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「もしもし、伊井島洋子です。今日、いつものあの場所に来て下さい。大事な話があります。待ってます。」
留守番電話には、落ち着いた彼女の声が録音されていた。恭はそれを聞き終わってから、大急ぎで車にとって返し、指定の場所へと向かった。もう夕方になろうとしている時だった。
夏には海水浴場になるのであろう海岸の側の大駐車場に車を置き、彼は砂浜に降りて伊井島を捜した。だいたい場所は分っている。恭がいつも彼女と来ていたのはここしかないのだから。
伊井島は砂の上に足を投げ出して、水平線に沈む眩しく赤い空を見ていた。恭が彼女の名前を呼ぶと、伊井島はぱっと肩越しに彼を見て、隣の砂をパシパシと叩いた。座れと言っているらしい。
「来てくれないかと思った。」
彼女はTVドラマの台詞のようにそう言った。恭が彼女と同じ方を向き、朝からずっとここにいたのかと、何時かのときの様に訊いた。彼女は頷く。
「海、好きだから。波の音とか、水の色とか、いつまでも聞いていたいし、見ていたい。」
彼女は不意に立ち上がった。恭も、座ったばかりだったが、彼女と同じようにした。そうして、やっと彼女は恭を見た。
「瀬朶さんも同じ。」
恭には冗談に聞こえた。いつもの伊井島の明るい冗談に。が、伊井島の真剣な表情が、本気であることを訴えていた。彼女は海に向かって数歩進んだ。海水に足が浸るまでは、あと数十歩は歩かなければならない。
「最初は顔がカッコイイからっていう理由だけで憧れてた。初めて私の家に来たときからしばらくは、それだけの理由だったんだよ。」
恭が彼女の丸い両肩と、背筋の良い背中を見ていた。潮風に、伊井島のウルフカットの茶髪がさわさわと揺れた。
「でも、そのあと二人で会ってから、何度も会いたいって思うようになった。会う度に好きになっていった。全部。いっつもここにしか誘わなかったけど、けどそれは…ここが私の好きな場所で、私の好きな場所は、瀬朶さんにも知っていて欲しかった。」
伊井島が振返った。背後の夕陽で、顔が陰になっている。
「瀬朶さん言ったよね、別の角度も含めてその人を見るんだって。そうした。でもやっぱり私は、瀬朶さんが好きだよ。どの角度から、どういう風に見ても。」
恭は眩しい太陽光線に目を細めながら、彼女を見ていた。言葉が出なかった。どう答えて良いのかが分らない。
「伊井島さ――」
「待って!」
伊井島は必死な声で恭の言葉を遮った。
「待って。今は何も言って欲しくない。勝手に呼び付けといてこんな言い方何だけど、でも、今すぐは…答えないで欲しい。」
彼女は、影で分かり難かったが、微笑んだように恭にはみえた。
「焦る必要、ないから。」
波の音だけがあたりに響き、恭は静寂を守った。
二人でしばらく海を見てから、彼女の「帰ろう」と言う言葉で車に乗り、帰路についた。




