八話
「お嬢様、あの像を消したのはどうなされたのですか?」
それはネルコロの力を計測した後のことだった。
計測の結果だが、見た目が一切変わらないままにネルコロは腕力、脚力、握力などおおよその身体能力を向上させていることが分かった。しかもその数値のどれもが、常識的な数字を振り切っている。
力が向上したのはそれだけでイルバにとって不思議なことで、さらにその力が常軌を逸していることもさらに驚くべきことだった。
だがあの時、イルバの目の前でネルコロが像を消したことは、明らかに握力や腕力だけでできることではなかった。
しかし呪文を唱えることもなく、まして魔力を使った様子もない以上魔法でもない。
その仕組みが気になっていたイルバは、いい機会だとこの際聞いてみたわけだった。
「あの像って、もしかして前に持ってた神様の像のこと?」
「そうです。お嬢様の力が強くなったのは十分にわかりましたが、あの像が消えたのはそれとはまた別の手段を用いたからですよね?魔法ではないようですし、詳しく説明してくれませんか?」
そのときてっきりイルバは、ネルコロが自分の扱う力のことをよくわかっているものと思っていた。
変化が起きたその日にイルバに見せにきたくらいだ、ネルコロにとってすでにそれが何のわずらいもなくごく自然にできることであるということは、イルバにもわかっていた。
だからネルコロがいいあぐねる姿に、イルバは初めピンとくるものがなかったのだ。
「どうなされました?」
「口で説明するのが難しいのよ。私だって詳しい理屈はわからないわ」
あっさり答えるかと思われていたネルコロは、イルバにとって意外なことにその顔をしかめていた。
予想外の返答にイルバはしばらく考え込むが、何を考えてかやがておもむろに外に出る。
再び戻ってきたときには、その手に彼が今朝割ったばかりの薪がひとつ握られていた。
イルバは台の上にそれを置き、ネルコロのほう振り向く。
「お嬢様、これを消してみれくれませんか?」
「これ全部消すの?」
しぶしぶ、といった感じではさすがにないがそれでもあまり気乗りしない様子なのは、口調からイルバにも伝わっていた。
もしかしたら傍目からではわからない、何らかしらのデメリットがあったのかもしれない。
だがそんなことよりも、その言葉からわかる新たな事実にイルバは感心した。
「範囲を指定できるんですか。それはすごいですね」
「なんとなくだけど、それに細かいのは難しそうだし。後離れていても少し難しいかも」
そういってネルコロは台に近づくと、おもむろに薪の上に手を乗っけた。
つくり手の性格が乗り移ったかのようにきれいな断面を見せていた薪は、しかしネルコロが再び手を離すとその型をとったかのようにくぼんでいた。
イルバは急ぎその後をよく観察しようとしたが、その前に続いてネルコロが少し離れたところから手をかざした。
すると、薪の半分が突然消失した――――――乗っていた台ごと。
足がなくなり不安定になった台が崩れる音にネルコロがびくりと反応する横で、イルバは目の前の現象をあごに手を添えて眺めていた。
「くわしく実験してみましょうか。うまく使えば今後の手助けになるかもしれませんし」
もちろんその目的はこれがネルコロのみを守ってくれるものになるかもしれないという期待もあったが、イルバの目にはそれとは別に確かに未知への興奮もよぎっていた。
あれからいろいろと試してみた結果、ネルコロの力はその周囲五メートルくらいまでに影響を及ぼせるが、体から離れるほどにその力の細かい制御が難しくなることまでがわかった。
しかしその力の影響は絶大で、範囲に入ると木の枝や鉄の剣、止まっているものはおろか動いているものでさえ、どんなものであっても完全に消失してしまうようだ。
欠片も残さぬ完全な消滅、最終的に消えたものがどうなったかという考えに至った時、イルバは知らぬ間に自身が身震いしていたことに気づくことになった。
だがそのことを伝えても、ネルコロの力に対する態度は特に変わっていない、いやむしろいろいろと試したことでその扱いに自信をつけているようだ。
「なんでも消す力・・・・・・これにはとても助けてもらったわ。おかげで邪魔になった壁やら罠やら全て無視して進むことができた。神様には感謝しないとね」
ネルコロはそういってころころと笑うと、またいつものように両手を合わせて目を閉じていた。
もともとは何も答えてくれない神様相手に、毎日欠かさずに祈りをささげ続けてきたほどには信心深いネルコロだったが、ここ最近はことあるごとに祈りをささげるようになってきている。
自ら作った神像を授かった力で破壊したというのはよく考えればおかしなことだったが、イルバはそんな疑問を浮かべはしても口には出さず、ただ黙ってネルコロの行動を眺めるだけにとどめていた。
ネルコロが手を解き両目を開いたところで、イルバの話が続く。
「相変わらず不思議な力ですね。魔力を使用していないところから魔法ではまずありませんし、しかしそう表現しなければそれは全く未知の、新しい何かということになります。少し不気味ではありますね」
「なんでもいいわ。とにかく、これでとりあえず戦争することがなくなればいい。そうすれば――――――」
ネルコロはそういって、そこで感極まったのか一瞬言葉に詰まっていた。
自分でもそうなったことに驚いていたようで、しばらく何を話すでもなくただ口をパクパクと開閉を繰り返していた。
イルバはなんとなくそうなった理由に当たりがついていたが、あえて気づかない振りをしてその先の言葉を促す。
「そうすれば?」
「・・・・・・これに次にやればいいことが書いてあるわ。これの内容を遂行しつつ、そして残りの本を探す。やることはたくさんあるわね」
イルバに声をかけられ、そこでやっと落ち着いたのか強張っていたネルコロの表情が穏やかになると、ネルコロは台の上に載っていた本を手でたたく。
積まれた三つの本は、その扱いに抗議をするかのようにその場に埃を吐き出していた。
「ああ、神様」
それはとある、月の光がまぶしい夜のことだった。ある少女は、一人部屋の中で自分が信じる神に向かって祈りをささげていた。
もはや日課、または習慣と化していた祈りは彼女の体にその姿勢をしみこませ、少女はおかげで微動だにせずにその姿勢のまま何時間もその場に座り続けている。
きっと時間が許せば、彼女はいつまでもそのままの体制を維持し続けたことだろう。
少女の体に震えはない、それは当然のことだった。だが、だからこそ。部屋に響く少女の声、その震えが際立つこととなった。
「私に、貫き通す勇気を与えてください」
少女の声は確かに揺れていた。だがそれを聞き届けるものは神以外にいない。
そしてその声を聞いているかいないかわからないが、神は相変わらず少女に対して沈黙を貫いていた。
それは、夜風がさらう木の葉の音がやけに響く夜のことだった。