シシルイルイ・リョウセイルイ
紺之崎さんの闇に呑まれて、見えなくなった。
どこに消えてしまったのか、それとも姿を目で認識できないほど離されてしまったのか。後者ならば、案外悔しい。
俺のすぐ後ろで冬花が、膝に手をついて荒く息をしている。
「ごめんな、走らせちゃって」
今更だが、冬花のことを頭に入れずにがむしゃらに走ってしまった。
俺達の浴衣は当然ながら、裾は汚れ帯は緩みきっている。
真っすぐ立ったら、まとめてずり落ちてしまいそうである。
「剣志」
「なんだ」
「光、頂戴」
そう言われて俺は懐中電灯を差し出すが、冬花は首を横に振り、
「当ててくれればいいよ、浴衣直すだけだから」
「そうか」
冬花の全身に出来る限り光が当たるよう、距離をとった。
はだけた合わせから、生身の肩とブラジャーの肩紐とインナーシャツの肩紐が揃って露出しているのが、図らずも気にかかる。
ああ、肩が浴衣で隠れた。
「剣志も浴衣、直しなよ。私が光当ててあげるから」
手のひらを上向きに俺に向ける。どうやら懐中電灯を持ってるわ、ということらしい。
唯一の光源を渡して、俺も浴衣を直した。これなら真っすぐ立ってもずり落ちはしない。
「この先に進めば、藤田さんの待つ場所に着くんだよね?」
冬花が浴衣を直した終えた俺から、光を移動し前方の闇を照らす。
俺は頷いて、
「紺之崎さんは見失っちゃったけど、ゆっくり行っても到着地点には辿り着くよ」
「じゃあ、行こう。長く待たせるのも悪いし」
「そうだな」
夜の林の小道を俺と冬花は並んで歩き出した。
お互いに無言で、走ったせいでかいた汗が染み込んだ浴衣の下のシャツに、軽い不快感を覚える。
名分なしで冬花と二人になると、何を話せばいいのか思いつかない。
沈黙のまま俺達は数分歩き、さすがに耐えられなくなった。
「冬花」
「……何?」
一呼吸おいて冬花は反応した。
俺は他愛もない話題を選ぶ。
「最近、調子はどう?」
「何の調子?」
確かに何の調子だろう?
「いや家での生活とか、そういう調子だよ」
「家での生活かぁ、夏休みの間は退屈で暇な日々を送ってたわよ」
「退屈で暇か、何かしたいこととかなかったのか?」
「あったわよ、あったけど。私一人じゃ予定の立たないことだから、全部頓挫しちゃった」
ちょっと笑って、そう答えた。
「なんでだ?」
「理由なんて、私が知ったことじゃないわよ」
笑顔から少し不機嫌な顔になる。
「お前が知らないなら、俺も知らないぞ」
「ふふ、意外とそうでないかも知れないわよ」
どういう意味だ? 冬花のことを本人より俺の方が知っているなんてあり得ない。
俺が言葉の意味に頭をひねっていると、冬花がそれでと会話を続け、
「ずっと聞きたかったんだけど、なんで三週間返信がなかったの?」
「げっ、まだそれ根に持ってのか」
時効とまでは経過日数からしてならないが、異世界に行かざるを得なかった事情を斟酌してほしい。
と思ったが、冬花には異世界の存在を明かしたことはない。
そう安易に言い触らしていいとは、当然思えない。
「まだ理由、聞いてないんだよ私。教えてよ」
俺は少し顔を逸らして、作り話でも拵えようと考えた。
「嘘はダメだよ、剣志。顔に出てるよ」
「そんなことない」
「ううん、剣志は嘘をつく時必ず一度前を見るから、視線でわかるよ」
リアンにも同じようなことを言われた覚えがある。
性根から俺は嘘を吐くのに、不向きなのかも。
「ほんとの事、言ってくれる?」
「……聞いて目玉落とすなよ」
「ふふっ、何よそれ」
楽し気に冬花は笑った。
ちっぽけなボケにも、きちんと笑ってくれる。
俺は冬花を真っすぐ見つめ、おどけた態度を改めて真面目に口を開いた。
「信じられないと思うが、俺三週間……」
その時、踏み出し地面についた足裏にスニーカー越しで、不気味な弾力とそれを踏み潰す感触が伝わってきた。
俺はすかさず、足を止めて懐中電灯を地面を照らした。
全身が凍り付いた。
俺が踏み潰したもの、それは腹を上に足を開いて仰臥した小ぶりなカエルの死骸。しかも前方の道にカエルの死骸地帯が伸びていた。
冬花も俺を不思議そうに見て、足をその場に留める。
「どうかした?」
「カエル」
「帰る? ここまで来て、情けないわね」
俺は必死に首を振った。
「違う違う」
「どういうこと?」
「とりあえず下を見るな。そして、目を瞑っててくれ」
「なんで?」
「いいから」
不審そうに俺を見返してくる。
俺は焦って、大声で言う。
「いいから、目を瞑れ!」
「わ。わかったわよ」
釈然としないと言った表情だが、冬花は目を閉じた。
俺は冬花の手を引っ掴み、カエルの死骸地帯を避けるため移動する。
「開けていいって言うまで、目を開けるなよ」
「ほんとに何がしたいの?」
目の見えない心許なさからか、冬花の身体が強張った。
困惑する冬花の質問には答えず、俺は沈黙を決め込みカエルの死骸地帯の脇を進む。
ふらふらしながら俺に引っ張られて、冬花が歩いて後に続く。
掴んだ手から冬花の手首がすり抜けてしまわぬように、しっかりと握って__吐き気を催し得ない地帯を通り過ぎた。
「もう開けていいぞ」
「うん」
返事と同時に手も離す。
冬花は不安げに幾度も目を瞬かせ、次第に表情に怪訝が浮かぶ。
「何もないじゃない」
「ああ、何もなかった」
「それじゃ、なんで私に目を瞑らせたの?」
訊いてくるとは思ってた。
その場しのぎだが答えは用意してある。
「肝試しだからな、脅かしてやったんだ」
「私、脅かされてたの?」
「あんまり効果なかったみたいだな」
「え、まあ、このくらい怖くないわよ」
つんと冬花は顔を逸らした。
どうやらこれ以上疑われていないらしい。
「肝が据わってるな、心強いぜ冬花」
「肝が据わってるって、そんな褒めらら方されても嬉しくないわよ」
「まあ、気にするな」
なだめつつ俺は小道をまた歩き出す。
冬花もそれほど気を害したわけではないようで、俺の隣を歩いた。
路傍から外れた茂みに身を潜め、剣志と冬花のやり取りを観察する悪趣味な三人。
うちの一人である工作員アールが小声で凱歌をあげた。
「筋書き通りだな。でも影雪の方がもっと積極的だったら手を繋いだまま到着地点まで向かってもおかしくなかった」
彼の隣で顔中から噴き出す汗で厚化粧が剥落しかけた白装束が、うんうんと頷いた。
「そうだね、互いに隠れて恋い慕う仲だったら一方が愛の告白タイムに突入してても充分あり得たね」
そのまた隣で心なしか恍惚たる顔で対象を観察するショートカットの女が、心酔したように呟いた。
「恋愛映画を見ているよう」
女の言葉にすんなり肯ずることができず、白装束が難点を挙げる。
「シチュエーションを作り出したのがカエルの死骸でなければ、言うことなしなんだよね」
「それはご辛抱を、エス・エム作戦隊長。自分はライトノベルのラブコメしか恋愛についての知見がなく、このような愚策しか弄することができませんでした」
工作員アールが小さく敬礼して、白装束に述べた。
大仰な問答をする二人に、女が言った。
「私は先回りしてる、二人も作戦通り進行して」
「はっ、承知いたしました」
「了解」




