十二話
レオ達がウォタロンの女王様に呼ばれると時を同じくして、セントリーランページ国の領地内、とある忘れられた建物での中のこと。
その日ネルコロは、いつもの通り過ごしていた。
いつも通りにご飯を食べて、いつも通りに過ごした後いつも通りの時間に寝る。
それはネルコロが城を追われてからこの五年間ほど、ほとんど変わらず続けていることだ。
この半年こそネルコロは所要で各国を飛び回っていてそれも崩れていたが、ここ最近は前のような生活を繰り返す日々が続いていた。
ネルコロは今日もいつものように食事を終わらせ、花の香りのする飲み物を静かにすすっている。
この花は今でこそセントリーの名産となった花だったが、もとはネルコロの故国であるカンタービレ国によく群生する花だった。
昔はよく部屋を包んでいた匂いに懐かしさを感じながら、食器洗いからイルバが帰ってくるとそのカップを置く。
「というわけで今回の作戦を説明するわ」
「いきなりですね」
帰ってきて早々に振られた話にも、イルバは作戦というのが何なのかしっかり理解していた。
理解した上で内心ではあまりいい顔をしていなかったが、それを表には出さずイルバが席に着くとネルコロは無邪気な笑顔を見せる。
「こういうのは勢いが大事だって言うでしょ?」
「まあ時と場合によりますが、そのほうがよいときは確かに少なくありませんね。しかし、ということはあの本を読み終わったのですか」
あの本というのはネルコロがここ最近で一番気に入っており、かつ魔王としてのこれからの行動の指標にしようとしている本のことだった。
その本の名前を『世界が平和になるまで』。名前からはとても想像できないがれっきとした童話であり、イルバがネルコロのために買い集めた本のうちのひとつであった。
ネルコロは前にすべての国に対して盗みを働いたとき、続き物であった『世界が平和になるまで』を新たに三冊手に入れていた。
イルバはてっきり盗んできた本をもう全てを読み終わったと思っていたが、ネルコロはその言葉にうっすらと笑みを浮かべる。
「第二巻だけね。こういうお楽しみは後にとっておくべきでしょ?先に全部呼んでしまったら台無しだわ」
今にも鼻歌を歌いだしそうな笑顔は、一点の曇りもなかった。
イルバは本当かどうかいぶかしがりネルコロをよく観察したが、ネルコロはかまわず話を続ける。
「というわけで、各国の交友関係を築くために催し物を開催したいと思います」
「なるほど・・・・・・本では魔王がそうしたんですか?」
ネルコロはある日突然魔王をやると言い出した。その理由は、本に出てくる魔王というキャラクターのせいだった。
ネルコロは世界を平和にするため、絵本の再現をしようとしている。もちろんこんなことを言い出すのも、絵本の影響を受けてのことだろう。
そう思っていたイルバの考えは、見事に的中していた。
「絵本の中では魔王が各国から代表者を集めて殺し合いをさせていたわ。でもそんなことはさすがにできないでしょ?だから私なりにアレンジしてみたわ、やることは大体変わらないからこれでも問題ないわよね?」
「まあ今いがみ合っている国同士、結束させるために共通のことにあたるというのは確かに効果があるかもしれませんね。呼ぶ人間もそれぞれの国から絞らせれば自然と国中枢に近い人間が来ることになるでしょうし、そこに信頼関係が芽生えれば一気に改善する可能性もあるでしょう」
「そうでしょそうでしょ?やっぱりいい作戦よね」
そういって笑うネルコロの表情は、その歳相応のものに違いなかった。
ネルコロが力に目覚めるまでの五年間一度もそんな表情を見ていなかったイルバは、毎度それを見て故郷に帰ってきたかのような安堵感を覚える。
イルバにとってネルコロに笑顔が戻ったのはいいことだった、ただもう少し違う形で戻ってきてくれるほうが望ましかったと思っていることも確かだが。
「いろいろな段取りはともかくとして、まずはそれぞれの国に手紙を出しましょうか。向こう側も人を選ぶのに時間がかかるでしょうし、こちらもこれが唯一接触する部分ですから、文面もしっかりしたものを考えないと――――――」
「手紙ならもう送ったわよ?」
ネルコロの言葉に、イルバははじめ何事かと耳を疑った。
イルバがネルコロを見れば、きょとんとした顔でネルコロもイルバの方を見つめている。
なんだか暗雲立ち込める先行きになってきたのを悟りつつ、イルバはとりあえず冷静になろうと勤めた。するとその表情に笑みが現れる。
イルバという男は、何かあったときはとりあえず笑顔を浮かべるのが習慣となっているのであった。
「何、手紙くらいもう送れるわよ。伊達に世界を回ったわけじゃないわ」
「いつですか」
「ずいぶん前から、少しずつかな。昨日には届いているはずよ」
元気の有り余る声はイルバには少し効いたようで、頭痛に悩むようにその頭を抑えていた。
思案はめぐりその隣で感情は冷静に、とにかく冷静になろうと勤めている。
思考を二分している中で、イルバは絞り出すように声を出した。
「一応、どんなものを送ったのか教えてくれませんか?」
「――――――それにふさわしい格好でお越しください、ですか」
「なかなか内容としてはよかったと思うんだけど、どうかな?」
説明は簡潔に終わった。というのも、手紙に書いた内容もそれぞれの国への微妙な違いも、それほど多くなかったからだ。
話をおとなしく聞いているうちにすっかり冷静になったイルバは、とりあえず咳払いひとつ。そしてあらたまってネルコロと向き合った。
「お嬢様」
「なに?」
「次からは事後報告ではなく、事前に何をするのか教えてください。私もお嬢様を手伝う身ではありますが、これでは後手に回ってしまいます。しっかりお願いしますね」
イルバは、もちろん笑顔だった。そこには意識的にそうしたという理由はなく、ただ彼の習慣がそうさせたものだ。
しかしそこには見るものに笑顔を誘わせるような愉快さも、見るものを包み込むようなやさしさも含まれていない。
結果、ネルコロはイルバの心象を明確に汲み取ることができた。
「わ、わかったわ。ごめんね?」
「いえ、いいのです分かってくだされば。それではこれからどうするかを考えましょうか。私はざっと聞いただけですが、お嬢様はすべての国がこの手紙の内容におとなしく従うとは思っておられますか?」
イルバの言葉に、ネルコロは激しく首を振った。
その大仰なさまはネルコロの子供らしさであったか、それともイルバのためを思ってだったのか。
どちらにせよ、その明確な意思表示にイルバも大きく頷いた。
「予想だけではありますが、私のよく知る国のいくつかはこれに大人しく従いなどしないでしょう。ぱっと考えただけでも、軍隊で現地に乗り込む、早いうちから集合場所に行き後から来るものを待ち伏せる、最悪これを言いがかりにして戦争を始めるところも出てくるかもしれませんね」
イルバの言葉は、ネルコロの表情を引きつらせるのに十分な内容だった。
だがそれもそのはず、ネルコロがこんなことをしたのは国同士を仲良くさせるため、ひいては国同士の戦争をなくすことが目的だ。
だがそれがむしろ裏目に出る、現状が悪化するといわれれば落ち込まない人間はいないだろう。
とくにまだ歳若いネルコロの衝撃は大きかった。
はやくも涙がにじみ始めた目を見てイルバもやりすぎたとでも思ったのか、あわてたようにその言葉に付け加える。
「まあでもよく考えると、少なくとも戦争を始める国はないでしょうね」
「・・・・・・え?」
「そもそもすべての国はこれを無視することだってできるわけです。でもそれが考慮されないのは、お嬢様に何ができるのか、それを各国がすでに身をもって知っているからでした。
集合場所の関係でセントリー国とどこかの国が争う可能性は確かにありますが、ただでさえ今一番勢いのある国を相手するのに、お嬢様まで相手にするのはどこの国にとっても得策ではありません。
第一、どこの国も表面上はある程度関係が保たれていても、その実常に争いあっているところばかりですからね。戦争のための口実なんていまさら、その気があったら今にでも武力衝突するでしょう」
淡々と順を追ってイルバが理由を挙げるたびに、ネルコロの表情は明るくなっていった。
イルバとしても自分の考えをまとめるために声に出して挙げていっていたわけだが、最後の結論が出るころには、ネルコロもすっかり元気を取り戻している。
「だから今対策を考える必要があるのは、軍隊でこられた場合のときだけでいいと思います」
「待ち伏せする人達の事はいいの?」
「どちらにしろ私達も遅かれ早かれ現地へ向かいますし、罠や現地での争い事は私達で対処すればいいでしょう。そう考えると、あとは軍隊を送ってくる国ですね。
セントリー国はまず領内ですし確実に送ってくるとして、ジンワリ国、もしかしたらバズンス国も送ってくるかもしれません。地形の有利なところで罠をはるか、今から急いで兵を雇い始めないと――――――」
「それはまかせて。私一人で送られてきた人達ぐらい追い返して見せるわ」
そういうとネルコロは胸を張って見せた。
しかしイルバは相変わらずそれに賛同したくないのか、顔を渋らせる。しかしそれと同時に、イルバはこれがネルコロにしかできないことだと理解していた。
罠を張るとしても一国の進行を止めるには限界があるし、兵を集めるにしても時間がなかったからだ。
イルバは今一度他に手がないか考えたあと、ため息をついた。
「数は尋常ではありませんよ?あなたがしでかしたことをよく分かっているはずですし、特にセントリーは以前にも兵を追い返されていますからね」
「問題ないわ、そのために力を授かったんだもの。きっとやって見せるわ。それと、ごめんねイルバ、私のやりだしたことなのに」
「いえいえこれくらい、お嬢様が無茶なことを言い出すのはいつものことです」
何気ない口調で話すイルバだったが、いつも通りのそれはネルコロに安心感を与えていた。
この上なく頼もしい人間がそばにいることで、ネルコロの中にも自身とやる気がみなぎる。
どこで覚えたのか、ネルコロはいつの間にか右のこぶしを突き上げていた。
「絶対に成功させるぞ!おーー!」
ネルコロの声は、天井のない部屋を抜けて青い空まで響き渡っていた。