第一話 私が俺で、俺が私で
最近のニュースなどで、恋愛事情のもつれで相手を殺す。なんてことが報道されている。
人間というものは極限状態になると、かくも恐ろしいことを為し得るものなのか。
いや、そんなことはないだろう。
俺は常々思う。
一線を越える、越えないを判断するのは自分なのだ。
普段から自分を抑制し、思いのままに自らを操れるようになっている人間ならば、突発的に激情に駆られたとしても、理性というものが歯止めをかけてくれるはずだ。
その点からいうと、今の俺は完全に自分をコントロールできているだろう。
状況を整理しようか。
今、俺は阿部になっている。
それは間違いないだろう。
ならば、阿部は今どこにいる?
答えは簡単だ。
おそらくだが、俺の体に入っていることはあり得る答えだろう。
幸いにして入れ替わった相手が同じ高校なのだ。
普通に登校すれば会えるだろうが、自分の携帯番号くらいは記憶している。
先に俺の体に入っているであろう阿部に確認をとったほうがいいかもしれない。
そう思い立ち、俺はスクールバックの横に無造作に置いてあったスマートフォンを手にした。
パスワードがかかっていた。
適当に番号を入力する。
『エラー』
無情にも、俺の手の中にある阿部の携帯はエラーを吐き続けるばかり。
「くそがああああああああ!!」
絶叫し、床に携帯をたたきつけた。
衝撃で耳が痛くなるほどの音が鳴った。
ざまぁみろ、阿部の携帯!
そこで、気が付く。
最近の携帯はパスワードがかかっていても緊急電話の機能があったことを。
慌ててスマートフォンを手に取り、電源ボタンを押してみる。
反応、なし。
「……マジか」
ざまぁみろ、俺。
ものを粗末にするからこういうことになるんだ。
俺は携帯をゴミ箱に投げ捨て、気分を変えるため部屋を物色することにした。
それにしても、物音がしない。家族らしき人間は阿部にはいないのだろうか。
だとしたら……あこがれる。
なんだ、高校生で一人暮らしとか。エロゲの主人公か。
俺のクソみたいな実家暮らしとはわけが違う。
うるさい母親や怖い父親はいないし、毎日殴ってくる妹もいない。まるで天国じゃないか。
自分で思いながら鬱になりかけていた俺を、さらに畳みかけるかのように、窓の外の眺めは絶景だった。
部屋から見える景色は、明らかに高層マンションのてっぺんから見える景色だ。
そこで俺は考えるのをやめた。
「朝飯食おう。そんで学校行って阿部の奴をぶんなぐってやる」
俺は阿部をぶんなぐるために、家を物色し朝食にありつくことにした。
一つ一つの部屋がかなり広い3LDKの間取りをうらやましく思いながら、俺は冷蔵庫を漁るのだった。
―――――side相模in阿部
「む……?」
私は目を開けた。
その瞬間、違和感に気づく。
「なんだ……このクソ汚い部屋は」
部屋の天井にはジャパニーズアニメの女性がウィンクしながらこちらを見ている。
あさから嫌な気分にさせてくれるじゃないか。
昨夜、気が狂って天井にポスターを張ったのだろうか。
明日の私を嫌な気分にさせるためだけに?
いや、私はそんな無益なことはしない。
そして――あたりを見渡した瞬間に、私は理解した。
どうやら、人格がこの部屋の主と入れ替わってしまったようだ。
この程度は予想できたことだが、実際そうなってしまうと愉快さを隠し切れない。
昨夜の実験は成功したのだ。
「……ふふふ……ふはははは……クハハハハハハハハ!!」
思わず高笑いが出てしまった。
仕方ないだろう。やっと、やっと抜け出せたのだから。
あの、悪魔から与えられた、最悪の災厄といっても良い体を。
誰かは知らんが、この体の主だった奴には感謝しなければならないだろう。
この私を救ってくれたのと同義なのだから。
「うるさいよ、玲司! なに朝っぱらから騒いでるんだい! さっさと学校いきな!」
おそらく母親であろう声がする。
なにもかもが、懐かしい。これが私の失くしたはずの普通の日常か。
中身がどうであれ、この体にはまだ母親と呼べる存在がいるのだ。
こみ上げる涙を堪え、私は声を上げる。
「私に指図できると思うな下郎! 身の程を知れ!」
叫んだ瞬間、部屋の扉が開いた。
その先には、フライパンを持った恰幅のいい婦人がいた。
「何言ってんだい! 寝ぼけてんだったらぶっ殺すよ!!」
「口で言ってわからぬたわけめが! もう一度いっt」
顔の横を、フライパンが通り抜けた。
ものすごい速さで私の後ろの壁にぶつかったフライパンは、轟音を立てる。
ほのかに卵焼きのにおいがする。
「さっさ起きな! このバカ息子がっ!」
「…………はい」
あの超常的生物に、私は勝てる気がしなかった。
幾分か小さくなった体を動かし、私は壁に突き刺さっていたフライパンを持って廊下に出る。
窓の外の景色が高い。
どうやらここは二階建ての家らしい。
その時だ。
私の部屋の隣から美少女が出てきた。
思わず棒立ちになってしまい、まじまじと見つめてしまった。
美しい。
寝起きだと思われるが、寝ぐせ一つない亜麻色の美しい髪の毛。透き通るような白い肌。
洒落たネグリジェからは深い胸の谷間が見える。いったい誰を誘っているのだろう。
いつの間にか少女は私のほうを向いており、怪訝そうな顔をしていた。
背が低い少女に上目遣いで睨まれるとは……私得だな。
口元に笑みをたたえながら、私は挨拶しようと口を開いた。
「朝からなんなの? さっさと下行けよ。クソ兄貴」
「おはよう私の天使。エロい格好をしているな。抱くぞ」
言葉が被ってしまった。
これはいけない。ファーストコンタクトは失敗か?
眉をひそめてこちらを見ていた少女は、今や目を見開き、口をポカンと開けていた。
「……は?」
どうやら私の心配は杞憂だったようで、彼女は呆気に取られているだけのようだ。
ならば、ここでフォローしなければ男ではない。
「いや、エロいなといったんだ私の天使。抱かせてくれるんだろう? はやくベッドに行くぞ」
彼女の手を取ると、彼女の肌に鳥肌が立っていた。
心なしか髪の毛も少し立っている気がする。
「おかあさああああああああああああああん! クソ兄貴が気持ち悪いぃいいいいぃいいいいいいいいい!!」
家中に響き渡るような悲鳴を上げた。
これはまずい。
反応を見るに、どうやら今の私はこのエロい美少女の兄らしい。
「いつものことだろう!? ほら、さっさとあんたもしたくしな!!」
いつものこととは……やるな、前のこの体の主め。
いつかあの美少女を快楽の地獄へ叩き落してやると決意しながら、私は学校へ行く支度をするのだった。
当然、美少女……いや、妹の着替えを覗くことは忘れなかった。
今日の下着は白だった。
黒じゃないのが少し残念だ。