03
「そうまで一生懸命になれる理由はなんだい? 秘訣でもあるなら教えてくれないか」
「秘訣なんてもんはねえよ、ただな」
「ただ?」
「これは仕事に限ったことじゃねえが、まあ、このくらいでって済ませるのが大嫌いなだけだ。それじゃ相手さんに失礼に当たる そうは思わねえか?」
「確かにそうだね」
「なにも、かっこつけようってんじゃねえんだ」そこで父は照れたように笑った。「実のところ、手抜きしようたって、俺にはどこを端折ればいいかわかんねえんだよ。そんだけのことさ」
何事につけ楽をしたがる人間が多いなか、父のこういった姿勢には共感できる。
「なるほどね。でも、やりかけたはいいが先の見通しが立たなくなることだってあるだろう? そんな時はどうするんだい」
「おい、タク。勘違いしちゃいけねえぞ」
「どこが勘違いなんだよ?」
飛ばし屋をしてることなど父に言えるはずもなく、また、言ったところで信じてはくれまい。だけど振り込め詐欺の総元締めやインチキ霊能者を弾き飛ばしていた実績が、僕を傲慢にしていた。
「物事ってのは、たいてい上手く行かねえようにできてんだ。それをちょっと行き詰っただけで、もっと違ったアプローチがあるんじゃないかとか、自分にこの仕事は向いてねえんじゃねえかとか考え始める。そんなのはさぼりたがりが思いつく言い訳に過ぎねえぞ。山登りを考えてみろ。一合目や二合目でうろちょろしてるうちは山頂なんか見えやしねえ。目標すらちゃんとしてねえヤツが、うだうだ文句ばっか垂れてんじゃねえ。先ずは石にかじりついてでもやり遂げてみろってんだ。山頂に立って初めて、それが自分の目指すものだったかどうかがわかる。近道ばかり探してたんじゃあ遭難しちまうぞ」
自動車ディーラーの工場長というポジションで、ながきに渡り後進の指導に当たってきた父の言葉にはそれなりの重みがあった。弾き飛ばした悪党の数が両手の指を折って足りる僕など、彼から見たらそれこそ山裾をうろうろしている有象無象に過ぎない。その程度で世の役に立っているなどと自惚れれば「仕事をなめてんじゃねえ!」と言いたくなるのも当然だ。
話せて良かった――。忙しくキーボードを叩き始めた父の背中を、僕は畏敬の念をもって眺めた。
「なんだってんだ、ちきしょうめ!」
仕事にかかったのかと思ったが、どうも様子がおかしい。父の背中越しに覗き込むパソコンモニターではメーラーが起動し、一通のメールが開かれていた。
『ヨセフ、うそつき、バカ、きらい』
「ヨセフって誰なんだい?」
よせばいいのに僕は訊ねる。
「俺のことだよ。ヨシヒコってのがどうにもフランス人には発音しづらいようでな。何度、そう呼ばせようとしても、ソフィーのヤツ、オシコウ、オシコウとしか言わねえ。俺は小便じゃねえってんだ。だからヨセフって呼ばせてる」
「だけど、それがどうして〝バカ、きらい〟になるんだよ」
「うん、あまりに直らねえもんでわざと言ってるんじゃないかと思ってな。そこで俺もソフィーを〝びい〟って呼ぶことにした」
「そりゃあ、怒るだろう」
〝びい〟は、この地方郡部の方言で小娘をあらわす。
「無論、本来の意味は教えずにおいたさ。英語圏で使うマイ・スイート・ハートみたいなもんだと言っておいた。しかし、こう感情的になるところ見ると。どこかで訊いたか調べたかしたみたいだな。世の中ってのは本当に上手くいかないもんだ」
それは父さんの考えが浅すぎるせいだ。先ほど僕を感動させたたとえ話から含蓄が剥がれ落ちていった。
「まったく……、手間のかかるびいだぜ」
そう言いながらも父さんは、翻訳サイト首っ引きで送信メールをこさえている。
「ええと、シッタマエノントンジュ……なんだっけ?」
十五分ほどかけて書き上げたものの送信を終える。
「細工は流流仕上げを御覧じろ」
そう宣う父の携帯電話が鳴った。
「おいおい、効果てきめんじゃねえか! ブゥジュー、スェンモワ」
嬉しそうな父だったが、いくらなんでも速すぎる。
「――なんだ、裕美ちゃんか。どうした? そんなに慌てて」
父はあからさまに肩を落とす。嗚咽混じりで聞き取り難いが、携帯電話のスピーカーから洩れ聞こえてくる声は『すごく苦しんでます』と言っていた。
「なんだって! 場所はっ」いつもお気楽な父の声に珍しく緊張感が走る。「――すぐ行く。救急車は? ――そうか……、110番も――、それでいい」