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「俺は城北店に行かなきゃなんねえ。できる範囲でいい、情報収集をしておいてくれねえか」
「昨日の一件かい? だけど、どうやって?」
髭を剃り落とし締まりのない顔になった父は、警官でもなければ新聞記者でもない僕に無茶を言う。
「WEBニュースを調べるなりなんなり方法はあるだろう。いまや、ことはサンライズ城北店だけにとどまらねえ。ワクチンが効く病原体でもわかれば大手柄だぞ。こいつは市民の義務だ」
市民の義務云々はともかく、城北店が機能を取り戻さないと父が家に居られず、さりとて祖母を放っておくわけにもいかないので僕はバルクに戻れなくなる。
「そうだね、調べてみるか。父さんのパソコン、借りるよ」
「おう、好きに使え。あっ! メーラーとマイピクチャは開くなよ」
そう言う以上、なにがはいっているかは予想がつく。僕にパンドラの箱を開く勇気などない。
「わかってる。いってらっしゃい」
僕は手始めにコンビニに行った。記事の締め切りが遅い地元紙なら、もっと詳しい情報がわかるのではないかと考えたからだ。
集団食中毒を疑う記事の扱いは中央紙と変わらなかったが、僕の眼は地方版の記事に吸い寄せられた。
『警察官が急死――井之口中警察署の佐村恒雄警部補四十三歳は――』
もしや――。
家に戻った僕は井之口中警察者に電話をかけた。
「佐村警部をお願いします」
代表から回された回線の向こうでは数人の声が交錯していた。
――そちらさんは?
「一昨日、食中毒の現場に居合わせて聴取を受けた者です」
ああ……、と小さな感嘆があった。
「なにか気がついたことがあれば知らせてくれと佐村警部に言われてまして――」
この辺り、いかがわしい連中を相手にしてたのが役に立つ。
「おい、なんて読むんだこれ?」「ツゲじゃないですか?」紙をめくるような音に混じってそんな会話が聞こえてくる。
――ツゲさんでしたね。佐村は席を外しておりまして……、わたしが伺っておきます。何か思い出されたことでも?
亡くなったのがあの警官であることは間違いなさそうだ。
「いえ、そうではなく、そこに名前のある柘植慶彦はわたしの父なのですが、佐村警部には自宅電話しかお教えしてないようでして――。父は本日より井之口サンライズ城北店に出社しています、それをお伝えしようと電話した次第です」
――そうでしたか、それはどうも。佐村が戻ったら伝えておきます。
「あのう……」
――はいっ?
つっけんどんなその声には、まだ、なにかあるのかという苛立ちが感じ取れた。
「食中毒の原因はわかったんでしょうか?」
――それは保健所に問い合わせてください、では。
電話が切れ、僕が居間に戻ると、祖母が朝食をとっていた。
口で言っても片っ端から忘れる。ばあさんにものを伝えるならメモを残しておけ――そう父に言われていた僕は〝朝食〟と書いた紙片をアンパンと目玉焼きの下に挟んでおいた。
「あれ! 大ちゃん、来てたんかい」
巧巳だってば……。
従兄弟の大輔と僕は似ても似つかない。あの短気な父がよくぞキレずに面倒を見ていらられるものだ。
「ヨシはどこだい?」
「今日からまた会社に出るそうだよ」
「ああ……、そうだったのかい」
食事を終えた祖母はチラシ広告を見始めた。
「そういえば」祖母が言った。「ここんとこ真梨子さんを見ないけど、あんた、喧嘩でもしたんかね」
とうとう僕が父に見え始めたらしい。しかも父の離婚すら覚えていない。
「ばあちゃん、デイサービスに着ていく服でも買いにいこうか」
このままではキレそうだ。決して負けず嫌いな僕ではないが、それでもあの父より堪え性がないと思われるのは癪に障る。
「洋服は足りてるわね」
「なにか食べたいものはないかい? 買って来てあげるよ」
「わたしは好き嫌いがないから何でも食べるわね」
いやいや、肉と鰻は嫌いだったはずだ。幼少期のトラウマで鮎も嫌いだというのを聞いたこともある。そうこうしているうちに祖母は、庭に水遣りをしてくると言って居間を出て行こうとする。
「水遣りなら、さっき済ませたろう?」
言ってから僕は、しまったと思った。これは認知症患者に言ってはいけない禁句に該当するからだ。慌てて言い直す。
「そっ、そう言えば、ばあちゃん、裏庭はまだだったよね」
祖母は、さもありなんとでも言いたげに笑みを浮かべると、神経痛と格闘しながら立ち上がった。