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厩舎(うまやど)の息子

作者: 吾妻栄子

――あれが、(ちょう)将軍の甥御ですか。


 失望と冷蔑の入り交じった、来客の顔と声。


 これで何度目だろうか。


――まるで女子(おなご)のようですね。


 生前の趙勲(ちょうくん)を実際に目にした人は口を揃えて私に似た雪白の肌、男にしては小柄で骨の細い体だったと語る。


 だが、こうして急に訪ねて来る客は「五虎大将軍の筆頭」と称えられた趙将軍を虎か熊のような偉丈夫と思い描いて甥にもその面影を求めるのだ。


――趙将軍も弟はこんな田舎の厩舎の主人で一生を終えましたからね。


 さすがにこれには腹が立つ。


 有名な趙勲の愛馬、緋龍(ひりゅう)をこの地で産み出したのは他でもない弟の(ねん)だ。


 生まれた時はひ弱な馬だったのに「馬に緋龍あり」と讃えられるまでに育てたのだと聞いた。


 中原最強と言われた趙将軍の騎馬隊の馬たちはうちで丹精込めて育てた子たちだ。


 何より去年みまかった趙然は先に夭折した兄の子まで引き取って我が子同然に育てた情深い人だった。


――将軍がご存命で、お国が無事ならあなた方も都で貴顕の暮らしでしたでしょうに、こんな片田舎で馬や()の世話とは。まあ、都も落とされてからは見る影もありません。(りく)丞相の子息は物乞いになったとか(りょう)将軍の娘御は妓女にされたとかいう噂ばかりですから、こちらに居られる方がまだ良いかもしれませんね。


 都に居たのは物心つく前だし、陸丞相の息子にも梁将軍の娘にも会ったことはないが、彼らよりましだと言われても別に嬉しくない。


 むしろ、会ったこともない彼らはもっとこんな品定めの目線に晒されて胸を痛めているだろうと気の毒になる。


――まだ十三歳ですか。それではこれからもしかすると大化けするかもしれませんね。都でも復辟(ふくへき)を望む声が根強くありますから、趙将軍の血を引く男子なら機を見て馳せ参じるべきです。


 そんなに高邁な使命らしく告げるならまず自分が動いたらどうだろう。


 こういう人が我が身を擲つことは決してしない、代わりに他人に犠牲を払わせようとするだけだとは年端の行かない私にも分かる。


*****


(ねえ)さん」


 外からの冷たい空気と共に干し草や土の匂いが流れてきた。


「なに」


 振り向きつつ少し変わり始めた相手の声に胸がどきつく。


「馬たちに餌をやっておいたよ」


 声はもちろん、こちらに笑い掛ける立ち姿の背もまた伸びたと改めて気付く。


「ありがとう」


 一見すると女の子のような柔和な顔立ちだが、この子のどこか鋭い目は然叔父様より朧気な記憶の中のお父様と重なる。


「あの人、帰ったの」


 卓上に残った二つの向かい合う茶碗に目を走らせると、相手はぽつりと呟くように尋ねた。


「ええ」


 私は何でもない風に頷くと、自分の茶碗に口を着ける。


「趙将軍の忘れ形見の娘なんて噂を聞き付けて期待して来たけれど、向こうもさぞかし興醒めしたでしょうね」


 冷めたお茶は飲み込んだ後に苦味だけが残る。


「この前もそんなこと言って後でしつこく押し掛けられたよね」


 丸みの残る頬はまだあどけないまま、語る声は大人びた低さを持って響いた。


(へき)はそんなこと気にしなくていいの」


 趙将軍亡き後、雷鳴響く晩に郷里の厩舎で生まれたこの子の名は「霹」。


 私にとってただ一人の従弟であり、今や共に厩舎を営む無二の肉親だ。


「私にはここが一番大事なんだから」


 誰かの娘だからとか尊い血を引いているからとかいう理由で求められても、息苦しいだけ。


 霹は黙っている。


 振り向かないが、背中に注がれる眼差しが痛い。


――ヒヒーン。


 扉を隔てた向こうから嘶く声が飛び込んできた。


 背後で弾かれた風に駆け出して扉をバンと開く音が響く。


「姐さん、見て」


 振り向くと、霹が目を輝かせて小雪のちらつく外を示していた。


雪鳳(せつほう)が治ったよ」


 ひ弱でこのまま病で死ぬかと私としては諦めていた仔馬だ。


「もうすっかり元気ね」


 霹はきっと持ち直すと主張して今日まで懸命に面倒を見ていた。


「だから言っただろ」


 雪の舞い散る中、まだ華奢な脚で懸命に駆ける仔馬の姿に少年は晴れやかに笑って告げる。


「今に天下を駆け巡るさ」(了)

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― 新着の感想 ―
[一言] 目立つ華やかな成果をあげる人たちを支える人たちは軽視されがちですが、重要な人たちですね。 ともすれば支えられる人たちですら彼らの助力を忘れて自分の成果を誇りますが、目立たないけど、地に足をつ…
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