11
「タク、見てみろ」
祖母は庭で花の水遣りをしており、父とふたりの朝食だった。父が差し出した休刊日明けの朝刊には『集団食中毒か?』の見出しに続き、昨日だけで十三名が救急病院に運ばれたと書かれている。そのなかには井之口サンライズ城北店の営業スタッフ六名も含まれていた。
「このひとたちもバーベキューをしていたのかな?」
「そうじゃねえだろう。住所を見てみろ」
僕は続きを読んだ。名前の載っているひとびとのうちふたりは河畔近辺の住人で、そうでないひとは鵜飼船の客と船頭だった。
「こいつはどう考えたって食中毒なんかじゃねえ」
「そう……かもしれないね」
「もしかして、だぞ――」
父が言い終える前に玄関のチャイムが鳴った。
「誰だ、こんな朝っぱらから」
父が腰を上げる。
「お客さんかい?」
「構わないでいいからな」
玄関から戻った父は不機嫌な顔で居間の襖を閉じる。しばらくすると隣室の応接室で父の怒声が上がった。
「ああ? バカ言ってんじゃねえ! 営業経験のまったくない俺に所長なんか務まるはずねえだろうが」
「そんなものは要らんよ。俺が頼んでいるのは――」声の主は淡々と語る。「指揮系統がいなくなり混乱が予想される城北店の舵取り役だけだ。ベータなら新人研修を終えたばかりのセールスを立たせておいても売れていく」
「ふん! あのクソつまんねえハイブリッド車か」
「相変わらず口の悪い男だな。おまえの評価がどうだろうと〝売れる車は良い車〟は、今も昔も自動車販売会社のドグマみたいなものだ。しかし、それも落ち着いた。こう生産が遅れてはエコカー補助金の申請も間に合わなくなるだろうからな」
「アレのせいか?」
「うむ。納車時期が微妙な客のなかには、次回の補助金制度を待とうとキャンセルをいれてきたのもいる」
「ハイブリッド車のなんたるかも知らず、他人より安く買い物がしたいだけの連中だな。いいじゃねえか、そんなのに売らなくたって。きっと悪質なクレーマーになるだけだぞ」
「だが、西村専務はそうは思わん。どんな理由があろうとキャンセルはキャンセル、見込んでいた利益が減るのには変わりない。もし、城北店にそんな客が来た時、おまえなら購入車種をパシフィコ技研のオアシスに変更することの愚を説ける。生産の遅れている理由に通じているおまえなら、な。なに、ながくとは言わん。城南店の石田をおまえの下につける。あいつが顧客の顔を覚え、城北店の業務体系に慣れるまででいい」
「石田を脇原の後任に据えるわけか……」
「そういうことだ。当面、営業スタッフはよその営業所から調達して賄う予定だ」
察するに来客は井ノ口サンライズの営業本部長である矢貫氏で、父に城北店の臨時所長代理を依頼しているようだ。聞き耳を立てるまでもない。父のダミ声と矢貫氏のよく通る低音は、隣室にいた僕の耳に嫌でも届いてくる。だが、天下のサンライズ自動車の生産スケジュールに狂いを生じさすような事案に父がどう関係しているのだろう。アレとは一体……。
「寄せ集めもいいとこだな」
「仕方ないだろう、なにがあろうと城北店は閉めるなとのお達しだからな」
「それも西村のじじいが言ったのか?」
「うむ」
「スタッフはいつ揃うんだ」
「昨夜中に内示は出してある。本日十一時に城北店で顔合わせする段取りだ」
「そんな急な話なのか……」
しばしの沈黙が父の思案中を語る。
「タク! そこに居るか」
やあやって父が声を発した。
「ああ」
「ちょっときてくれ」
「こんにちは」
父がタヌキと呼んだことから小太りの御仁を予想していた僕だったが、なかなかどうして。当の矢貫氏はシアサッカー地のスーツをスマートに着こなす見るからに切れ者という印象だった。
「やあ、こんにちは。息子さんかい。あれ? おまえ、確か――」
怪訝そうな顔をする矢貫氏に、父は怖い顔で言った。
「それ以上、なんか言ったらこの話はなしだぞ」
「ありがたい、受けてくれるんだな」
「おまえ、いつまでここに居られる?」
父は矢貫氏への返答をチラ見で留保し、僕に言った。
前もって申請しておいた有給さえ返上させるのが僕の勤務先だ。ふた月も休職しているようなのを『はいそうですか』と復職させてくれるとは思えない。
「婆ちゃんの面倒を見てろってんだろ? 僕なら構わないよ」
「すまん」
「では城北店で待っている」
勇んで席を立った矢貫氏は既に玄関に向かいかけている。「庄司のロッカーを使うぞ」その背中に父の声が掛けられた。
「空いている。好きにしろ」矢貫氏は父に背を向けたままで言った。