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愛しい者を守るために…

マリアを失なった後の、直輝とカノンの生活は一変した。

しかも、言葉を話せないカノンは、しばしば癇癪(かんしゃくを起こす。

彼女が癇癪を起こすと、どういうわけか空がみるみる雨雲に覆われ、

ひどい時は雷鳴が轟き嵐が起きる。


直輝は筆談で意思の疎通を図ろうとしたが、カノンが文字を覚える

までは、それも なかなか難しかった。


直輝自身も歩く能力を失なっていたため、車椅子での生活を余儀なくされた。

それでも

マリアとの思い出が詰まったこの部屋を、離れる気になれず、

その身体で必死に働いた。


極力、家でできる仕事を選択した。

出来るだけカノンを、自分のそばに置いておきたかったからである。


仕事の傍ら、手話を覚えてカノンにも教えた。

二人は手話とジェスチャーで会話ができる様になってきた。

すると、カノンの癇癪が随分緩和された。


それと入れ替わる様に、カノンについて違う『癖』に気付く様になった。

喜んだり、興奮したりすると、カノンの体が宙に浮いてしまうのだ。


こんな所にも天空を舞う人魚の片鱗が出てしまうとは……


これから学校へ通ったり、集団生活を送るにあたり、

これは まずい。

これだけはごまかしが効かない。


直輝は、カノンに必死に言い聞かせた。

「カノン。他の子は誰も空を飛べない。だから、パパ以外の人の前で

飛んじゃダメだ!絶対に‼︎ そうしないと、カノンとパパは離ればなれ

にされてしまうんだ。だから約束して。よそで飛んではいけない。

嬉しくても、ドキドキしても我慢して。いいね?」


カノンは 「うん うん」と頷いた。

その顔は真剣だった。


やがてカノンは学校へ通う様になった。

話せないながらも、筆談とジェスチャーで意思の疎通をしながら

少しづつ、でも慎重に周りとの関係を築いていった。


その容姿は成長するにつれ、マリアに そっくりになっていく。

その美しさは、周りを寄せ付けない雰囲気を持っていた。

彼女は孤立しがちだった。


孤独と闘いながらもカノンは優しい娘に育っていった。


ただ、宙に浮く事をコントロールするのは、カノンにとって非常に

神経を擦り減らす行為だった。


油断すると、地面や床から、少し足が浮いてしまっていた事が

何度もあるらしい……


誰にも気付かれなくて良かったと、その度に直輝と共に安堵する

カノンだった。


カノンが18才の誕生日を迎えた日の夜中、彼女は突然高熱を出して倒れた。

ここ数日、何となく体調が優れない様子だった。


直輝は慌ててカノンを夜間診療へ連れて行った。

点滴を受け、薬を飲んだが、一向に良くなる様子はない。


むしろ、呼吸は浅くなり、肌は青ざめ、悪化の一路を辿った。

やがてカノンの呼吸が止まった。


狼狽した直輝は救急車を呼ぼうと、電話を手に取った。

そこへ、突如 白い衣で身を覆った男が現れた。


唖然としている直輝を尻目に、亜麻色の髪をした白い衣の男は

カノンを抱きしめた。


二人の体を一瞬、白い光が包んだ。

カノンは息を吹き返し、頬に血色が戻った。


直輝には何が起きているのか、サッパリ分からなかったが、

とにかくカノンを救ってくれた事に感謝した。


男は言った。

「私は天空からの使者です。突然申し訳ありませんが、

カノンを迎えに来ました」


「どうして……」直輝は言った。


「僕とカノンは、ちゃんと うまく生活して来た。何ら問題ない。

カノンを救ってくれた事には感謝するが、お引き取り願いたい」


使者が言った。

「カノンには半分人魚の血が流れている。カノンがこれ以上

地上で暮らすのは、我々の掟で許されない。 それに……

カノンは本来なら人間以上に長く生きる。しかも、若い姿を 保ったままで……

このまま地上で暮らすのは限界なのです。

また、さっきの様な事がいつ起きるか保証はありませんよ」


直輝は困惑した。使者は続けた。

「カノンを天空へ帰せば、マリアを牢獄から解放し、全てを回復させ

カノンと共に天空に住まわせましょう。ただ、地上へは二度と

戻る事は出来ませんが、どうしますか?」


直輝は、マリアだけでなく、ここまで愛し、育てて来た娘まで

失わなければならなくなる。


ただ、カノンにとっては母親と天空で暮らす方が幸福なのではないだろうか……


直輝は使者に向かって言った。

「もう1日だけ、考えさせてくれないか」


使者は「いいでしょう」と言って空へ昇って行った。



翌朝は、悲しいくらい良く晴れた秋空だった。

直輝は、意を決してカノンに昨夜の出来事を話した。


カノンはポロポロと大粒の涙をこぼした。

泣きながら、手話で 自分は母親に会いたいと思っている事、

でも父親とも離れたくない事を伝えてきた。


天空の使者は今夜またやって来る。

それまでに、 どちらかに決めなければならない。


直輝も張り裂けそうな思いだった。


しばらくの沈黙後、カノンが、「空へ行く」と手話で言った。

地上での生活は、彼女にとって不自由な事も多かったはずだ。


確かに、大人でも困難な感情のコントロールを、幼い頃から強いられて

辛い思いも沢山してきただろう。


カノンがそう望むなら、カノンがそれで幸せなら

天空へ行く事が一番なんだろう……


何よりもマリアと共に暮らせる。命の危機にさらされる事も

なくなるのだから……


直輝は、溢れ出す思いを心の奥底へ閉じ込めた。


昨夜と同じ頃、ベランダに天空の使者が降り立った。

彼はカノンを人魚の姿に変えた。


これまでの姿よりずっと天空を舞い易くなっただろう。

代わりに直輝は歩く力を取り戻した。

「カノン……」堪え切れない涙が、幾筋も直輝の頬を伝った。


「パパありがとう……」

カノンが喋った……

生まれて初めて聞いた彼女の声……


人魚の身体と引き替えに声が与えられたのだ。

使者が、直輝に向かって、深々と頭を下げた。



「行かないでくれ!」

その言葉を何度も飲み込みながら、

涙と共に天空へ昇る二人を見送る直輝。


使者はカノンを気遣いながら、彼女の手を取りつつ、

寄り添う様に星の煌めく夜空へ消えて行った。




身体は元に戻ったが、彼の心は完全に凍ってしまった。

直輝は生きるための全てを失なった。



どれくらい年月が流れただろうか……


直輝は会社を定年退職し、再び空を見上げる機会が増えた。


あの雲の隙間から、マリアがやって来るのではないかと

ずっと願い続けていた。


が、思いは届くはずはなかった……


更に時は流れ、体力が無くなり、足腰が弱くなった直輝は

再び車椅子の生活を余儀なくされた。


視力も随分弱ってきた。

彼は実年齢よりも、だいぶ高齢に見えた。


直輝は車椅子に座ったまま、ベランダのサッシを開けて呟いた。

「マリア、カノン、もう一度だけでいいんだ。君達に会いたい。

君達の事を僕は、片時も忘れたことはないよ。

忘れられないんだ……」


彼は泣きながら天を仰いだ。


空は厚いウロコ雲で覆われていた。

その雲の隙間から、時折青い空が見えた。


太陽の光が射し込んでいる箇所と相まって

幻想的な空だった。


何かがキラリと光った。

身体をくねらせながら空を泳ぐその姿に

直輝は見覚えがあった。


「マリア!」彼は叫んだ。

マリアは、ゆっくり ゆっくり 直輝の所まで降りて来た。


マリアは全く変わる事なく美しかった。


「会いたかった……」直輝がそう言うと、マリアは

微笑みながら、直輝の両手を取った。


「何故ここへ?」

あの時使者は もう二度とマリアは地上へ降りて来られないと

告げたはずだ。


マリアは答えた。

「あなたの声がずっと聞こえていたわ。とても耐えられなかった……

一度だけ、あなたに会いに行きたいと天空の使者に お願いしたの。

条件付きで地上へ行く事が許されたのよ。

あなたが、人としての生活を捨てる事……

その身体でいられなくなる事……

お願い、私と一緒に来て!」


直輝は微笑みながら言った。

「失うものなど、もう何もないよ。君達にあげられる

ものも何も無いけどね……

こんな僕でいいのか?」


彼の目から止めどなく涙が溢れた。


「カノンが待ってるわ!」

マリアがそう言うと、嘘の様に軽々と直輝の身体が宙に浮いた。

彼の身体はみるみる人魚の姿になり、若返っていった。


そのまま、マリアと直輝は 雲の隙間を縫う様に天空を舞い、

やがて消えて行った。


二人の笑い声と共に……


直輝の愛した部屋には、主人あるじをなくした

車椅子が一つ残されていた……
















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