10
「ねぇ、アダン」
「……んだよ」
「面倒なことを片付けてたら面倒くさいことになったから全部殺していいかな」
「……は?」
始まりは多分アダンを拾ってひと月くらいのこと。いつもならまだ寝てる時間に私は目を覚ました。
「……次はなに」
結界内ではない。でも不快な感じ。いちいち着替えるのが面倒だったからパジャマの上から外套をかぶって一階へ降りた。アダンはまだ起きてなくて寝顔をたっぷり眺めてから外へ出た。
向かったのはアダンを拾った場所。
「んー、こっちの方じゃなかったっけ」
確かにこっちの方だと勘が告げているのに何も変化はない。ふむ、飛ぶか。そう考えて、パジャマの胸ポケットに突っ込んだ研究中の薬を取り出した。
「……いや、寝起きで痛いのは流石に怠いな」
副作用を思い出してもう一度胸ポケットにしまい、近くに落ちていた腕より少し細いだろう枯れ枝を拾った。
魔力を使って飛ぶのは久しぶりだ。
指先を噛み切り、滲んだ血を枝に擦り込む。ここまでしなくても枝に魔力を流してしまえば飛ぶくらい出来るんだけど長く飛ぶなら代償が必要だから多少の痛みは仕方ない。
細い枝を踏みつけて一気に魔力を流し込み空へ舞うイメージを濃く浮かべる。ふわり、いや、ひゅんと勢いよく結界すれすれまで私の体は浮かび上がり一気にこの森の景色を見渡せた。
目に入ったのはぽつり、ぽつりと燃え上がる炎だった。
まぁ、正直森がどうなろうと結界内が無事ならどうでもいい。そう私は考えていた。
ふと目に入った二人の兵士、身なりからして傭兵か。火を付けて回る奴らの会話を聞こうとスルリと結界の外に出て聴覚を研ぎ澄ませた。
聞こえてきたのは貴族狩りの男の死体を持ち帰るなんていうふざけたことだった。
なんでもアダンの死体をずっと探し続け、あまりの手応えのなさにブッツン切れた貴族の命令で森を焼くことになったんだとか。あほか。
湿りに湿った森はなかなか燃えなくて小さい小火が所々にあがっている。頑張れば流石の深森もいつかは燃えるだろう。でもアダンを探してる旨を聞けば胸のあたりがもやっとして、私はいつの間にかその二人の首を撥ねていた。
その数日後にまた同じ場所で何かを探しまわる兵士二人を見つけ様子を見ていたら焼けていない他の部分を焼き払いはじめた。だからまた始末した。
そんなことを二度三度と繰り返しているうちに兵士の数はどんどん増えていった。
「という訳で、結界の外にずらりと沢山の兵がいるんだよね。しかも貴族の私兵じゃなくて城からも来てるらしい」
「……は?」
「なんだ、聞いてなかったのか」
「いや、そうじゃねぇだろ!?」
「?」
「なんで何も言わねぇ」
「言っても意味ないだろ」
「……どういうことだ」
「アダンはばかだな。片腕の男に言ったところで何になる? 殺されるのは兵じゃない、アダンだ。それを私が許すとでも?」
木製の椅子に座っていたアダンは座ったまま額に青筋立てて見るからに怒っている。……たまらんな。
「まぁ、そんなに怒らんでもよかろうに。殺したのは私で、招いたのも……まぁ、ほぼ私だしな。アダンを拾ったのも私、それなら兵を片付けるのも私だ」
何人もの傭兵が帰ってこなければ諦めるだろうという読みは外れた。所詮使い捨ての駒だと思っていたのだが。
「アダンは結界内に居ろ」
「……」
「まぁ、どうせ出られないか」
「くそがっっ!」
ドンッとテーブルを殴ったアダン。
彼は私を睨めつけていて、ギラギラとした瞳の奥には怯えでもただの苛立ちでも無く、私の知らない色が見えた。
「さて、行こうかな」
「本気で一人でやるつもりか」
「良い子にしててね、アダン」
今にも噛みつきそうなアダンの頭をひとなでして家を出た。外は晴れ晴れとしていて清々しい。まぁ、結界内だけだけど。
白いシャツに黒のぴったりとしたスラックス。踵のある黒い編み上げブーツにそれらをすべて隠す真っ黒の外套。先ほどからピリピリと身体を刺す痛みを元から絶つために魔女はアダンを拾った場所に向かった。
「へぇ、バレるとは思ってなかったなぁ」
足元には材料にも何にもならないただの死体が二つ。
剣の刺さった場所からはまだドクドクと赤い血が流れ、殺されたてほやほやなのが分かる。格好は薄汚れた服に頼りない銅当てという相変わらずの傭兵スタイル。
「わざわざ結界のために殺されたか」
黒なら使えたのに。
そんなことを考えている間もピリピリとした痛みは続いている。明らかに理由は目の前、3メートルほどの場所で行われている結界を剣で刺してみたり、切り裂いてみたりしている一人の傭兵の所為だろう。意味ないのに滑稽極まりない。
しかもこの痛みは無機質な剣ではなく拳なりなんなり人体が触れた瞬間の反応だ。と言うことはあの人間は相当痛むはず。
「ここまでするか……ふむ、なるほど」
とりあえず邪魔だし、どうせ始末するし、さくっと風で首をはねた。
*****
急に落ちた首に、吹き上がる血液に、周囲は悲鳴を上げた。
ゆっくりと倒れる首を失った体。その奥には先ほどまで居なかった黒ずくめの何かが立っていた。
「ま、魔女だ!!!」
「化け物!!!!」
多くの兵は後ずさり戦意減退している。そんな中響き渡るしわがれた声。
「やはりお前だったか!!」
引いていく兵の中から現れた白い法衣に包まれた老人。
「今までの首の切り口で私には分かっていたぞ!!」
「んー、誰だった?」
「とぼける気か!」
魔女は唯一見える口元を歪め笑う。
「あぁ、なんとなく思い出した。あの醜悪な王に仕える、いや、仕えていた者か」
この国で二番目に力のあった男。唯一、神の声を聞くことができるという男。
「髪はどうした? 黒だったのに白く黄ばんでいるじゃないか」
魔女の口元にはさらに深く笑みがこぼれる。
「王殺しの魔女、お前の所為だ!!」
「ほう、何か失ったか」
「……くっ! 神力を返して貰うぞ!!!」
「神力? なんだ、偽りだっただろう?」
「だまれぇぇ!!!」
しわがれた声の合図で怖じ気づいていた傭兵達は一斉に魔女へ飛びかかった。
だが、その剣先はほど遠く、近づいた者の順に両脚を切断された。魔女は少しも動いていない。森に響く呻き声、完全に足が止まる兵達。圧倒的な力の差を目の当たりにして動ける者はいない。
「城兵は飾りなのか、駒にするには惜しいか」
その一言で城兵は一歩引き下がる。
「この国は10年たっても変わらないか」
そう言うと呻く者達の首を全て撥ねた。
「魔女めが……!!」
男は長い法衣の懐から鉄のような何かを取り出し魔女へ向けた。距離は十分ある。魔女はそれをまじまじと見つめた。
パンッ!!!
「? ……んー、油断した」
「や、や、やったぞ!! あははははっ! とうとうやった! くっはっ! ふはははっ!! 油断しおって! 私が何か忘れてたのか!! おい! おまえら早くとどめを刺せ!」
鉄から一度だけ放たれた目にとまらぬソレは魔女の腹部を赤く染めた。
「これで、これで私は戻れる!!」
「まさかの飛び道具、ふむ、興味深い」
「お前には理解できぬ! ふはっ、ふはははは! これを作るのに何年かけたと思っている!! 心の臓には当たらなかったが、成功だ! おい! おまえ達早くやらないか!」
男は魔女から離れた場所に立ち、指示をだす。
「あ、やっと思い出した。からくりじじぃ……」
魔女はそれだけ言うと力無く膝をついた。
好機を得た城兵達は十人ほどまとめて魔女に斬りかかる。
だが、届くはずの剣先はまたしても届かない。風を切るような音に一瞬の痛み、城兵は魔女に振り切ったはずの剣が、それどころか腕が無くなっているのに気が付いた。
「う、ぅぎゃぁぁあぁぁ!!!」
轟く絶叫、腕を、脚を、胴をそれぞれ切られた者立ちの絶叫が森にこだまする。
「良い子にしててねって言ったのに」
「馬鹿かお前」
「ばかはアダンの役でしょ」
「ちょっと黙っとけよ」
突然現れた黒ずくめの片腕の男。
「お前が貴族狩りの男か!!」
「なんでもいいだろーが」
「片腕で何ができる!」
「あ?……んなの殺しだろ」
痛みで芋虫のようにうねる城兵達にとどめを刺した男は落ちていた血の付いていない剣を拾い上げるとゆらりと走り出した。
スピードはそこまで速くない。だが型にはまった剣しか知らない兵達はその独特の足の運びに翻弄され、気が付けば体が欠けている。
一人、二人、三人……五、十、十五。
死んでいる者は居ない。次々と呻き声を上げるだけのモノが大量に作られていく。
「悪いが片手で器用にとどめを刺せるほどの怪力じゃねぇんだよ」
そう言いながら片腕の男は一方的に殺していく。
「お、おまえ達!! それでも城に仕える兵士か!?」
残り十人。九人、八、七、六、五、四、三……。
「残り二人」
「う、うわぁぁぁ!!」
「……残り一人」
「死んでない奴らは起きろ!! 何のために連れてきたと思ってるんだ!!!」
「なんだ、あの鉄は一度きりだったのか」
「くっ……!!!」
片腕の男は少しずつ距離を詰める。
ヒュッ!
男の背後で風を切る音がした。
振り向けば首のない兵士。
「アダンってばか」
よく見れば呻いていた者達の首も離れている。
「……うるせぇよ」
誤魔化すように舌打ちして目の前の震える老人へと剣先を向ける。
「アダン、それは、いいよ」
「あ?」
「私がやるから」
空を見あげて倒れ込み、赤くなった腹を押さえる魔女はそう言うと赤く染まる指先でことの原因である男を指差した。
「からくりじじぃ、私にずっと嫉妬したまま死ぬなんて可哀想で楽しい人」
「!!!」
「人をだましてきた、からくりになって死ねるなんて素敵」
「や、やめろ……!!!」
「さぁ、踊って」
「うぎゃぁぁぁあぁぁぁ!!!」
ボキッ、ボキリと老人の体から音がなる。一つ一つ関節が外れ捻れ曲がっていく。捻れた場所からは白い骨が飛び出し血しぶきも上がる。
最後に首がねじ切れてゴトリと頭が落ちた。
「お前、グロい殺し方すんなよ」
「そう?」
「……腹は」
「ふむ、痛いな」
「ちょっと見せろ」
「手」
「あ?」
「もう陣は書いたから、手を握ってて。まぁ他のとこでもいいけど……」
「おい、もうしゃべんな」
「んー、確かに辛い」
こうして深森での一件は誰一人目撃者も残さず消えた。