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恭は、噴水のすぐそばにあるベンチに腰掛けていた。もう夜も近い公園には、人が数人いた。
犬の散歩をする人、買い物帰りの女性たち、杖をついて歩くおじいさん…。
彼らを見ながら、恭は密かに笑った。
『私ね、人を待つ間ほかの人を見ているのが好きなの。いろんな人を見てるとね、自分は一人じゃないんだなって安心するの。』
都姫、きっと俺を恨むだろうな。あいつは嘘が一番嫌いだから…
本当は都姫にこの話を切り出す機会は、この一週間の間にいくらでもあった。まだけ彼女を手伝いに行ったりしていたし、ご飯も一緒に食べた。
でも、言わなかった。言っても、仕方がないこともあるのだ。後悔のない選択なんてない。
空を見上げると、濃い青色の空に、黒く影の濃くなった雲が少し浮かんでいた。
少しして、もうそろそろ帰ろうかと立ち上がり、背伸びをした。
今日は少し涼しい。そう思って何気なく公園の入り口を見ると、人陰があった。離れているので、よく見えない。まだ薄っすらと明るいので、街灯はついていなかった。
その人影は、恭のいる方向に向かって歩いてきた。
恭はあまりのことに、目を大きく開けたまま固まってしまった。その人は、走ってきたのか、肩で息をしていた。深い海のような色の仄かな水っぽい光に、額の汗が照らされる。
彼女は大きな目でしっかりと恭を見据えた。恭も彼女の眼を見る。これは、学生時代にみんなで決めたルールだ。
「今日…ね、ギプスが…とれたの。」
彼女はまだ少し苦しそうに息をしながら言った。
「よかったね。」
優しく恭が微笑むと、彼女は、眼に溜まった涙を流さないようにするためか、眉根を少し寄せた。
「もう、不便じゃなくなった。」
「……ごめん。」
恭は悲しそうに彼女を見て、しかし穏やかな口調で言った。
「都姫が救急車で運ばれたって聞いた時、俺、死ぬほど怖かった。都姫がいなくなるなんて、有り得ないことだから…。」
都姫は手の甲で両目の涙を拭き取り、恭を見た。
「でも俺は、都姫と離れたところで暮らすことを選んだ。アズサとも、佐倉崎とも。」
恭は少し歩き出して、都姫の横を通り過ぎた。
「こんなこと言われたら困るかもしれないけど…都姫、好きだよ。」
何歩か歩いたところで、恭の中に途方もない悲しみの感情が止めど無く溢れ、息が苦しくなるのを感じた。
「奇跡かな。」
恭は立ち止まり、振返った。都姫がこちらを向いて微笑んでいる。
「私、恭と茉里と芳杜くんと出会う前は、いっつも失ってばっかりだった。父さんも母さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも、近所の優しいおじさんやおばさんたちも……私の好きだった人たちはみんなどこかに行っちゃった。」
風が吹き、都姫の長い後ろ髪が持ち上がる。恭が身体ごと向き直る。
「でも、恭と茉里と芳杜くんのことは失わなかった。」
街灯がついた。周りがいっきに照らし出される。二人の間に、短い静寂の時が流れた。
「人はこの先どうなるかなんて分らない。極端に言えば、いつ死ぬのかも。」
でも…、
都姫は恭に歩み寄り、目の前に立った。涙は跡形もなく消えていた。
恭は都姫の一言一言、仕草、全てを理解し、それらを感じ取ろうと耳を澄ました。
「でもいつかは必ずくる。いつ死ぬかは分らなくても、いつかは死ぬって分ってるから、私はそれまで恭といたい。」
厚い雲の隙間から、月が姿を現した。街灯とは比べ物にならない無数の光が舞い降りた。




