第六話 後編
数分歩くと、バス停を発見した。申し訳程度にベンチが置いてある。小さなベンチだったが、二人で座るには十分だ。
「連中には連絡したのか?」
「うん。絵里は帰っていい、って言ってたけど、とりあえず場所だけ伝えておいた」
それぞれベンチの端に座る。間にはちょうど一人分くらいのスペースが生まれる。二人にとっては、ちょうどいい距離感である。
「…………」
「…………」
一週間前と同じように、沈黙が二人を包む。たかだか一週間前の記憶。だが、亜子にはずいぶん昔のように感じられた。なぜなら、
「そういや、あんたと二人で話すの久しぶりだね」
数日前、妙な噂が発生した時から意図的にお互いを避けていた。もともと仲がいいわけでもない。それにたった数日の話。それでも、亜子は久しぶりだと感じていた。
「そうだな」
どうやら誠也も同じように感じていたらしい。
「…………」
だからと言って会話が弾むわけでもない。相変わらずの沈黙。しかし、その沈黙は苦痛ではない。なぜだろう。考えてみても答えは出てこなかった。
「いよいよ明日だな」
唐突に誠也が話を切り出した。それは、声をかけた、というより、独り言に近かった。
「そうだね」
亜子も同じく独り言のようにつぶやく。
「準備を始めた時は、険しい道のりになるかと思ったけど、やればできるもんだね」
「それは明日やりきってから言え」
「はは、確かに」
確かに、と言いつつ、亜子の表情はどこか満足げだった。
「準備だけで満足ってか。遠足前日の小学生じゃあるまいし」
「満足とは思わないけど、ちょっと楽しかったね」
亜子の表情を見る。それはいつも誠也に見せるつまらなそうな表情とは打って変わって、充実感が垣間見える。
「意外だな」
いろいろな意味で意外だ。特に意外なのは、誠也に対して、素直になっているというところだ。
「そうかな」
「あんたは、俺たちの介入を拒んでいるのかと思っていた」
亜子は当初誠也たちの存在を嫌がっていた。そういう風に見えた。絵里や歩美と一緒にいて楽しいのは当然だ。しかし、そこに誠也と隼人が加わると話は違う。と思っていたのだが、
「ま、最初はそう思っていたけど」
どうやら今は違うようだ。
「あたし、あまり他人って信用しないから。実際友達も少ないし。だから最初はあんたたちも信用してなかった」
「そんな感じだったな」
亜子は、自分のプライベートスペースに入ってくるのを拒んでいた。絵里や歩美が誠也たちを頼りにしているのが嫌だった。
「でも、今は信用しているよ」
これは驚きだ。先ほどから驚く発言ばかりを繰り返している。
「ちょっとだよ。ほんのちょっと」
誠也があまりに驚いたからだろう。亜子が慌てて訂正する。
「あんたも今日はやけに素直だな」
「どういう意味よ」
「それによくしゃべる」
「余計なお世話よ」
ふん、と息を吐く亜子。
「そういうあんたはどうなのよ」
どう、とはどういう意味だろうか。
「楽しくなかったの、って聞いているのよ。そもそも何であんたはあたしたちに協力してくれているわけ」
最初の質問には答えかねるので、そちらは無視するとして、
「何度も言っているだろう。俺は隼人のサポートだよ」
「ふーん。じゃあその斉藤はどうなの?何で、あいつはここまで協力してくれるのよ」
「…………」
それに関しても答えかねるな。誠也としてはどうでもいい。だが、ここで答えてしまうほど、空気の読めない男ではない。
「それは隼人本人に聞いてくれ」
変なことを言って墓穴を掘りたくなかったので、濁して誤魔化した。
「何よ、言えないことなの」
「俺は知らない」
しかし、
「それは嘘でしょ」
「何で言い切れるんだよ」
「だって、斉藤を誘ったのはあんたじゃん」
亜子にとっては、この少ない情報量で十分だったようだ。
「……………」
「でしょ」
鋭すぎる指摘に誠也は何も言えない。
「嫌なやつだな、あんたは」
「そりゃどうも」
苦虫をかみつぶしたような顔をする誠也。対して、亜子は嬉しそうに笑う。完全に負けてしまった誠也は、しょうがなく、
「俺からは言えない。本人に聞いてくれ」
白旗を振った。亜子は満足そうに、
「最初からそう言いなさいよ。あんたは素直じゃないわね」
「あんたに言われたくない」
皮肉を口にしたのだが、それでも亜子の機嫌は悪くならなかった。
「こうなると俄然当てたくなるわね」
むしろやる気満々である。逆に誠也のテンションが下がる。
「あんたが言えないってことは、やましい裏事情があるってことね」
ノリノリで探偵を行う亜子は、誠也の表情を窺いながら話す。誠也は頭を抱えている。何でこんなことになってしまったんだ。
「あいつのテンパり具合を考えるに、」
「…………」
「ずばり、恋ね」
駆け引きも何もない。いきなりズバッと正解を言い当てられてしまった。あまりのスピード解決に、誠也は思わず反応してしまった。
「お、もしかして、図星?」
誠也はせめてもの抵抗として、返事はしない。ただ、もはや後の祭り。すでに勝敗は決まっている。このままこの事情聴取を続けられると、誠也はさらに負け続けることになるだろう。
「隼人たちはまだ帰ってこないのか」
「いまさら何誤魔化してるのよ。ええと、普通に考えたら歩美だけど、さっきのやり取りを見ると、案外絵里でも行けそうだなぁ」
自分という選択肢はないらしい。この展開が隼人にとって喜ばしいことなのか。どうにも悪い方向になりそうだな。勘違いされると、おそらく隼人の思いは届かなくなってしまう。だが、今の誠也にはどうすることもできない。そもそも、誠也は隼人の恋路について、手伝うつもりも応援するつもりもないのだ。
「で、どっちなのよ」
「好きに想像しろよ」
「往生際が悪いなぁ」
ため息をつき、頬を膨らませる亜子。
「ここまで来たら言っちゃえよ」
「断る」
まさかこの話題がここまで続くとは。そして、この話題でここまでテンションが上がるとは。誠也は、まだ亜子のことが分かっていなかったらしい。それにしても、なぜ苦労するのはいつも誠也なのだろうか。いや、実際誠也は無関係なのだが、なぜここまで頭を抱えなければいけないのだろうか。
「ずいぶん興味津々だな」
「別にそこまで興味あるわけじゃないよ。ただ、そういった下心がないと、むしろ信じられないわけ」
今までとは違い、急に真面目な表情になった。
「結局のところ、一番は自分じゃん。だから、他人のためとか人助けとか言っている人ってなんか信じられないんだよね」
「…………」
「だから、その話聞いて少し信じる気になったよ」
どうやらこの話は、隼人にとって喜ばしいことだったらしい。亜子との距離が縮まったわけではないが、心の中にある壁は一枚なくなったかもしれない。
ただ、
「歩美はいけるかもね。ただ絵里は難しいと思うよ。あいつ、彼氏いるし」
なんでこの着地点なのだろうか。
「何よ、また頭抱えて」
「着眼点はいいと思う。考え方も間違ってはいない。勘も冴えている。ただ、答えだけが間違っている」
誠也の嘘を見抜いて、一発で恋だと気付いた。そして、隼人の行動とその心情まで理解している。なのになぜ好意の先が自分だと思わないのだろうか。
「どういう意味よ。着眼点がよくて考え方もあっていて、さらに勘まであたっているのに、何で答えが違うのよ」
「それはあんたが若干抜けているからだ」
「あんた、ケンカ売っているわけ?」
自分を選択肢から外したのは、おそらく無意識だろう。わざと外した可能性もあるが、今の反応から見て、それはない。亜子は自覚が、決定的に足りないのだ。この前亜子と誠也の噂が立ったこともそうだ。亜子の自覚のなさが招いた事態だ。加えて、
「聞くが、あんたは中田や藤堂のために、今回のパーティーを成功させたいって言っているな」
「うん」
「そこに下心はないだろ」
「そうだね」
「それはなぜだ」
「友情ってそういうもんでしょ」
そこは即答できるのか。
「じゃあ隼人に対しても、そうは思わないのか?」
「だから言ってんじゃん。斉藤は恋愛感情」
ここまで合っている。
「その恋愛感情の相手は誰だ」
「それは、たぶん、歩美かなぁ」
これが不正解。というかこれだけが不正解なのだ。途中式は完璧。計算も合っていると思う。ただ、答えだけが違う。
「だからあんたは若干抜けている、と言っているんだ」
「全然意味が分からないけど、それならあんただってそうじゃない」
「はぁ?」
どうやら誠也が売った(誠也は売ったつもりなど更々ないが)ケンカを買ったらしい。簡単なやつだ。
「あんたクールぶっているけど、さっきから表情で全部分かるわよ。斉藤の話も、あたしが当てたんじゃなくて、あんたが教えてくれただけだと思う」
「なんだと?」
「自覚がないってことは、あんたも抜けているんじゃない。若干じゃなくて、結構ね」
「…………」
実際に亜子は正解を叩き出している。事実が存在するだけに、誠也は反論できない。
「ほらまた顔に出てる。あんたって、意外と素直なのね」
これ以上バカにされてたまるか。誠也は、亜子から目をそらした。すると、街灯がぽつぽつと続く寂しい道の向こうに、うっすらと三人の影が見えた。ようやく帰ってきたらしい。
「とにかく、隼人のことは信じてやれ」
「ずいぶん強引に話を変えるね。逃げるつもり?」
まだまだ誠也をいじめたりないようで、亜子は追い打ちをかける。誠也は相手をせずに、
「あんた、ちょっと前に俺に貸しがどうとか言っていたな」
「あぁ、言ったけど、何?それを盾に許しを請うわけ」
「請わねえよ。貸しのあるなしだったら、隼人にも当てはまるだろ」
誠也が真面目に話しているということに気づいたようで、亜子は、
「そうね、言われてみれば」
真面目に答えた。
「借りを返せ、とは言わないが、その代わり隼人を信じてやれ。隼人は自分を犠牲にして他人に尽くすタイプなんだよ。だから今隼人がやっていることは、下心じゃない。本気であんたたちのために動いているんだ」
確かに亜子目的で近づいたかもしれない。だが、今隼人が全力でパーティーに向けて準備をしているのは、本気でパーティーを成功させたいからだ。亜子が振り向いてくれるかもしれない、とは考えていない。とにかく亜子に喜んでもらいたい。それだけを考えているはずだ。それが斉藤隼人という男なのだ。
「分かった。信じるよ」
亜子は意を決したようにうなずいた。その言葉が本心かどうか分からない。ただ、亜子の様子を見ると、信じられるような気がした。
「そりゃよかった」
「信じるけど、」
「なんだ?」
「あんたはどうなのよ」
「俺?」
「あんた、斉藤のためって言っているけど、ここまでしてやる意味あるの?あんたがここまでする理由って何?」
言われて、気づく。どうして自分はここまで頑張っているのだろうか。思えば、誠也は隼人に尽くしすぎているような気がする。正直誠也は、亜子と隼人が結ばれてほしいと思っていない。隼人に亜子は似合わないし、付き合ったとしてもすぐ別れると思っている。なのに、なぜここまで隼人の好感度を上げようと努力しているのだろうか。
分からないが、考えても仕方がない。誠也は本気で明日までと考えているし、これ以上この話をしているわけにもいかない。隼人たちはもうすぐそこまで来ている。ここは適当に返して話を終わらせるのが吉だろう。
「それが友情ってもんだろ」
「…………」
亜子は無言を返した。しかし、亜子の表情が全てを語っていた。曰く、
『釈然としない』
まるで納得していないだろう。それでも何も言ってこないのは、おそらく自分が使ったセリフだから。それを否定してしまうと、自分が語った言葉に矛盾が生じる。誠也に対して、『嘘だろ』とは言い出すことができない。
誠也は追い打ちとばかりに話題を変える。
「さすがに肌寒くなってきたな。やつらも帰ってきたことだし、さっさと帰ろう」
「む……。そうね」
これで先ほどの話題を蒸し返すことはできないだろう。誠也は立ち上がると、こちらに向かってくる三人を迎える。すると、亜子も立ち上がって、誠也の隣に並ぶ。そして、
「あんた、本当にいい性格しているわね。しゃべっていると、腹が立ってしょうがないわ」
「悪いな。俺は意外と素直なんだ」
その言葉を聞いた亜子は、ぱっと誠也を睨みつけ、思い切り足を踏みつけた。
「いってーな。何すんだよ」
「思ってないくせに謝らないで。あとあたしのセリフ、マネしないで」
誠也はため息を返事とする。そこで二人の会話は途切れた。そして、
「おーい。お待たせ、お二人さん」
「おかえり。ずいぶん時間かかったね」
「ごめんね。こんな寒い中待たせちゃって」
「ううん。大丈夫。それで、荷物は見つかったの?」
どうやら絵里たちと話して、機嫌は一気に回復したらしい。
「それなんだけどさ、どこにあったと思う?」
「え?控室じゃないの?」
亜子が隼人を見る。確か、隼人はトイレに行くから控室に置いてきた、と言っていたはず。誠也もつられるように隼人を見る。すると、
「あ、いや、それがさ……」
なぜだか、汗をだらだら流している。それは走ったせいなのか、それとも冷や汗なのか。「聞いてよ。ロビーのソファーに置きっぱなしだったのよ」
「えぇ?何で、そんなところに」
「それは、その……。あはははは……」
笑って誤魔化す隼人。もはや何の意味もない行為である。
「それが控室に置いてきたのは自分の荷物で、私らの荷物はロビーに放置!ひどいと思わない?」
「それは、ひどいわね」
亜子は隼人を見た後、誠也を見た。おそらく、
『こんなやつ、本気で信じろっていうの?』
とでも言っているのだろう。誠也だって、ここまで間抜けだと思っていなかった。信じないほうがいいかもしれない。
「いや、面目ない」
「こいつ、本当に大丈夫かな?」
「絵里ちゃん、そのくらいにしてあげようよ。斉藤君だってわざとじゃないんだし」
追い打ちに余念がない女子二人に対して、聖母のような優しさを見せる歩美。これに関しては、誠也だって呆れるしかない。なのに、歩美は許そうとしている。本当に心が広い。
「それで、フロントの人が預かってくれてたんだって。一通り探したけど見つからなくて、最終手段で聞いてみたら、預かっている、とか言われて。本人確認やら何やらで、時間がかかったってわけ。待たせて、悪かったわね」
謝ってはいるが、悪いと思っていない感じだ。
「みんな、ごめん!」
最敬礼をする隼人。こっちは本気で反省しているようだった。当然なのだが。
「ま、いいよ。明日ちゃんとやってくれれば、ね。今日はもう帰ろう」
亜子から下されたのは、思った以上に寛大な判決だった。聞いた隼人はあからさまにほっとしていた。
「そうだね。こんなところで説教して風邪でも引いたらバカみたいだしね」
「うん。明日頑張ろう!」
ということで、解散となった。帰り道、隼人と二人になった誠也は、
「お前、本当にしっかりしてくれよ。自分を犠牲にしている俺がバカみたいだろ」
思わず苦言を呈してしまうのだった。