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Lip Cream  作者: 蒼惟 宙
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佐倉崎の口から出る言葉に、状況がぴったりと当てはまる。

恭は久々の休みで、部屋中に掃除機をかけていた。そして、リビングのテーブルに置かれたポーチから転がり出ているリップクリームを見つけ、そう思ったのだった。

彼女の言うことは、とくに都姫に関しては、ほとんど完璧にと言って良いほど間違いが無い。都姫のことを分っているつもりではなく、分っているのだと改めて感心させられる。

『恭くん』

あの夜、佐倉崎は隣の酒専門店を覗いて帰るというので、バーの前で別れた。

その時、車へ向かう恭を、彼女は酔っ払った様子が微塵もない真顔で呼び止めた。

『都姫は、自分の気持ちに対抗しきれてない。』

少し離れていたので、彼女は少し叫ぶように言っていた。周りにいくらか人がいたが、かまわない様子で続けた。

『私とアズサが勝手に仕組んであなたたちは出会っただけだけど、その出会いを無駄にしないで。自分の本当の気持ちに忠実じゃないと、きっと後悔するよ。繋がりは、切らないで。』

恭はしばらく呆然となった。

佐倉崎が手を振ってから一度向きを変え、思いついたようにもう一度向き直った。

『心配しないで。しばらく仕事で会えなそうだから、思ったことを言っただけ。』

恭はありがとうと叫び返して、手を振った。

実際、あれから佐倉崎とは2週間以上会っていない。一昨日都姫に会った帰り、彼女のその言葉が次々と思い出された。時たま遊びにくるアズサにも、似たようなことを言われた。

『恭と五縞の出会いもさ、他の誰でも経験するような偶然だけど、偶然は一度切ったらもう無い様なもんだと思うんだ。だからさ、自分の気持ちは大切にしろな。』

アズサも佐倉崎も、どうして都姫のことが理解できているのか…。自分もそうだと思っていたのに、だんだん自信が無くなる。

ベランダの窓と全ての部屋の窓を開け放し、彼はソファに腰掛けた。何もせず、ただ座っているだけだ。外の生活の音が部屋に流れ込んでくる。

と、その時、一昨日の映像が色と音付きで、頭の中に湧き上がるように現われた。車で桜並木の道を通った、あの時。都姫と、たぶん相丸颯太であろう男が一緒にいた。しかも彼らは、というよりも彼は、都姫を抱きしめていた。遠目からでも分るほど彼女の顔は赤かった…

「くそっ!」

声を出し、頭を振って映像を消し去ろうとした。

あの後、恭を見たときの都姫の驚きと恐怖の入り交じった表情が、1日に何度も思い出される。そしてその度に恭の心は激しく揺れる。都姫に訊きたい思いと、相丸颯太に激しく嫉妬する気持ちと、そんな思いを抱いている自分への苛立ちと。


夜、恭がベッドの上に大の字になっていると、リビングから電話の音が聞こえた。大急ぎで受話器を取りに行った。

「はい、瀬朶です。」

何も返ってこない。

「……もしもし?」

悪戯電話かだろうか?そう思い、電話を切ろうと耳から受話器を離しかけたその時、ぎりぎりセーフで声が応えた。

『伊井島洋子です。』

その声はいやに神妙だった。せっぱ詰まっているような空気が伝わってくるほどだ。恭は慌てて受話器を耳にあて直した。

「あ、伊井島さん。悪戯電話だと思って危うく切るとこ――」

『お返事を。』

何かを宣言するようにはっきりと伊井島は発音した。へんじ?と恭が聞き返すと、少しの間があってからため息をついたすぐあとのような口調で『お返事ですっ』と返ってきた。

『この間の。1週間後に電話するからその時にって言ったの、忘れちゃった?』

すっかり忘れていた。

「そう…だったね。えー…っと……」

『正・直・に、言って。フラれても自殺なんて絶対しないし、瀬朶さんを恨んだりも絶対の絶対にしない。』

リズムの無い声で彼女はそう言った。恭はその言葉に、いろいろと考えていた言葉を忘れてしまいそうになった。

「う、うん。じゃああの…伊井島さん。」

『はい』

「俺、付き合うことはできない。」

やっぱりねと言って、意外にも向こうは笑った。心配そうに恭が名前を呼んだ。

『違うの、負け惜しみとかじゃなくて、本当にそう言われるって分ってた。瀬朶さんに告った日の少し前に、すでに諦めてたんだよね。だって、瀬朶さんは五縞都姫さんが好きなんだもんね。』

え――

「どうして都姫を…?!」

恭は顔が火照るのを感じた。彼女は再び笑い出す。

『分かり易いんだね。一度お互いの友達の話をしてるときに、五縞さんって人の話、たくさんしてたもの。だから。』

そうだったろうかと、恭はパニックに陥った。そんなに都姫の話をしただろうか。そして、自分はやはりまだ都姫を強く想っているのだろうか…と。

『じゃ、ありがとう。おやすみなさい。また夏になったら、たくさんの人誘って海に行こうね。』

伊井島は明るくそう言い、恭がおやすみと返すと、電話を切った。

自分の気持ちに、恭は振り回されてしまっているような気がした。

昼間侵入してきた初春の空気の匂いがした。


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