第四話
新体制発表までの段取りが決まると、それから絵里と歩美は忙しく動き回り、相談して年密に段取りを決めていた。隼人は覚えることが多いうえに、周りを納得させるだけの立ち回りが必要なので、暗記と練習に負われる日々を過ごしていた。
残りの二人はというと、暇を持て余していた。
「……………」
この新体制発表パーティーの主催者であり主賓であるところの亜子は、たとえやることがなかろうと、絵里たちのやることを見守る必要があり、かつ、質問や注文には逐次答える必要がある。新体制の準備を亜子の家でやっているということもあり、亜子は必然的に絵里と歩美が帰るまで、二人を見守っていなければいけなかった。
隼人のお目付け役であるところの誠也は、隼人がへまをしたりへこたれたり逃げ出そうとしたときには尻を叩かなければいけないし、万が一にも「使えない」と判断された場合は隼人の代わりに影武者にならなければいけない。嫌々ながら自らサポート役を買って出てしまった誠也としては、途中で投げ出すわけにもいかず、隼人が帰るまで居残りをしているわけである。
忙しい三人と暇な二人。五人が二つのグループに分かれてしまうのは、もはや必然的。特に誠也は、他人の家の中を勝手に歩き回るわけにもいかず、通された客間にこもっている。自らの家である亜子も、何かあった時に困るから、という理由で、誠也同様客間で暇を持て余していた。
よって現在、二人は客間にいた。
「……………」
「……………」
元よりあまり口数の多くない二人。加えて、それほど親しくない。当初の印象から、多少は改善されているとはいえ、まだまだ会話が弾むような関係ではない。初日こそ、ある程度会話を盛り上げていたが、三日目となった今日は話すこともなくなっていた。ましてや、
「あんた、何かしゃべりなさいよ」
無理やりひねり出した言葉がこれでは、誠也としても頑張っておしゃべりする気にならない。
「パーティーって何をやるんだ?」
あからさまに、今考えたような質問が出た。いや、これで十分だろう。
「何って、会食だよ。パーティーってそんなものでしょ」
「そんなもの、と言われてもな。俺のような低俗な人間はパーティーなんてやったことない」
「あたしだって特別高貴じゃないわよ。それにパーティーやったことなくても、イメージくらいあるでしょ」
「イメージ、ね。少なくとも高校生がやるようなイベントじゃない」
「別にいいのよ。どうせ形だけだし」
お互いに、中身のない話題だな、と思っていたに違いない。誠也自身、いったい何のためにしゃべっているのかよく分からなかった。無駄とは言わないが、特別必要な話題でもない。
「暇だな」
「暇だね」
中身のない会話すら続かない。自分はなんてしゃべるのが下手な人間なのだろう、とお互いが思ったであろう。
いたたまれなくなった誠也が、我慢の限界を迎える。客間に用意されていたソファーから立ち上がると、ドアに向かって歩き出す。
「どっか行くの?」
当然の質問を投げかける亜子。
「そろそろ連中の打ち合わせも終わるだろう。なんか飲み物とか食べ物とか買ってくるよ」
その実、この部屋から逃げ出したいだけだ。とりあえずこの気まずい空間から逃げ出したい。その一心だった。
「飲み物なら紅茶を出しているし、お茶請けならある程度は用意できるけど?」
そう言われると辛い。だが、ここで引き下がってしまうと、誠也の心中がばれてしまう。何とか押し切らないと。
「ただでさえ、三日連続であんたの家にお邪魔しているんだ。飲み物や食べ物くらいは、こっちで用意させてくれ」
とっさに出た言い訳だったが、なかなか上出来。その証拠に、亜子が眉をしかめている。
「それはそうかもしれないけど、みんなあたしのためにやってくれているんだし、これくらいは当然だと思うんだけど」
返ってきた反論も、どこか歯切れが悪い。
「それでなくても、絵里と歩美には迷惑かけているし、斉藤は全く無関係なのに巻き込んじゃっているし、あんただって……」
一応迷惑をかけているということは自覚しているらしい。その殊勝な気持ちは汲んでやれるが、おそらく相手は迷惑に思っていないだろう。特に隼人に関してはむしろ逆で、光栄に思っているはず。この中で迷惑に思っている人間がいるとしたら、それは誠也だけである。
さすがの誠也も正面切って言い出すことはできないので、とりあえずこの気まずい空間から逃げ出すために、最後の一押しをする。
「迷惑をかけているという気持ちは尊重するが、それなら連中の気持ちも汲んでやるべきじゃないか」
「絵里たちの気持ち?」
「今俺が言ったとおりだ。三日連続で家を訪れて、その上飲食させてもらっていたら、さすがに申し訳ない。こっちだって迷惑をかけているという気持ちは持ち合わせているんだ。そいつを尊重してくれないか?」
「…………」
おそらくこれで理解してくれたはず。相手を気遣える心の持ち主なら、ここで自分の考えを押し付けたりしないだろう。相手も自分と同様のことを考えているなら、退くべきところを理解してくれるはず。
「じゃあ俺は買い出しに行ってくる」
「分かった」
この誠也の言葉に対して、反論はなかった。ここまでは誠也の思惑通り。狙い通りに事が進み、誠也はまんまと部屋から逃げ出すことができた。しかし、ここからは想定外だった。
「そのかわり、」
「ん?」
「あたしも同行する。あと、買い出しのお金は、あたしを含めた五人の割り勘ね」
「はぁ?」
割り勘という部分はいい。理解できるし、断る理由はない。妥協点と言えば、妥協点である。しかし、もう一つの部分は納得できなかった。今、何て言った?
「なんであんたが同行する必要があるんだよ」
「何よ、悪い?」
当然悪い。いや、悪くはないが、誠也としては困る状況だ。これではいったい何のために買い出しに行くのか分からないではないか。
「あんたこの辺の地理分からないでしょ。ただでさえ暗くなっているし、迷われたら面倒だから」
「…………」
今度はこっちが黙る番だった。
亜子は誠也より先に部屋を出て、三人のもとへ向かった。
どうやらちょうどいいタイミングだったらしく、それぞれ飲み物一つと、加えて小腹を満たす程度のお菓子を頼まれた。誠也の言葉を忘れたわけではないが、
「そのくらいならうちにあるから、それでいい?」
と言ってみた。すると、
「あー、悪いからいいよ。家の人にも迷惑かかるし」
「うん。これくらいは自分たちで何とかするから」
と断られてしまった。どうやら絵里と歩美は、亜子や亜子の身内に対して少なからず詫びる気持ちがあるらしい。言葉こそ違うが、誠也の言うとおりである。何となく悔しい気持ちになった亜子は、
「買い出しに行くのはあたしだから、結果迷惑はかけているけどね」
と皮肉を口にした。すると、
「え?琴吹さんが行くの?誠也は?」
とすかさず隼人が疑問を口にする。
「笹原も連れて行くよ」
というか、もともと誠也が言い出した話なのだが、それを言ってしまうと、この案が全て誠也の提案であることがばれてしまう。なので、あえてこういう言い方をさせてもらう。
そして、付け足すように言い訳。
「笹原だけでもよかったんだけど、あいつだけだと道に迷いそうだし」
「なるほど……」
渋い顔をした間、納得の声を上げる隼人。直後、
「じゃ、じゃあ俺も一緒に行くよ。もう外暗いし」
コンビニは歩いてほんの三分程度であり、加えて昔から住んでいる顔なじみばかりの場所だ。心配は無用である。それに、誠也が一緒に行くので、隼人までついてくる必要はないと思うのだが。
「あんたはやることがあるでしょ。亜子の役に立ちたいなら、パーティーの時に活躍しなさい」
「あ、はい……」
軽い説教のように隼人を止めたのは、絵里である。どうやらこの三日間で二人の関係が固まったようだ。曰く、しっかり者の姉と不出来な弟と言ったところか。歩美と隼人もお似合いだが、絵里と隼人も案外お似合いなのではないか。
「じゃあ行ってくるから」
二人のやり取りと、それを困った様子で眺める歩美を目の端で捉えつつ、部屋を後にした。自室に行き、外出の準備をして客間に戻ると、
「ずいぶん長いこと話していたようだが、もめていたのか?」
「別に何も」
誠也の言うとおりの展開になったということは、もちろん黙っておいた。
外に出ると、少し肌寒かった。もう五月だ。今は春真っ盛りであり、日に日に暖かくなっていくことを実感している今日この頃である。ただ日が暮れると、冷えるようで日中の格好で外に出ると、少し痛い目を見る。
「寒っ」
部屋着で外に出てきてしまった亜子は、少し後悔した。すると、
「上着取って来ればいいじゃないか」
「別に平気。すぐ近くだし」
いちいち部屋に取りに戻るほうが時間がかかる。それに、この買い出しをさっさと終わらせたかった。しかし、
「すぐ近くなら、俺一人でも行けると思うが」
どうやら誠也は買い出しに行きたい様子。理由がよく分からないが、
「次から一人で行けばいいでしょ」
自分から行くと言い出してしまった以上、ここで引き下がるわけにはいかない。絵里たちにも示しがつかない。
「いいから、さっさと行くわよ」
亜子が先に歩き出すと、後ろから誠也がついてきた。
「連中は何をご所望だったんだ?」
「あー、結構いろいろ言われたわよ。でも量はそんなに多くないし、お金もかからないと思う」
もういい時間だし、ここでたくさん食べてしまうと、夕飯が入らなくなる。ま、官職と言った感じで、ワイワイやりながら食べるのだろう。亜子や誠也も交えて、説明することもあるだろうし、この後は五人で話をするに違いない。
「ま、細かい注文はなかったし、あとはこっちで適当に選びましょ」
亜子がそう言うと、誠也が追いついてきて、横に並んだ。誠也はあまり背が高くない。おそらく高校生男子としては平均的な身長なのだが、何しろ亜子が百七十センチメートルあるのだ。横に並ぶと、顔がすぐ近くに来る。
すでに日が落ちている現在。街灯だけが高原となっているのだが、その少し心もとない光が誠也の顔を照らしている。普段明るいところで見るそれと、何やら雰囲気が違っていた。亜子はその端正な誠也の顔に、少しだけ目を奪われた。そのせいで、
「隼人は何か言っていたか?」
「え?」
誠也の言葉が耳に入ってこなかった。
「隼人が何か言っていなかったか?」
「あー、何か慌てた様子で、一緒に行く、とか何とか……」
平静を装い話す亜子は、変に高鳴る胸に動揺していた。
「絵里に痛いところつかれて、若干黙り込んだけど。何かへこんでいたね」
亜子の言葉に、誠也はため息。
「あとで言っとく必要があるな……」
独り言のようにつぶやく誠也。その言葉がなんだか意味深で、思わず、
「何?どういうこと?」
と、率直な疑問を口にしていた。すると、誠也は一瞬顔をしかめて、前を向く。そして、
「あいつは極度のお人好しでな。人に何か頼みごとをすることを嫌うんだよ」
そろそろコンビニが見えてくるだろう。確かに、誠也の言うとおり、道だけ説明して誠也一人で行かせればよかったかもしれない。しかし、
「嫌うというか、人に頼みごとができない性質なんだ。使い走りにするみたいで嫌なんだと」
誠也一人で行かせていたら、こんな話聞くことができなかっただろう。
「つまりあたしたちを使い走りにしたことに対して、罪悪感を覚えている、と」
「あんただけだよ。俺に対して気を遣ったりはしない」
隼人は、亜子が買い出しに行く、と言ったとき、誠也の存在を気にしていた。つまり、誠也だけが行くのであれば、一緒に行くとは言い出さなかった、ということか。それにしても、何というか、お堅いやつだな。見た目からはそんな印象を受けないが、誠也の言うとおりお人好しなのだろう。
「あいつ、よく挙動不審になるだろ?」
そこで、ふと違和感を覚えた。
「ああ、うん。確かに」
「あれは、妙な気を回しているせいなんだよ。自分が何かするべきなんじゃないか、したほうがいいんじゃないか、って考えすぎた結果、変な挙動になってしまっているんだ」
その違和感の正体は、すぐに思い当った。
「はあ……」
何で誠也はいきなりこんなにしゃべり始めたのだろうか。こいつはこんなに一人でしゃべるやつじゃない。今までもそうだったし、今日だってつい先ほどまでそうだった。急激に仲良くなったわけでもないし、いったい何が原因だろう。
「だから、隼人が挙動不審になっていても気にするな」
「あんた、もしかして斉藤のフォローしてる?」
「…………」
おそらく図星だった。思えば誠也は今まで、隼人のフォローをし続けていた。最初に助けてくれた時も、親睦会の時も、そして今回のパーティーの件も。
「あんただって人のこと言えないじゃん。とんだお人好しだね」
「冗談でもよせ。俺はお人好しでも何でもない。友達のよしみで隼人の尻拭いをしているだけだ。やりたくてやっているわけじゃない」
それでも責任持ってやっている時点で、十分お人好しだと思うのだが。
「それって斉藤からお願いされているわけ?」
「そうだ。それも、熱烈に」
なるほど、先ほど誠也が言っているように、隼人は誠也に対して遠慮はないらしい。絵里も同じように強引に人の内側に入ってくる気さくさがある。それで、絵里にも逆らえないのかもしれない。となると、誠也の言うとおり、ただのお人好しではないのかもしれない。曰く、
「じゃ、強引に押されると拒否できないヘタレってわけね」
言ってから、亜子は、しまった、と思った。さすがに言いすぎたかもしれない。確かに誠也は無愛想で歯に衣着せないところがあるが、協力してもらっている立場である。それにでなくても誠也には強制している部分があるのだ。これは本格的に怒らせてしまったかもしれない。
「……………」
誠也はすっかり黙り込んでしまった。目の前にコンビニが見えてくる。コンビニが発する光で二人の顔が明るく照らされる。亜子はこっそり誠也の表情を盗み見た。怒っているのだろうか。すると、
「ぷっ」
誠也は困ったような顔をしていた。その様子に亜子は思わず吹き出してしまった。
「何だよ」
「もしかして、図星?」
「うるさい」
「しかも、自覚済みだった?」
「…………」
その沈黙がすべてを物語っていた。おそらく、亜子の言葉がクリティカルヒットした。しかも、自分でも自覚していて、反論できない。そんな感じだ。
「そっか、図星だったかぁ。なんかごめんね」
何となく達観している雰囲気のある誠也。しかし、今目の前にいる誠也は、亜子たちと同様ただの高校生に見える。分かりやすく拗ねているのだ。それが素の笹原誠也を垣間見たようで、何となく誠也が身近に感じた瞬間だった。
「やかましい。自覚しているんだから問題ないだろ」
「そんなに拗ねんなよぉ」
「拗ねていない」
「別に悪いことじゃないって」
擁護されるのがますます気に入らなかったようで、誠也は一人速度を上げて歩き出す。コンビニはもうすぐそこ。亜子の案内はいらない。
どうやらからかうと途端に子供らしくなるらしい。感情が露わになり、話しかけやすくなる。
「ちょっと待ってよ。先に行かないで。からかったの謝るから」
誠也がドアを開けたところで、亜子が追いつく。
「謝っているじゃん。そこまで拗ねることないでしょ」
「別に拗ねていない」
すでに押し問答になっている。こういうやり取りだけ見ると、痴話ゲンカに見えなくもない。
「それで何を買うんだ?」
「あぁ、えっと。とりあえず飲み物。あんた、カゴ持って」
誠也にカゴを渡し、記憶を辿りながら飲み物の売り場へ行く。
「あんた、飲みたいものは?」
「任せる。適当に買ってくれ」
誠也はカゴを持ったまま、雑誌コーナーで立読みを始めてしまった。どうやら買い物は全て亜子に押し付けるつもりらしい。確かにさっきは少しからかいすぎてしまったかもしれないが、誠也も拗ねすぎだと思う。いくらなんでも尾を引きすぎである。
最初こそ新鮮な感じがしたが、さすがにしつこい。だんだんイライラが募ってきた亜子は、小さな嫌がらせをすることにした。
「あんたがカゴ持ってんだから、こっち来なさいよ」
言って、無理やり誠也をつれてくると、いきなり二リットル入りのペットボトルを二つ入れる。そして、一.五リットル入りの炭酸飲料を二つ。
「おいおい、買いすぎだろ。あいつら、こんなに頼んだのか?」
「そう」
「絶対に飲み切らないって」
「別に飲み切る必要はないでしょ。明日以降もうちに来るんだし。それでも余ったらうちで飲むから」
「明日以降の分は明日買えばいいじゃないか」
「いいでしょ。あたしが買いたいの」
途中から拗ねているのはどちらか分からなくなってきた。何で自分はこんなにむきになっているのだろうか。
誠也はため息交じりで黙り込んだ。表情を見るに、今度も怒っているわけではない。ただ呆れているだけように見える。子ども扱いされているようであり、それはそれで納得できなかったけど、それでも亜子のわがままに付き合ってくれるらしい。先ほどはヘタレと言ってしまったが、やはりお人好しなのだと思う。それ以前に、誠也は優しい。
お菓子もいくつか買って、会計を済ませる。飲み物とお菓子に袋を分けてもらうと、誠也は何も言わずに飲み物の袋を持ってくれた。
「ものすごく重いな」
「しょうがないわね。液体だし」
文句は言うが、それ以上反抗はしない。隼人に対してだけではなく、亜子に対してもそのスタイルらしい。おそらく誰に対してもそうなのだろう。
「さ、早く帰りましょ。さすがに寒くなってきた。みんなも待っているしね」
帰り道はからかったりしなかったが、それでも十分会話を盛り上げることができた。
家に帰ると、三人はすでに打ち合わせを終えていたようで、客間に来ていた。
「ずいぶんゆっくり買い物していたみたいだね」
「二人でどっか遊びに行っちゃったのかと思ったよ」
嫌味が飛び出すくらい待たせてしまったみたいだ。
「何であたしがこいつと遊びに行かなきゃならないのよ。打ち合わせは終わったの?」
「まあね。今日は結構進んだかな。アンケートまとめたり、会則の更新とか、やることはたくさんあるけど、とりあえずパーティーの目処は立った。あとは、」
言って、絵里は隼人のほうを見る。
「代表がしっかりしてくれれば、万全かな」
「あ、すいませーん……」
これには歩美も苦笑いだった。どうやら未だに安心できないくらいしっかりしていないらしい。そこまで難しいことは要求していないはずだが。
「お疲れ様。じゃあ今日の打ち合わせ内容でも話しながら、ゆっくりしましょう」
「で、何を買ってきたの?」
亜子は買ってきたものをテーブルの上に出す。
「あと、飲み物」
誠也が飲み物をテーブルの上に乗せる。
「何?こんなに買ってきたの?」
「少し買いすぎじゃないかな……」
絵里の言葉に、歩美が賛同する。隼人は苦笑。
「ほら言わんこっちゃない」
やはりこの量は彼らの注文ではなかったらしい。ということは、亜子の独断か。一体何を考えているのか。誠也がため息をつき、呆れていると、
「ヘタレは黙ってなさい」
どうやら完全に下僕扱いだ。先ほどから誠也の扱いがひどい。ま、これくらいで怒る誠也ではないが、ここまでしつこいといい気持ちはしない。
「とりあえずコップ用意するからちょっと待ってて。あんた、手伝って」
亜子も誠也に対する遠慮を忘れてしまったらしい。
「何で俺が……」
思わず愚痴をこぼす。しかし、
「あんた、今日ほとんど何もしてないでしょ。買い物の延長だと思って、我慢しなさい」
亜子は全く意に介さない。何もしていないのは確かだが、そもそも誠也はここにいることを強要されているので、反論したいことはいくつもあった。それでも手伝ってしまうのだが。戸棚から人数分のコップと、いくつかの皿を用意する。
「何か二人仲良くなってない?何かあったの?」
これは仲良くなった、と言うのだろうか。確かに二人きりで客間にいたときに比べて、雰囲気が緩和したような気はするが、これでは誠也のストレスがたまる一方である。少しは言い返さないと、やってられない。
「そこのじゃじゃ馬が正体を現しただけだ」
「誰がじゃじゃ馬よ」
「噛みついてくるってことは、自覚しているんじゃないのか」
このやり取りをどう見たのか、絵里が楽しそうに笑う。
「ま、何があったか知らないけど、仲良くなったのはいいことだよ。いつまでも気まずいままじゃ楽しくないからね」
どこをどう見たら仲良く見えるのか。それにしても、と思う。琴吹亜子という少女、どう考えても隼人には合わないと思う。一方的にベタぼれしている隼人は、この女に死んでも尽くそうとするだろう。いいように利用されるのが落ちである。理解してはいたけど、改めて認識する。隼人にはハードルが高すぎると思う。素直に歩美と結ばれてほしい。そうすれば、こちらの心労は半分以下になる。
その後、打ち合わせ内容を話しながら適当に雑談をして、三十分くらいで解散した。帰り道、隼人と二人で話したいことがあったが、亜子がタクシーを呼んでくれたので、駅まで四人で向かった。ま、明日以降隼人と二人になる機会は無限にあるだろう。そのとき、誠也はあまり気にしていなかった。