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Lip Cream  作者: 蒼惟 宙
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恭はいつも携帯している黒い小さなポーチからリップクリームを取り出した。

「へえ、恭くんがリップ使うなんて意外。」

佐倉崎が大きな業務用の氷を爪の先でくるくると回しながら、恭の一連の動作に目を丸くした。恭はキャップをしめ、しっかりと元の場所にそれを入れる。

「そうか?じゃあ、佐倉崎の前で使うのは初めて、か。」

「なによ、ひっかかる言い方ね。」

「あ、いや…」

恭は日本酒を飲み干した。

二人は仕事帰りに落ち合って、佐倉崎の最近のお気に入りだというお酒の専門店、そこに併設されているバーに来ていた。

「つけるようになったの、都姫が言ったからなんだ。」

昔もよく恭と佐倉崎は学校帰りに会って、近くの公園で話をしていた。話題は主に都姫だった。佐倉崎がそれを望んだから、というのが一番の理由である。

「男の人でも唇は乾燥するのよ、リップクリームを使うと良いよってすごい心配そうな顔して言うからさ…借りて使ってみたらそれが良かったから。」

へぇ〜。彼女がにやっと笑い、相槌をうった。

「じゃ、今も同じの使ってるわけだ。しかも、都姫とお揃いで。」

さあ、どうかなと言って、恭は朗らかに笑った。

「お揃いかどうかは、分らないよ。」

答えながら、恭は心のどこかでそうだといいと思った。そして、店内の照明が明るくなくてよかったと密かに胸を撫で下ろした。

佐倉崎は早いペースで飲みつづける。彼女はお酒に強い。最強と言ってもいい。

「あのねぇ恭くん、惚気てもらうために誘ったわけじゃないの。」

「わけがないと誘ってくれないのか?」

そうじゃないよと言って佐倉崎は笑った。

伊井島のことがあったので、恭は久しぶりに解放された気分だった。都姫の所にはもちろん相変わらず通っているが、佐倉崎とはまた違う。

「では、単刀直入に伺います。恭くんに関わることです。」

佐倉崎は咳払いをして、おどけた調子で切り出した。が、表情は真剣そのものだった。恭はぎくっとした。まさか――!

「都姫の様子が最近おかしいということに、あなたはお気づきですか?」

「…へ?」

身構えていた恭は、少し間の抜けた返事をした。そりゃそうか…いくら佐倉崎の勘が鋭くても、ばれるはずはない。

「毎日家にいってるんでしょ?」

彼女はさらに恭に詰め寄る。ここは、素直に答えるべきか……

「ごめん。気づいてない。」

佐倉崎は「そうだよね」と短くため息をつき、運ばれてきた果実酒に口をつけた。

「昨日電話で話したの。」


『都姫、ちゃんと病院行った?あなた忘れっぽいから。』

夕方、彼女は仕事が一段落したので携帯から電話をかけたそうだ。都姫は少し笑って 『一昨日ね』と答えたらしい。

「普通じゃないか。」

俺が言うと、その時の笑いが少し虚ろだったのっ。と佐倉崎は力を入れた。

彼女を嘘発見器として使えるのではなかろうかと、恭はチーズをつまみながら思った。話は続く。

「それからね、いろいろと近況を報告しあったんだけど、都姫ったらぼーっとしちゃってて全然聞いてないの。」

「都姫も、たまにだけど、ぼんやりしてるときあるよ。」

恭がなんでもない様に言うと、佐倉崎はそんなことない!と、ケンカをする子供のように反論した。

「都姫は人の言葉とか、すごくちゃんと聞こうとする子だよ。なのに、最近はそうでないことが多いの。どうしてだろう…」

二人ともそこで黙ってしまった。恭は、都姫がそういう人間であることをちゃんと知っている。都姫の様子に気がつかなかったのは、よく考えてみると自分が気づきたくなかったからではないだろうか。恭は、都姫が同僚だと紹介した相丸という男のことを考えた。もしかしたら、あの人と何か…。

「恭くん、瞬きしてない。」

佐倉崎が恭の前でぶんぶんと手を振った。はっと我に返った彼を見て、佐倉崎はなぜか満足げに微笑んだ。

「やっぱり都姫と恭くんは似たもの同士だ。何か考えてるとき、あの子も瞬きしないもんね。」

それはそうとして、恭はどんどん不安に沈み込んでいく。もう別れた相手の恋愛を心配する自分もどうかとも思うが。

「恭くん、どうして離婚なんかしちゃったの。」

佐倉崎が、とくに責める風でもなく訊いてきた。恭は困ってしまう。それが分っていれば、苦労はない。

「都姫のこと、誰よりも大切に想ってるんでしょ?」

「想ってるよ。」

恭は即答した。

「じゃ、どうして?」

恭が正直者で、なかなか嘘をつけないと知っている佐倉崎は、さらに問い詰める。

「なあ、相丸颯太って人、知ってるか?」

恭は答えず、逆に質問した。佐倉崎は少し考えてから、ほんの少しだけと答えた。

「前に都姫から話を聞いたことがあるから。あっ!まさか都姫、彼のこと好きになっちゃったんじゃ……!」

彼女は恭の考えを声に出して言うので、恭はどうしようもなく悲しくなった。

どうして離婚なんかしちゃったの?という佐倉崎の声が、それからずっと恭の頭の中で響いていた。


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