悪の救世主
長い間、あまり良くない事をしてきたと思う。運び屋なんて職業にまともな依頼はあまり来ない。まともな依頼が来ないということは、どこか後ろ暗い連中や政府公認の犯罪者からの依頼ばかりだということだ。
そういうのを請け負っている時点で、俺も犯罪者なのかもしれない。とは言え別にそれが嫌なわけではなかった。どうせまともな勉強もしてこなかった俺にはこの運び屋は天職だ。
「…今回のは例外にカウントだ」
送られてきた暗号化されたメール。それをさっきから十回は解読している。何かの間違いじゃないかと思って。
「十一回目…あぁ、こりゃ本物だ…」
やはり間違いじゃないらしい。だとすればとんでもないものを運ばなければいけないことになる。
「この大きさなら2kmは軽いな…」
大量殺人兵器。無差別殺人兵器。感情の無い殺戮兵器。呼び方はなんでもいい。要は地下鉄の車輌に偽装したとんでもない爆弾を運べということだ。おまけに爆破スイッチも押せだと。
「運び屋は殺し屋じゃないぜ。こんなもん受けられるかよ…」
アホらしくなりメールを削除しようとした瞬間、新たなメールが届いた。
「………はぁ」
嫌々ながらもメールを見てしまうあたり、きっちりした自分の性格を恨む。
「………」
暗号化されていない普通のメール。だがその重大性は暗号化されたメールの比じゃなかった。
「…彼女を…解放する…だと?」
俺の頭は真っ白に染まった。
彼女と出会ったのは五年前だ。
彼女は取り引き先の会社…もちろんそれは表向きで、そこは立派な犯罪者達の巣窟で今回の依頼者でもある…とある社員の娘で、言わば人質として会社に軟禁されていた。
初めてこの会社から依頼を受けた俺は、依頼達成後に訪れた会社内で彼女と出会った。恥ずかしい話が…一目惚れだ。
彼女に会いたいが為にその会社から、俺は依頼を山程受けた。知らない内に会社はのし上がり、政府公認の犯罪組織にまでなっていたが、俺には関係なかった。例え彼女の親を知らなかったとはいえ、地獄の入口まで運んでいたとしてもだ。
どちらが口にしたわけでもない。だが俺と彼女の間には確かな絆があった。暖かな…でもどこか冷めた絆が。
三年前…彼女に彼女の親を殺す片棒を担いだことを話した。だが彼女は怒りも泣きもせず『お疲れ様』とだけ言ったのだ。
あれには俺が泣いてしまった。
自分の親を殺した男に…正確には知らない内に片棒を担がされたのだが、そんなことは言い訳にもならない…お疲れ様という彼女。親への思慕より、俺への情が上回ったのだろう。そこから彼女を連れ出してまともな生活に逃げ出せれば良かったのだろうが、彼女を連れ出すことは叶わず、俺が運び屋以外の職を手にすることはなかった。
そんな緩慢とした関係と時間が二年近く過ぎた今日。こんな馬鹿げた依頼が来た。
「…大量の人間を殺す爆弾を運べば、彼女を解放して俺にも二度と依頼はしない…か」
そんな都合のいい話があるわけがない。信じられるわけはなかった。
「…そんな嘘までついて、どうしても成功させたいか」
恐らく彼女の解放は本当だろう。この犯罪組織は何故かそういうところは律義だった。確か先代の社長の嫁が人質になったことがあるらしい。それが関係あるかどうかは知らないが、そういったことに関しては疑う必要がなかった。
最も彼女の場合は親が殺されている為、人質としての価値は皆無………いや、俺の人質としては有効か。
「…受ければ彼女は解放。まぁ俺は今更抜け出せないだろうが…それはいい。彼女の解放と引き換えに大量の人間が死ぬ。受けなければ…やっぱり大量の人間が死んで、彼女も解放されず…」
そんな思考が続けば考えが纏まることはない。だから俺は敢えて即決する。
「皆さんには…死んでもらうか。俺が運ぶ爆弾で」
大切なものの度合いは人それぞれだ。だから俺は彼女をとる。散々悪行を重ねてきた俺に、今更正義を気取るつもりなど毛頭なかった。
「…久しぶりね」
全く嬉しそうではない彼女に、俺は溜め息を吐いた。
「不満か?俺の英断が」
英断…彼女一人の為に大量殺人を行うこと。しかし彼女はそんな俺の欺瞞に満ちた言葉を切って捨てた。
「愚断よ…あなたが本当に考えている決断が」
やっぱり見抜かれていたか。しかし今更後には退けない。彼女に限っては見抜かれているなら話は早いし、好都合だ。
「英断だ。ま、とりあえず君はさっさと乗れ」発車まであと五分はあるが、あまり長く顔を付き合わせていると離せなくなりそうだった。その手に一枚の紙を握らせる。今さっき組織から解放されて顔を合わせたばかりだが、これ以上は見ていられない。
「…そして警察に通報かしら?」
聡明だ。聡明過ぎる。せめて彼女が馬鹿なら俺は苦しむことも、慣れない茶番を演じる必要もなかった。だが仕方ない。俺が好きになった彼女はそういう女だ。
「丸井警部にだ。俺の名を出せば話くらい聞くさ」
丸井警部…何度か捕まったりしたが俺の友人には違いない。破天荒なその性格と権力は今回の茶番に欠かせない人物だ。
「………」
泣きそうな目をされれば思い止まったかもしれない。ただ彼女は問い掛けるだけだった。
「…あるよ」
「………言いたいことがわかるのね。嫌な人」
嫌な人、と言う口は楽しげに、悲しげに笑っていた。
「せいせいするだろ?行けよ」
結局二人共素直になんかなれない。だが…それで良かった。上辺だけでも…それで良かった。でないと別れられない。
「えぇ。またね」
またね。それが彼女の精一杯の愛情だった。
「さてさて…とりあえず目的地まで運ぶかね」
用意された三連結の車輌を見る。普段乗っている地下鉄となんら変わりない。だが二両目だけは違っていた。一応それらしき塗装がしてあるものの、見る者が見ればわかるだろう。それが地下鉄の車輌なんかではないことが。
「ま…2kmは軽いらしいからな。気づかれたって問題ないってことか」
今回の依頼はこの爆弾車輌を停留所まで運転し、その後俺が3km離れてから遠隔操作で爆発させる。その起爆スイッチも俺に渡されていた。
「よし…と。最後の電話の相手がおっさんとはな…きつい罰だぜ」
地下鉄を運転し、約一時間かけてとある場所まで運んだ俺は、ポケットから携帯電話を取り出してボタンを数回押した。
「あ〜、運び屋だがちょっとイレギュラーなことが起きてな」
『なんだ?』
ボイスチェンジャーも使わない大胆さに俺は呆れたが、それは信頼している証拠だろうか。
「ちょいと場所を間違えたみたいでさ。まぁ面倒だからここで爆破させようと思うんだが…構わないか?」
『何を馬鹿なことを…爆弾なら確かに』
「発信器とは疑り深いが…ちょいと雑だろ。ほれ」
ポケットから小さなカードサイズの機械を取り出し、右端に付いているスイッチを押す。それで恐らく相手は驚くはず。
『…っ!貴様』
案の定相手は怒りと驚き混じりの声をあげた。
「ははっ…焦ってるね旦那。じゃあ今度は本当の位置を教えるぜ」
続いて左端のスイッチを押す。爆弾付きの車輌に付いていた発信器…この組織は金持ちなくせに使い回しが多く、以前使ったものと同じ型のそれ…を俺は大量に複製し、電波を同調させておいたのだ。
『なっ!?貴様正気か?』
「爆破範囲は旦那も知ってるだろ?今から5km外に逃げるかい?」
送られてきたデータの爆破範囲は2kmだったが、こいつらがやりそうなことはすぐに見当がつく。昔の知り合いにそのデータを送ると、二倍以上の爆破範囲の想定データを送ってきたのだ。
「本当に悪い人間てのは…どうにもならない奴のことじゃないんだぜ。旦那や執行部隊でもない…俺みたいな奴のことを本当に悪い人間って言うんだ」
『ま、待…』
ピッ。何か言っていたが気にせず電源を切る。まぁ犯罪組織のアジトを爆破するんだ。今更聞くこともない。
「涼子は逃げ延びたかね…」
『心配はいらん』
「…!」
誰もいないはずのこの場に声が響く。一瞬ビビったがそれが構内に設置されたスピーカーだとすぐに気付いた。
「よぉ…丸井警部」
『君の彼女なら無事に保護した。そこから半径4kmに人はいない。政府公認の犯罪組織から犯罪者以外は救出済みだ』
「お仕事早いね。もういっそ警部に任せりゃ良かったかもな」
『…お前が最初から話していればそうしたさ。だが…』
「これは清算だよ。警部にゃ関係ないことさ。俺は死ぬ時は一人寂しくって決めてるんだ。さっさと切ってくれ」
死ぬ時。それが今日になるとは考えたこともなかった。この爆弾はただの爆弾じゃない。大量殺人の為だけに作り出された代物だ。俺の何かと同調もしているらしく、結局それが何かはわからないままだが、爆破範囲外に俺が出れば即座に爆破。一時間経っても俺がスイッチを押さなければ、自動で爆破。わざわざ俺に爆破範囲を偽ったのも、俺もついでに殺したかったからだろう。更に言えば彼女も。
だが全部思い通りにはさせてやらない。大量殺人はさせないし、彼女も殺させない。まぁ俺の命は情けでくれてやるが。確かに色々と知ってはいけないことも知ってしまった気がするが、それは覚悟の上だ。何しろ俺は犯罪者だからな。いつかはこういう日が来ると思っていた。少々大規模な死出の旅だが。『この会話は全国に流れている。例え切ってもお前の最後は皆が知る』
「…!おいおい…警部。嫌がらせか」
『英雄への我々からの精一杯の見送りだ』
笑ってくれればいいのに、一度も笑わない丸井警部。これはある意味公開処刑だ。
「ま…好きにしてくれ。俺には直に関係なくなる」
ここでどうこうしても仕方ないので、諦めて懐からタバコを取り出し、一本を口にくわえる。手にしたライターで火を点けようとしたが、ふと考えた。
「…禁煙するか。涼子タバコ嫌いだしな」
そう言ってしまった自分がひどく滑稽だ。もう会うことなどないのに。
「………」
手が震えてきた。足もだ。やっぱり死ぬのは怖い。
だが…俺は死ぬ。あの時、またね、という彼女の言葉に答えることはなかった。この先もずっと。
それでいい。それでいいのだ。彼女の嫌な過去を消し飛ばせるなら。彼女の憎しみを消し飛ばせるなら。
しかし…
「…無責任な男だな、俺は」
これからの彼女の悲しみを背負えない。それが唯一の心残りだった。
「…さて、死ぬか」
タバコを懐にねじ込み、起爆装置を鞄から取り出す。カバーを開けてスイッチに手をかけた。不思議と震えは止まっている。覚悟でも決まったか?と思ったがそんな度胸はない。
走馬灯はまだ見えないが、スイッチを押せばすぐに見えるだろう。俺にはどんなものが見えるか楽しみでもある。
「なぁ涼子………あるよ。俺とお前の間に……………………愛はあるよ」
カチッという小さな音は大きな光をもたらす。闇は光に覆われた。地下鉄、線路、ホーム、階段、改札、ビル、喫茶店、商店街、車、歩道橋………そして一人の人間と政府公認の犯罪組織。爆弾から5km以内に存在したありとあらゆるものは、全て消え去った。
「さよなら…秋矢。悪い救世主さん…」
自分への言葉を最期に消えた彼が愛用していたのと、同じタバコを握りしめる彼女の頬に涙が流れることはなかった。