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 父が出社して祖母とふたりきりになると、僕は大輔になったり父になったり、そしてまた僕に戻ったりと、ひとりで三役をこなさねばならなかった。〝認知症患者に頭ごなしの否定はいけません〟と父の書庫で見つけた『臨床精神薬理 認知症患者への対応』に書かれていたので「巧巳だってば」を禁句にしたのだ。

「大ちゃんは結婚してたんだっけかねえ」

「ヨシ、真梨子さんは買い物にでも行ってるんかい」

「巧巳、学校は?」

 普段、父が相手をしてやらないせいか祖母は話し相手に飢えていたようで、見当違いな質問を速射砲のように投げかけてくる。

「あはは、そうだね」では対応し切れなくなった頃、裏口が開いて声が聞こえた。

「こんにちはー」

 叔母だ! 「ばあちゃん、恵里子叔母さんが来てくれたよ」「ええ? なんて?」

 説明してるより連れてきた方が早い。僕は祖母をそのままに叔母を迎えに出た。

「あらぁ、タクちゃん、大きくなって――」

 高二から背は伸びてないが、久しぶりに甥を見た時の約束事みたいなものであることはわかる。「こんにちは、どうぞ、どうぞ。上がってください」 と、いまや我が家でもないのに叔母を招き入れる。

「おばあちゃんはどう?」

「僕と父さん、それに大ちゃんともよく区別がついてないみたいです」

「そう、たいへんだったわね。後はわたしに任せてタクちゃんは息抜きでもしてらっしゃい」

「すみません」

 僕は有難く退散させてもらうことにする。掃除機でもかけようかと父の書斎に行くと書籍類が散乱したままだった。父の椅子に腰かけて分厚い一冊を手に取る。『一般的な遺伝子欠失誘導』のページに付箋がつけられていた。

もしかして――僕は内容を熟読する。

〝生成にはウイルスの完全な増殖サイクルの実行及び毒性に関与すると思われる遺伝子の特定が必要となる。メタゲノム解析には次世代シークエンサーによるアプローチが有効だが――〟

 知らない用語も多かったが、パソコンの検索と散乱する書籍に力を借りて読み進めていく。ピンとくるものがあってブラウザの閲覧履歴から第四類感染症について書かれたサイトを開く。僕の眼はウエストナイル熱の項に釘付けになった。

〝ウエストナイルウイルスはRNAウイルスのため変異が起きやすい。感染した鳥類を吸血した蚊に刺されることによって人間にも感染する〟

大量の鳥の死骸、患者の症状、すべてのベクトルがウエストナイル熱を指しているように思える。増殖サイクルの確立で潜伏期間を縮め、毒性を特化させたGMV――遺伝子組み換えウイルス――を作りだすことができたとすれば……。いや、だけどそれを飛び交う鳥に感染させるなど雨にでも混入しなければ不可能じゃないか。あっ! 自らの想像を否定しかけて慄然とする。僕は『ラジコンヘリ 農薬散布』と検索ワードを打ち込んだ。父はこれを見ていたのか……。

 画面には農薬散布ユニットの取り付けられたラジコンヘリが農地を飛び回る動画が映し出されていた。父はあの食中毒騒ぎが人為的に引き起こされたものとの疑いを抱いているのだろうか。だけど誰にそんなことが可能だったろう。庄司さんは既に亡くなっている。仮に復讐の代行者がいたとしてモデリングしてみる。その人物はGMVを作ることのできる環境にあり、尚且つラジコンヘリの操縦に長けてなければならない。勿論、庄司さんとの繋がりも重要になってくる。そんな人間などそうそういるものではない。しかし裏を返せば、その条件を満たす誰かの存在は、父の疑惑に骨格を持たすことになる。

 庄司さんの為人(ひととなり)も交友関係も知らない僕にはここらが想像の限界だ。以降は三日後に戻ってきた父の話を基に、バルクから覗き見たもので補完しつつ綴っていく。

 三次元宇宙のカレンダーは一日戻っている。

「俺が行くのか?」

「俺は客の顔も知らんからな。地区担当所長が変われば顧客への挨拶は当たり前のことだ。歴代所長にも全員にさせてきた」

 見舞いと業務の引き継ぎを兼ねて行った沢村病院の帰途、父と矢貫氏は鵜飼川河畔の住宅地に立っていた。

「だったらなんで石田を帰しちまったんだよ。俺はあくまでも臨時だろうが」

「この一画だけで八軒の管理ユーザー宅がある。ぶつくさ言っているうちに陽が暮れるぞ。早く行って来い」

「ちきしょう、臨時所長を辞めたら覚えてろよ」

 父は小声でぼやきながら車の後部席から配布用アメニティがはいった袋を取り出す。

「いってくらあ」

「あ、ちょっと待て」

「なんだよ、営業本部長殿」

「世間話のついででいい。この数日、なにかおかしなことはなかったかそれとなく聞き出してきてくれ」

「今度は探偵の真似事か? おかしいのはおまえのほうだろうが」

 声こそ出てないが父の不平は口の動きを見ていればわかる。

「なにか言ったか」

「いいえなにも。営業本部長殿」

 大きな袋を担いで歩き出す父は、季節外れのサンタクローズのようだった。


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