北海の霧(賢治スピンオフ)
2章「初恋のハイビスカス」から1ヶ月。季節は夏から完全に冬になった。しかし、奄美大島、加計呂麻島で消息を絶った賢治の足取りは掴めていない。
昨今のニュースで、ロシアのプーチン大頭領が北方領土交渉で来日し、安部総理と会談した。
そんな、北の北方領土にて――。
――12月21日、北方領土国後島――
北緯44度、東経145度の千島列島に位置する島で、大戦末期、同盟国ソビエト連邦、現在のロシアによって、不戦同盟を一方的に破られて占領された島。
雪混じりの寒風吹きすさぶ国後島の日本を望むケラムイ崎に立つステッキをついた一人の男。獣毛のロシア帽を深く被った合間から白髪が覗き、目尻、隠れた額には深い皺、おそらく90歳は越えているものと思われる。
流氷のオホーツク海根室海峡を挟み、およそ、20km先の対岸北海道鳥の嘴のような形をした砂嘴の野付半島を睨む。
「好久不见了。老师(ハオジウ ブジンラ ラウシ)」(お久しぶりです。師匠)
「抛弃了家庭,一下就放弃了自己?对于日本(パオクラ ジアンチ イアンジウ ファンスージィ ドゥイユ リイベン)」(家族を捨てて、身を捨てて来たのか?日本の為に)
「我成了一个不存在的人(ウーチンジ ユジブ チンシイ ベレン)」(私は存在しない人間になりました。)
岬へ立つ老人の元へ、颯爽と襟を立てた防寒の黒いオーバーコートを着た賢治がいた。
老人は静かに、
「宮里君、現在の名は?」
「中国香港の貿易商、黄飛鴻です」
「黄飛鴻か、君らしい人を食った名だな」
「伊賀先生!尖閣諸島は傍若無人な中国に好きなようにされています。今こそ、社会主義の中国からロシアを引き剥がし手を結び分断孤立させ、中国12億の民を世界で分断統治しないことには!」
「伊賀半蔵懐かしい名だな。私が戦時中、スパイ養成機関陸軍中野学校でもらったコードネームだ。あの頃の生き残りも、遂に、私だけとなった……」
「表のスパイ公安警察は警察庁警備局にいる御子息、柳生十蔵長官が、表で追いきれない闇の部分を、スパイ陸軍中野学校の流れを汲む我々が表裏一体となって、日本の安全を担保する」
「すまんな宮里。君は、表の顔で子供や家族を養って行けるだけの実力があるというのに、日本の為に影の仕事へ担ぎ出して」
「私は、大学の頃、特別に政府に呼び出され貴方に出会った頃から心は決まっておりました」
「妻の涼子くんの事故は、我々のせいだ。哀しいことをした……」
「日本を影から守るスパイの定めです」
バサバサと切り立つ断崖から、赤く大きな嘴と仮装の白いファントムマスクに漆黒の羽根をもつ北海のエトピリカが一斉に飛び立つ。
雪原からケラムイ崎の賢治と伊賀半蔵老師へ向かって、ドシドシと巨体を揺らして黒い塊が突っ込んで来る。
「ロシアの大熊に見つかったらしい」
「先生、闘いますか?」
半蔵は頭を振って、
「君は素手のカンフーだろう?ここは私に任せろ」
と、ステッキを引き抜いてサーベルを出した。
「任せておけ!」
突っ込んで、威嚇するように立ち上がって襲いかからんとする熊に、半蔵はピューっと熊の心の臓をサーベルで突き刺した!
ポッキ!
半蔵のサーベルは呆気なく折れた。
賢治が慌てて、クイッと前へ出て熊に必殺の蹴りの連打"無影脚"を放つが、2mを越える巨体の熊は、一歩、後ろへたじろぐのみ。
バン!バン!!
「何はなくとも護身用の武器は鉄砲じゃ」
と、熊を仕留めた半蔵は賢治に白い歯を見せる。
「しかし、先生……」
と、賢治が指差す方から、ロシア兵が駆けつける。
「いかんな……」
「どうします先生。相手は銃を持った多勢です素直に捕まりますか?」
「こんな事もあろうとな」
半蔵は、岬の下を指差した。その先には軍用のゾディアックボートがある。
「スグに諦めたり観念するのは、最近の若い日本人の短所じゃよ。誰だったかの?フランス大会のサッカーワールドカップ日本代表の中岡将志が言うとった。絶対に諦めない!ってな、日本人の精神とはそれじゃよ宮里君!では日本へ逃げよう!」
半蔵と賢治はゾディアックボートで、流氷浮かぶオホーツク海を日本目指して逃げた。
「こんな時になんじゃが、息子たちはどうした?」
「義妹、若葉と、もう一人、頼りになる男に預けました」
「すると奴か?息子たちもオモシロく育ちそうじゃて」
そして、半蔵と賢治、二人の影はオホーツク海の霧の中へと消えた。
その後、ロシア政府が日本へ逃げた二人の身元を追ったが足取りは掴めなかった。もちろん、日本政府も掴めていない――。
伊賀半蔵は、拙作の未発表シナリオ「幻の満州」の主人公の設定です。およそ、10年前に書いた世界と、まさか、秘密結社KJラボ☆の世界が繋がるとは思いませんでした。
それから、初稿の段階では賢治の妻、涼子の死は不慮の交通事故だったのですが、その死にも謎がありそうになってきました。すべては霧の中――。




