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「父さん」
「なんだ?」
「脱線してるよ。庄司さんはどうなったのさ」
「おお、そうだった。あんなことできるのは庄司しかいないことくらい脇原にだってわかる。だけど証拠がねえ。脇原は知恵を絞った。なんとかして庄司をギャフンと言わす方法はないものか、とな」
「話には聞くけどさあ」僕は言った。「現実にギャフンと言っているひとっていないよね」
「茶々いれるんじぇねえ! そいつは、ええと……」そこで間があった。父は必死でなにかを思い出そうとしている。「そうだ! メタファーだよ、メタファー。知ってるか?」
「はいはい、なるほどね」
ギャフンは擬音であって暗喩ではないと思う。だが、思い出すことのできた父がやたら嬉しそうだったので正すのは止めておく。
「営業所のトップでも脇原は課長に過ぎねえ。まずは人事権のある叔父、専務の西村に頼み込んで庄司を営業職に異動させた」
「フロントマンと言えば技術職だろう? そんなおかしな異動があっていいものなのかい」
企画設計にポストを置く僕も、よく営業のアシスタントに駆り出されてはいたが、所属そのものが変わることはなかった。
「フロントマンから営業への転身は異例だが、メカニックからならざらにある。年取ってフットワークが鈍った奴の給料を上げるくらいなら営業に回して化けてくれるのを期待したほうがいいとでも上は考えてるんだろうな。よしんば辞めたとしたって新人メカニックなら毎年、四~五人が入ってくる。頭でっかちの技術屋は、車を売ることが主目的たる自動車ディーラーには要らねえんだよ」
「酷いね、消耗品扱いじゃないか」
「実際、消耗品なんだよ、メカニックもセールスもな」
そう言えば、僕がPJマウンテニアをメンテナンスを任せるディーラーでも、中堅どころと呼ばれそうな年齢のメカニックは見かけなかった。
「庄司さんの自殺は、その異動が原因だったのかい?」
「あいつだってそこまで弱い男じゃない。庄司はサンライズを辞めなかった。脇原の鼻をあかしてやろうと思ったのかもしれねえな。営業マン心得みたいなビジネス書を読んでるのを何度か見かけたよ。ところがそれを生かす機会がねえ。店頭に来る客、全部を他のセールスがかっさらってっちまうんだ。妙だなと思った俺は若いセールスを問い詰めてみた。案の定、脇原の奴、セールス全員に庄司に接客をさせないようにと指示を出していた。みんなの前で恥をかかされた。土下座して詫びをいれてくるまで手綱を緩めるな。さもなければ、おまえも庄司と同じ目に遭うぞ、と脅してたっつうんだから恐れ入っちまう」
「それってイジメじゃないのかい。とても大人のやることとは思えないな」
「そうか? イジメなんてものは子どもの世界に限らねえ。世界中、至るところで起きていると思うぞ。古くは宗教弾圧、魔女裁判もそうだな。経済制裁なんてのはイジメの最たるもんだろうが。だいたいだな――」
「父さんはなにかしてやれなかったの?」
再び脱線しかける父に会話の修正舵を当てる。放っておけば『この社会は根本から間違ってる!』となるに決まっている。
「歳は下でも脇原は課長で工場長だった俺は係長だ。なにが言えるよ」
そんなことを気にする父だとは思えないが。
「まあ、言ったけどな。営業所を私物化するのはよそう、とにこやかに」
それも父らしくない。『よさねえとぶっ殺すぞ』くらい言ったのではないだろうか。
「それで?」
「脇原もわかってくれたみたいでイジメは収まったかのように見えた」
やはりどやしつけたのだ。
「まだなにかひと波乱あったようだね」
もっとも、そうでなければ庄司さんが自殺する理由がなくなる。
「それから二~三日経った日のことだ、矢貫が城北店に来た。西村の命を受けていたあいつは俺を呼んで言った。営業部門に口出しをするのは越権行為だ、脇原のやることには一切口を出すな、とな。それに従わなきゃ奥飛騨営業所へ転勤だ。ばあさんの件がある俺としては口をつぐまざるを得なくなる。そして庄司へのイジメはエスカレートした。接客させてもらえなきゃ車も売れっこねえ。なのにミーティングルームのホワイトボードには『無能な者は去れ!』とこれ見よがしに書かれ、客の前だろうが若いメカニックの前だろうがお構いなしでネチネチと説教を始める。庄司には針の蓆だったろうよ」
「パワハラで労組に訴えるとかできないものなの?」
「ねえんだよ、そもそもその労組が。何度か設立の動きはあったようだが、その都度、西村に潰されてきた」
「内情を知ればそこで車を買う気がしなくなるね」
「――だな。そういった空気はお客にだって伝わる。このままではまずい、と俺は考えた」
「そうこなくっちゃ! 本社に直訴しに行ったんだよね」
「脇原は専務を抱き込んでんだぞ、誰に直訴するんだよ」
「社長とか……」
「バカ言え、畏れながら、と御前に出る前にお縄になっちまわあ」
「……いつの時代だよ」
「そいつは冗談だけどよ。庄司の代わりに来た杉山は、他店メカニックからの昇格ホヤホヤで客の顔もよく憶えちゃいねえ。なんせタオルサービスに「いらっしゃいませ」って言ったくらいだからな。そこで俺がいなくなってみろ。サービス業務は大混乱を来す。事態を収拾するためには庄司をフロントに戻すしかねえ、俺は、脇原がそう考えるんじゃないかと思った。だけど俺が辞表をしたためていた頃、庄司は既に首を縊っていた」