05
堤防道路を走っていると一台の救急車とすれ違い、何台かの緊急車両が僕の車を追い越していったのだが、そのすべてがここに集結しているようだ。河川敷の駐車場は横付けされたパトカーと黄色と黒のパイロンで閉鎖されている。
「本日、この駐車場は使えません。申しわけありませんが引き返してください」
若い警官が近づいてきて言った。
「俺たちは、あんたらに迷惑をかけてる連中の関係者だよ。まったく……、俺を待たずに始めるからこういうことになるんだ。しかし、たかが食中毒にこのものものしさはなんだ」
父は既に車を下り、規定路線のようにパイロンを移動にかかっている。その脇を一台の救急車がすり抜けて行った。
「ちょっと――、勝手なことされては困ります」
「どれだけの人数が食中毒を起こしたのかは知らないが、まともに事情聴取に応じられるのが残っているのか? 食材を買ったところだって俺が訊けばどこの何店かすぐにわかる。そいつを俺がまとめて聞き出してやろうってんじゃねえか」
「えっ、でも……」
若い警官は、しばし迷った挙句、無線のマイクを手に取った。
「――はい、本人はそう言ってますが……」図々しく押し付けがましいが言っていることはもっともな中年男をどう扱ったものか上司に相談しているらしい。「――はっ、わかりました」 無線を戻すと若い警官は声を張る。
「一台、通しまーす!」
「まったく、最近の若いのなにかにつけ、てめえで判断できねえんだから困る」助手席に乗り込んだ父がボソリと呟いた。「あそこみたいだな」
県警の名が書かれた黄色いテープの張られている一画を父が指差す。ノースリーブのブラウスにサルエルパンツの女性が、警官の聴取に応じているところだった。遠目にも女性の動揺は明らかだった。
盛夏の陽射しが川縁を照りつけている。車を降りると、薄い靴底を通し足裏から熱気が這い上がってきた。
また一台、停まっていた救急車が発進していく。いったい幾人が食中毒を起こしているんだろう。
「おーい、裕美ちゃん。誰と誰が病院に運ばれたんだー」
テープで囲まれた区画の外で父が叫ぶ。声を掛けられた女性は一瞬戸惑い、次にホッとしたように表情を緩めた。
「同じ会社の方ですか? 少し待ってて下さい」
区画内に立ち入ろうとする父は聞き取りをしていた警官に制止される。駐車場を封していた警官より年嵩な分、落ち着いた様子で現場を取り仕切っていた。
「誰と誰が救急車で運ばれたんだー、自宅の電話番号ならここにあるぞ」
スマートフォンを高く掲げた時、僕たちの背中から声が上がった。
「すみませーん、保健所でーす。入っていいですか?」
野太い声に振り向くと、上下続きの防護服を着用したふたりが立っている。サージカルマスクのせいで容貌は判然としないが小柄なほうが三十前後、声を張ったほうは中肉中背で幾らか若い。彼らの額からは滝のような汗が滴り落ちていた。
警官に手招きされ、ふたりがテープを跨ぐと、父はちゃっかりその後に続く。このくらいで逮捕もされまい――僕も三人の後を追った。小柄なほうの防護服が警官の許に向かい、もうひとりは未だ燻るバーベキューコンロの前で立ち止る。警官が無断侵入の父と僕を不愉快そうに見ていた。父と一緒に居ればこんなことはしょっちゅうだ。
戻った防護服がプラスチックグローブに手を通しながら言った。父がそれに反応する。
「全員、搬送なのか……。しかも重篤のヤツも居るって? たかが食中毒で重篤なんてことがあるのか」
保健所職員は父に不審そうな眼を向ける。
「そちらは?」
「おっと、失礼。運ばれた連中と同じ会社の者だ」
いまは辞めていることまで説明する必要もないだろう。父は走り去る救急車を指差し、警官に言ったのと同じ台詞を繰り返す。
「あまり知られてませんが、細菌性の食中毒の場合、ボツリヌス菌が作り出す毒素はふぐ毒の一万倍とも言われてます。火の通ってない生肉を口にしたのであればO―157の危険もあります。サルモネラ菌でも脱水症状でひとが死ぬこともあるんです」
三十代半ばくらいの小柄な職員は、そう言うとサージカルマスクを外し、防護マスクを被った。
「へーえ」
「下がっててもらえますか」
「あっ、すまねえ」
マスク越しのくぐもった声に素直に従う父はなにか考え事をしてたようだ。そうでなければこういった場合、『邪見にするんじゃねえよ』とかなんとか怒り出すのが彼の正常行動だ。ともあれ、適切な治療には食中毒の原因物質を割り出すことが急務となる。父と僕は保健所職員の邪魔にならないところまで退いた。
「始めよう」
小柄な職員が言うと、若い方がジュラルミン製のトランクを開く。大小様々なサイズの密閉容器には食べ残しや調理前の食材を詰め込まれていった。