの説明を聞いていたことになる。
席を立った美雪を相沢は止めることなく、気をつけて帰ってねと笑う。それに、できるだけ丁寧に頭を下げて美雪はようやくファミリーレストランをあとにすることができた。