第二話
翌日の昼休み。誠也は亜子に言われたとおり、屋上に足を運んでいた。いい影武者と一緒に。
「おい、誠也。いい加減どういうことか説明してくれ」
「面倒だからあとで」
その影武者とは誰か。まあ誠也の交友関係を知っていればおのずと解る。それは、
「亜子ちゃんについてのいい話って何だ?」
亜子に一目ぼれした誠也の親友、斉藤隼人だ。誠也はあの話を聞いた瞬間、隼人の顔を思い浮かべた。設立者の影武者になれば、嫌でも亜子と話せるはず。それでいて一般のファンクラブの連中とは一線を画する位置にいる。友人以上の関係と言ってもいいだろう。隼人にとっては、亜子に近づく絶好のポジションだと、誠也は確信していた。これで隼人が亜子に近づけなければ、さすがに隼人が悪い。誠也としてはこれ以上ないほど協力したと言っていい。
亜子のこととなると、途端にぎゃあぎゃあうるさくなる隼人を隣において、誠也は一つ考え事をしていた。設立者とは誰だろうか。話を聞いた限りでは、亜子に相当近しい人物だったようだ。男だったら、残念ながら隼人に脈はないかもしれない。まあ、誠也にはどうでもいいことだったが。
「とりあえず話を合わせろ」
そんなことを考えているうちに屋上に到着したのだが、屋上に抜ける階段を上りながら、誠也はまず驚いた。普段施錠してあるはずのドアが開いていた。一体どういうことだろうか。ここを集合場所に指定したときから、誠也はいぶかしんでいたのだが、その答えがこれだったらしい。亜子は屋上のドアの鍵を持っていたのだ。改めて思った。琴吹亜子とは何者なのだろうか、と。
「影武者って誰なのよ」
「知らない」
亜子は一足先に屋上に来ていたのだが、さっきからこればかりでうんざりしていた。先ほど説明した。それで十分だと思っていたのだが、相手は引こうとしない。
「あんたがそんなこと言ってくると思わなかったわ。気になる」
どうやら本当に気になるのはその影武者ではなく、影武者を紹介してもらうに至った経緯だろう。亜子に男子の知り合いがいないことはよく知られていたみたいだ。
「だからあたしは知らないんだって。もうすぐ来るからちょっと待ちなさい」
「はーい」
とても上機嫌になっていて、扱いにくかった。もう一人もいつも以上にニコニコしている。この会合が終わった後、おそらく自分は質問攻めに合うだろう、と半ば諦めにも似た予感が亜子の頭をよぎったとき、その相手は来た。
まず来たのは、紹介者である笹原誠也。これを見た瞬間、二人から歓声が上がった。まあ予想できたことだ。そして、もう一人。こいつがおそらく影武者候補だろう。そいつを見て、亜子は自分の勘の鈍さに嘆いた。それはとても簡単に予想できた相手だった。
「一応聞くけど、そいつが影武者候補?」
「そうだ。こいつ、斉藤隼人。知っているだろ?」
知っている。誠也と話すきっかけを作ったのがこいつだ。一応自分を助けてくれた人物、さすがの亜子でも忘れていなかった。
「一応聞くけど、」
先ほど亜子が言ったセリフをそのまま誠也が言う。
「この二人が創設者か?」
「そう。知っているでしょ?」
誠也が頷いたのを見て、亜子が二人を紹介した。
「こっちが藤堂歩美。で、こっちが中田絵里」
「よろしく!なになに?二人っていつから仲良しだったの?あたし知らなかった!」
紹介が終わるや否や、恵理が誠也に近づいた。
「でもこの前会ったのが初めてだったよね?もしかして昨日何か合った?」
「うるさい。話が進まないでしょ。ちょっと黙ってて」
亜子としては昨日のことは話したくない。何とか誤魔化して、影武者のことだけ話したかった。しかし、
「あの、全然話が見えてこないんだけど。影武者って何?」
「…ちょっと、あんた。何も説明しないで連れてきたの?」
「ああ。だから教えてやってくれ」
これではさっさと話を終えることは不可能だ。早くこの話を終えたい亜子だったが、とりあえず隼人に説明するところから始めた。
「なるほど」
簡単に説明を終えたところで、隼人が一言。
「本当に理解できたの?」
「ま、おおよそは」
亜子は隼人の言葉が信じられない様子。ここで隼人では不安だと思われたら、誠也の計画は失敗である。紹介者の誠也としてはもっとしっかりしてもらいたかった。まだ一度も亜子の顔を見ることができていない隼人。誠也としては一発分殴ってやりたかった。これではどの道、亜子に好いてはもらえないだろう。
「で、どうだ?こいつは変なやつだが、悪いやつじゃない。前も見ただろ?正義感だけは人一倍強いやつだ。きっとあんたたちの役に立つはずだ」
「あたしは構わないよ」
まず先に言葉を発したのは創設者の一人、中田絵里。どうやらこいつがファンクラブのトップらしい。やたらにやけているのが気になったが、とりあえず了承してくれている。そしてもう一人。
「私もいいよ」
かなりの人格者、藤堂歩美。こいつはナンバー2で各隊の隊長を牛耳っているらしい。誠也の予想ではこの役も恵理がやっている。この目の前にいる大人しそうな女子がそんなことをやるとは思えない。それは置いといて、彼女もゴーサインを出してくれた。残るは、
「……・・」
琴吹亜子だけだった。ふくれっ面のまま、口を開かないそいつはどうやら隼人が気に入らない様子。亜子に断られたら他の二人が了承してくれても正直意味がない。誠也は隼人の背中を叩いて、
「ほら、お前も何とか言え」
「お!お願いします!精一杯従事します」
一体何のお願いをしているのか解らないほど、迫力があった。
「で、何があったの?」
想像通りというか何というか、亜子は例の話し合いが終わった途端、二人の質問攻めに合っていた。授業まであまり時間がないのだが、二人には関係ないようだ。
「何がって何よ」
「とぼけないで。笹原誠也と何があったの?って聞いているの」
何かあったと言えばあったのかもしれない。しかし、素直にそう言えばこの二人が大騒ぎすることに間違いはない。なので、亜子は、
「別に何も」
と答えることにする。しかし、
「嘘つけ」
と絵里に即答されてしまった。
「何で嘘って決め付けるのよ!」
「当たり前じゃない!ついこの前までお互い知らなかったのに、何でファンクラブの話まで知っていて、その上影武者紹介してくれるのよ。どう考えてもおかしいでしょ」
絵里の言っていることは正しい。でも、絵里の言う『何か』はなかったのだ。あったのは頑固な亜子が意地を張っただけ。それに、なぜ誠也が影武者を紹介してくれたのか、亜子としても全然心当たりがないのだ。
「そんなこと、あいつに聞けばいいじゃん。あたしは知らないよ」
「あたしは亜子に聞いているんだけど」
「まあまあ。二人とも落ち着いて」
だんだんヒートアップしてきている二人を歩美がなだめる。
「二人が仲良くなったのはとてもいいことだよ、絵里ちゃん。別にそこまで問い詰めなくてもいいじゃない」
「まあそうだけど」
歩美は、亜子に救いの手を差し伸べてくれたのかと思った。しかし、
「もちろん、何もなかったなんてことはないと思うけど」
本当はすごく気になっているのかもしれない。仕方ない。この二人には言っておくか。亜子は両手を上げて降参した。
「解ったよ。話すけど、でも二人が期待しているような浮ついた話じゃないよ」
「解ってるよ。とりあえず聞かせてよ」
本当に解っているのだろうか。絵里のきらきら光る瞳を見て、若干の不安を覚えた亜子だったが、とりあえず昨日の放課後、誠也に謝ろうと決心したところから話し始めた。
適当に省略して話したので、何とか担任が来る前に話し終えることができた。それを聞き終えた二人の反応は、
「へえー。あの琴吹亜子がそんなことをねえ」
「じゃあお互いお礼言って仲良くなったんだね」
似たようなものだった。
「別に仲良くなってないよ。交わした言葉も多くないし」
絵里のセリフは無視して、歩美に返事をした。だいたい、『あの』琴吹亜子って一体なんだ?琴吹亜子は一人しかいないのだ。嫌味以外の何者でもないだろう。
「でも、それじゃ斉藤君を紹介してくれた理由が解らないね」
「だからあたしも解らないって言ったじゃん」
「つまりは困っている亜子を放って置けなかったってことじゃない?」
絵里はどうしてもそういう方向に話を持っていきたいらしい。今度は無視せず、ずばっと言い返した。
「だったら自分が影武者になるでしょ。斉藤を紹介したってことは、俺は勘弁って意味なんじゃないの。つまり、あたしに関わりたくないってことでしょ」
すると今度は歩美が、
「でも亜子ちゃんが誰か紹介してって言ったわけじゃないんでしょ?笹原君から言い出したって事は、やっぱり気にしているんじゃないかな。少なくても嫌いな相手にそんな親切しないよね」
「だよねー!よかったね、亜子」
一体何がよかったのだろうか。確かに歩美の言い分はおおむね正しい。でも亜子は本当にまともな会話をしていないのだ。そんな相手のことを気にかけるだろうか。斉藤隼人は正義感たっぷりで困っている人を放っておけないようなタイプだが、笹原誠也は面倒ごとに巻き込まれないように、安全な道ばかり通っているようなやつに見える。ちょっと亜子が愚痴ったからと言って、気を回してくれるようなタイプには見えなかった。まあどっちにしても、
「あたしは興味ないよ。別にあいつに好かれようが嫌われようが、構わないね」
「本当につまらない女だね。あんたは」
「何とでも言いなさい」
亜子としては、早くこの話をやめて欲しかった。実のところ、誠也に対する感情は、亜子の中でも処理できていないのだ。考えても解らない。誠也の話をしていると、なんとも落ち着かない気分になるのだ。気持ち悪くてしょうがない。
「それで結局、影武者として採用するの?」
「あー。放課後までに考えておくよ」
適当に話を切り上げた。直後、教師が入ってきて授業が始まった。
「お前、もっとちゃんとしろよ」
誠也はあきれ返っていた。放課後になると、歩美が誠也たちのクラスにやってきて、
「昼間の返事するから、ちょっと待ってて、って亜子ちゃんが言ってたよ」
と伝言を残していったのだが、肝心の隼人はすでにがちがちになっていた。
「そんなんじゃ、オーケーもらえないぞ」
「解っているよ!仕方ないだろ、俺は緊張しいなんだよ」
もっと普段どおりにすればいい。そうすれば恋愛対象になるか否かは置いといて、少なくとも嫌われることはないだろう。何せ隼人は男女共に友人が多いのだから。
「それより誠也、お前本当に亜子ちゃんと何もないんだろうな」
「何もないって言っているだろ。何度も言わせるな」
昼の一件が終わってからこのセリフを何度聞いたか。誠也は事細かに昨日の状況を説明し、そしてなぜ今日影武者としてお前を紹介したか、詳細に話した。
「あいつに興味あったら、俺が影武者になっている」
「そりゃまあ、そうだけど」
なぜか隼人はまだ納得いかない様子。誠也としては本当に面倒になってきていた。考えてみれば、誠也は無関係だ。結果は明日にでも隼人から聞けばいい。今日はもう帰ろう。
「じゃ、俺は先帰るから。振られても泣くなよ」
「あ、おい!ちょっと待てよ」
隼人の言葉を無視して帰ろうとすると、誠也がドアに手をかける前に、自動で開いた。そして、そこには隼人の待ち人がいた。
亜子は目の前にいる誠也を一睨みすると、
「お待たせ」
と隼人に話しかけた。
「いや、別に」
隼人が気をつけの姿勢で返事をする。そんな様子を見て、亜子は眉をしかめた。それは当然だろう。事情を知っている誠也から見ても、今の隼人は挙動不審だ。こりゃ断られるな、と半ば誠也は確信していたのだが、
「あんたに頼むことにするわ。よろしく」
何と、答えはオーケーだった。それを聞いた隼人は、
「ほ、本当?俺でいいの?」
と、本当に嬉しそうな顔をした。一方亜子のほうは、
「あんまりよくないけど。他にいないし、結構切羽詰っているし、しょうがないね」
と、かなり冷静な意見を口にする。両者の温度差は異様なほど開いているようだ。
「わ、解りました!よろしくお願いします」
本来ならお願いされる立場である隼人が思い切り頭を下げ、本来ならお願いする立場である亜子がそれを見て横柄に頷き、契約成立。そんな様子を見て、誠也は帰ろうとしたのだが、
「早速だけど、業務連絡」
亜子の言葉に思わず立ち止まってしまった。そして、
「土曜日に親睦会もかねて、ご飯食べに行くことになったから」
「わ、解ったよ」
「ちなみに、あんたもだから」
あんたとは誰だろうか。考えてみれば簡単に答えが出る。亜子は隼人に話しかけていたのだ。だとすると、隼人がその親睦会に参加するのは当然のことである。つまり、あんたとは隼人以外の人物だ。そして現在教室には隼人と亜子以外にはたった一人しかいない。よって、亜子の言うあんたとは笹原誠也のことだ。
「は?何で俺が参加しなくちゃいけないんだよ。俺は無関係だろ」
「あたしも知らないよ。理由は絵里に聞いて」
「あんたのファンクラブだろ」
「あたしはファンクラブに関しての権限は持ってないの。全権絵里に委ねているから」
「断る」
「あたしはそれでもいいけど、こいつが困るんじゃないの?」
亜子が示したのは、隼人だ。それについては納得せざるを得ない。
「斉藤一人じゃかわいそうだと思わないの?」
ちっとも思わない。しかし、放っておいたら間違いなく隼人の好感度は急降下してしまうだろう。それほど今の隼人は緊張しているのだ。
「斉藤もこいつがいたほうがいいでしょ?」
返事をしない誠也に焦れたのか、亜子は隼人に話しかけた。かわいく小首をかしげながら、微笑んで。これは決定的だった。
「も、もちろんです!」
「これで決定ね。じゃ、土曜日忘れないでよ」
そう言うと、亜子は颯爽と教室から出て行った。その姿を見送ると、誠也はがくっと肩を落とした。そして、元凶である隼人をにらみつける。すると、
「そういうわけだから、よろしくな」
などと言い、小首をかしげて微笑んだ。亜子と違い、こっちは気持ち悪かった。
土曜日。誠也はなぜか集合時間の三十分以上前に、駅前に来ていた。なぜかというと、一時間以上前に隼人が来ていたからだ。
「早く来てくれ」
と連絡があった。とにかく来てくれと、しつこく言われたため、何か事故にでも巻き込まれたのかと思ったが、現状は、
「この格好変じゃないよな?髪型平気か?」
とまあ、単純に緊張しているだけだったらしい。誠也は心配した自分を呪った。
「変じゃない。いつもどおりだ。安心しろ」
ため息交じりに答えてやる。どちらかというと誠也のほうが変な格好、変な髪型をしているだろう。誠也としては張り切るつもりなど毛頭なかったのだが、それにしても街中に出るのだ。腐っても高校生である身としては、そこそこ外見を気にしたかったのだが、何の準備もできなかった。ものすごくシンプルな格好と、寝癖を直しただけの髪形。自分のデートでなかっただけ幸いだと考えるべきなのか。
しかし、と思う。好きな人とのデートとは人をここまで緊張させるものなのだろうか。隼人は尋常じゃないほど緊張している。それほど亜子のことが好きだということなのだが、今日は二人きりじゃない。誠也は好きな女子とどこかへ出かけた経験がないので解らないが、自分もこんな風になってしまうのかと思うと、かなり恐怖だった。
「誠也、今何時だ?」
「今、十一時四十五分だ。後十五分ほどだな」
「あー、やばい。俺、亜子ちゃん見たら死ぬかもしれないわ」
死んでしまえ、と誠也は思った。鬱陶しいことこの上ない。今日一日この調子なのだろうかと思うと、とても欝な気分になった。
後十五分というと、もういつ来てもおかしくはないだろう。誠也は適当に辺りを見回しながら、待っているのだが、隼人はすでに目を瞑っていた。まだ早いだろ。そして、
「なあ、俺、変じゃないよな?」
「ああ。平気だよ」
思い切り変である。服装や髪型ではなく、挙動が。気付けば回りを行きかう人々が、ちらちらこちらを見ている。おそらく不審者とでも思われているのだろう。もちろん、隼人が。知り合いと思われたくないな。しばらく黙っていてもらおう。
「そう騒ぐなよ。こんな姿見られたら、幻滅されるぞ。無理してでも落ち着いている振りをしろ」
「そ、そうだな。よし、善処しよう」
隼人は壁にもたれかかり、腕を組んだ。そして、若干うつむき気味。
「これでどうだ?落ち着いているように見えるか?」
「ああ。見える」
これでかなり楽になった。誠也は引き続き、亜子たちの登場を待った。
そして、待つこと十分。とうとうそのときがやってきた。
「来たぞ」
「え?マジで?」
「落ち着け。今までの苦労が台無しになる。とにかく深呼吸をしろ。そして笑顔で挨拶だ」
「解った」
隼人は今までの体勢のまま、深呼吸をした。その様子を見て、誠也はほっとする。扱いが面倒なやつだ。長い付き合いだが、ここまで面倒だったときはない。
そして、誠也は三人のほうを見やる。探している様子なので、手を挙げてやる。
「お待たせ。早かったね」
一番最初に話しかけてきたのは、中田絵里だ。
「ああ、まあな」
誠也は適当に返事をして、
「おい。来たぞ」
隼人に声をかける。すると、
「みんな、おはよう」
とてもぎこちない笑顔を振りまいた。
「………・」
三人は若干引いた。そして、ただ一人、
「あはは。斉藤君、もうお昼だよ」
藤堂歩美だけが普通の返事を返した。本当にいい人だ。それともただの天然なのだろうか。
「それで、どこに行くんだ?」
「うん。近くにヴェニスっていうイタリアンがあるから、そこで昼食取るよ」
「解った」
隼人は完全に役立たずなので、基本的な会話は全て誠也がやらなくてはいけないようだ。誠也は本当に帰りたくなった。なぜイタリアンなのに、ヴェネチアにしなかったのだろうか。英名がおしゃれだと思ったのだろうか。
そこまでの道のり、会話は二手に分かれていた。
「笹原はいつ来たの?」
「三十分くらい前だ」
「ずいぶん早く来たんだね」
「まあな」
一つは、先頭を歩く誠也と絵里、亜子。しゃべっているのはほとんど絵里だ。見た目どおり、活発な女子であるらしい。それなりに会話が盛り上がっているように錯覚を起こしてしまうほど、話し上手だった。
そしてもう一つは、誠也たちより若干遅れてついてくる隼人と歩美。様子を見る限り、隼人はまだ緊張しているようで、歩美ばかりがしゃべっているようだ。一言でしか返事をしない隼人のせいで、歩美はとても頑張っている。なぜか誠也がとても申し訳ない気分になってしまっていた。
「後ろが気になるの?」
話しかけてきたのはまたしても絵里だ。
「まあ少しな」
気になるのは隼人だけだが。
「何かあの二人、結構お似合いかも」
絵里は後ろを見ながら、微笑んだ。確かにそうかもしれない。誠也もそう思った。どう考えても亜子よりは歩美のほうがお似合いである。
「何よ」
思わず亜子を見てしまった。そして、不機嫌そうな声で威嚇される。
「別に」
本当のことなど言えるはずもないので、誠也は適当に言葉を返す。すると、
「あんたたちも結構お似合いだと思うよ」
などと、絵里がつぶやいた。
「や、止めてよ!変なこと言わないで」
「えー?結構本気なんだけど」
今日は騒がしくなりそうだな。誠也は楽しそうに叫びあう二人を見て、他人事のようにそう思った。
「じゃあ、いただきます!」
店について、全員の料理がそろったところで絵里が号令をかけた。席順は机をはさんで男女が分かれている状態である。
「じゃあどうしようか?自己紹介でもする?」
絵里はとても楽しそうだ。合コンでもやっているつもりなのだろうか。
「いらないでしょ、別に」
異議を唱えたのは亜子だった。おそらく亜子もこの会合に対して積極的じゃないのだろう。どう見ても楽しそうには見えない。まあ誠也としても乗り気ではないので、その考えには賛成だった。
「わ、私もあまりやりたくないなあ…」
この考えに歩美も賛同してくれたため、
「えー?じゃあしょうがないか。じゃあお互い質問でもしながら適当に食事しよう」
とりあえず自己紹介は避けることができた。質問、ね。盛り上がるのだろうか?誠也はもちろん、おそらく亜子も質問をしないだろう。隼人はどうだろうか。移動の時間で歩美と話していたため、若干緊張がほぐれたみたいだったが。本当に彼女には頭が下がる想いだった。
「じゃあさっそくあたしから」
予想通り、絵里が名乗りを上げた。
「二人は恋人いますか?」
とても、突然だった。他に聞くことないのだろうか。
「お、俺はいないよ」
なぜか隼人はすばやく答えた。理解できん。この質問に対して、異議はないのだろうか。
「ふむふむ。それで、笹原は?」
「俺もいない」
「おー!いいね、楽しくなってきたぞ!」
この女もいい加減理解できないな。テンションの高い絵里を見て、誠也はがくっと疲れてしまった。
「じゃ、今度はそっちの番だよ」
質問は順番制だったようだ。特にない、と言おうとしたところで、隼人が何か聞きたそうな雰囲気を出していた。
「何かあるか?」
誠也が聞くと、
「いや、考え中」
と答えつつ、誠也に意味深な視線を送ってきた。口に出せよと思っているうちに、誠也は何となく理解してしまった。
「あー、そっちはどうなんだ?」
「どうって何が?」
「恋人。三人は恋人いるのか?」
おそらくあっているだろう。隼人を見ると、表情が真剣になっていた。はあ。かなり鬱陶しい。自分で聞け。
「うーん、あたしはいるけど」
と言ったのは絵里だ。
「ふーん」
だけだとさすがに失礼なような気がしたので、
「うちの高校か?」
と加えて質問した。
「いや、違うよ。というか、高校生ですらないね」
「なるほど。そんな感じするな」
年上と付き合っていそうなイメージがある。何せ、絵里は大人っぽい。
「あたし、そんな感じする?」
「まあ納得できる」
「それって微妙だなあ」
さきほどから二人で話しているような気がする。それに、絵里が誰と付き合っていようが、構わないのだ。問題は別のところにある。
「二人は?」
と誠也が聞くと、歩美と亜子は一瞬目を合わせて、
「私はいないよ」
「あたしも」
と、答えてくれた。これでどうだ?とばかりに隼人のほうを見ると、見えないところで小さくガッツポーズをしていた。それほど嬉しいか。考えてみたら、ファンクラブなるものを作っているのだ。亜子に恋人がいるはずがない。
「じゃ今度あたしたちね。何かある?」
と二人に問いかけたのだが、返事はなく、結局、
「じゃああたしが」
と絵里が質問することになった。本当に協力的じゃない。誠也だって本当は協力したくないのに、ここまで頑張っているのだ。少しは見習ってもらいたい。
「何で、亜子に影武者紹介してくれたの?」
それは、誠也単独の質問だった。嫌な質問だ。誠也としては本当のことを言ってもいいのだが、隣にいる隼人がそれを許してくれはしないだろう。つまり嘘をでっち上げなくてはいけないのだが、今の誠也にそこまでの気合はなかった。
「それは言えない。察してくれ」
この答えに、誠也以外のメンバーは、
「…………」
となった。誠也は気にせず、パスタを口にする。
「それは、また意味深だね……。何だが面白いことを期待しちゃうんだけど」
「う、うん」
思わず歩美も頷いた。
「………」
「それぞれ好きなことを想像してくれ。それより、」
何度も言うが、誠也はとても面倒な気分になっていた。
「隼人から質問があるそうだ」
「え?おい、誠也!」
いきなり無茶振りした。当然隼人は抗議する。しかし、誠也は意に介さず、
「今日はお前のために皆集まってくれたんだ。お前が参加しないでどうする。もしかしたら、長い付き合いになるかもしれないんだ。きちんと質問しておけ」
と適当なことを言って、自分は再び食事に戻った。誠也の言葉を真に受けた隼人は四苦八苦しながら、三人相手に会話を始めた。
それからは歩美と亜子も会話に加わり、結構盛り上がることができた。
「これからどうする?まだ三時だし、せっかくだからどこか行こうよ」
と、妙案を切り出したのは、当然絵里だった。
「どうしようか?カラオケでも行く?ボウリングでもいいけど」
なぜかもうどこか行くことになってしまっている。亜子としてはもう帰りたい気分だったのだが、
「うん。いいよ。どこか行こう」
と歩美は乗り気。さらに隼人も乗り気な様子で何度も頷いていた。一方誠也は、
「もう十分じゃないか?」
と、亜子同様、乗り気じゃないみたいだ。まあ誠也に関しては最初からこんな感じだったのだが。
結局多数決により、どこか行くことになった。現在の場所ではあまり娯楽施設がないので、電車で移動することになった。駅までの移動中またしても二手に分かれたのだが、今度は乗り気の絵里・歩美・隼人の三人が先行し、その後ろをあまり乗り気でない亜子と誠也が追っている状況だ。気持ちゆえに亜子と誠也の足取りは重く、前の三人と結構な距離が開いてしまっていた。前の三人は会話に夢中になっているのか、それに気付いていない。
「おい、少し急ごうぜ」
「うん」
二人が改札を通り抜けたところで、発車のベルが鳴った。おそらく二人が乗るであろう電車である。しかも三人はすでに乗り込んでいる可能性が高い。亜子と誠也は急いで駅構内に向かい、何とかぎりぎり乗り込むことができた。電車は結構込んでいて、辺りに三人の姿は確認できなかった。
「あいつら、これに乗っているのか?」
「たぶん乗っていると思うけど」
亜子は一応確認しようと、連絡を取ろうと思った。すると、
「あれ?」
携帯電話がない。亜子は決まってかばんの外ポケットに入れているのだが、見当たらない。手早く他の場所を調べてみたのだが、やはり見当たらない。
「どうかしたのか?」
隣にいる誠也に話しかけられ、反射的に、
「ケータイなくしたかも」
と答えていた。
「は?それ、本当か?」
眉をしかめて聞き返してくる誠也の言葉に答えずに亜子は電車から飛び降りた。おそらく昼食を取ったイタリアンレストランに置いてきてしまったのだろう。
そう考えながら今一度かばんの中を確認していると、構内に発車のベルが鳴り響き、ドアが閉まった。探した結果はやはりない。仕方がない。とりあえず一人で探しに行こう。そう思っていると、
「ケータイあったか?」
誠也も一緒に降りていた。
「何であんたも降りてんのよ。先行っててよかったのに」
「あんただけ置いていけるかよ。そんなことしたら向こうでボロクソ言われるだろ」
確かにそうかもしれない。でも、電車降りたのは亜子の勝手だ。まだ実際ないと確認したわけでもなかったのに、それに頼んだわけでもないのに、一緒に降りてくれるとは思わなかった。
「とりあえずあいつらに連絡しよう。五人で探せばすぐ見つかるだろ」
誠也は携帯電話を取り出した。五人で?ということは、誠也は彼らを呼び戻そうとしているのだ。
「ちょ、ちょっと待って!」
亜子は誠也の腕を取り、電話を阻止した。
「何だよ」
「皆を呼ぼうとしているの?」
「ああ。人数多いほうが圧倒的に効率いいからな」
「お願いだからやめて」
誠也の言い分はもっともだろう。亜子としても、誠也の立場だったらそうするかもしれない。でも、亜子はそうしてほしくなかった。
誠也は当然いぶかしむ。
「何でだよ。ケータイ見つけたくないのか?」
「見つけたいよ。でも皆に迷惑かけたくないの」
前の三人はとても楽しそうだった。ほんの一週間くらい前に知り合っただけなのに、今日はすでに一年以上一緒にいる関係に見えた。亜子と誠也はぎこちなかったが、彼らは仲良くなっていた。そんな彼らのいいムードに水を指したくなかった。
「たぶんさっきの店にあるよ。だからあたし一人で行ってくる。なくてもまああたしが悪いんだし、最悪解約しちゃえばいいんだよ。あたし、あまり電話帳多くないし」
全部本音だ。確かに少しは気を使った発言もあったが、嘘はついていない。携帯電話にそこまでの思い入れはない。解約しても全然構わない。亜子は笑って答えた。
そんな亜子の笑顔を、納得いかない感じで見ていた誠也だったが、
「解った。あいつらに連絡するのは止そう」
と、携帯電話をしまってくれた。解ってくれた誠也に、亜子は安堵のため息を付いた。しかし、
「だが、あんた一人では行かせない。俺も探しに行く」
「え?いいよ。あんたは先に行ってて」
「駄目だ。あんた一人だと連絡取れないし、迷惑かけたくないなら、さっさと見つけるべきだ。そこは妥協しろ」
そう言うと、誠也は今来た道を戻っていった。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
亜子としては納得いかなかったが、今度は聞いてくれそうにない。確かに誠也の言い分は正しい。それに、さっさと行動に出たところを見ると、今度は引いてくれそうにない。誠也の言うとおり、時間を掛ければかけるほど、皆に心配をかける。ここは早く探して、終わらせるのが一番だろう。亜子は誠也を追いかけた。
駅員に説明して、改札から出してもらうと、二人は早速昼食を取った店に行ってみた。しかし、予想に反して店にはなかった。店員にも聞いてみたが、忘れ物は届いていないらしい。
「誰かに拾われたか、道端にまだ落ちているかだな」
拾われていたら、ほぼ間違いなく返ってこないだろう。そうなると、悪用されてしまうし、何より電話帳に入っている人に迷惑をかける。早く電話を止めるべきだろう。
「もういいよ。皆も待っているだろうし、あたし解約してくる」
「ちょっと落ち着けよ。まだ拾われたって決まったわけじゃないし、拾ったやつが悪いやつだとも決まってない」
「でももしものことを考えると、そんな悠長なこと言ってらんないよ。こういうときは最悪の状況を考えて行動しないと」
「…………」
亜子の言葉に、誠也は黙り込んだ。おそらく解ってくれただろう。亜子としてはこれ以上誠也に迷惑かけるのも気が引けるし、何より時間を掛けたくない。亜子本人がいいと言っているんだ、何も問題ないだろう。しかし、誠也は、
「ケータイの番号教えろ」
まだ、探すことを諦めていなかった。
「もういいって。きっと取り返せないよ」
「これで駄目なら、あとはあんたに任せる。だから番号を教えろ。水掛け論は時間の無駄だぞ」
その言葉は、誠也に引く気がないことを示していた。亜子はため息を付き、しぶしぶ携帯電話の番号を教えた。それを聞いて誠也は早速電話をかけている。
そんな様子を見ながら亜子は考えていた。亜子は誠也の性格を捉え違えていたようだ。誠也は熱いところもあるらしい。頑固でもあるらしい。最初はもっと冷たい人間だと思っていた。しかし、実際は違うようだ。今日もかなり嫌そうな雰囲気を出していたが、なぜか緊張している隼人に助け舟を出していたし、結局絵里のわがままじみた計画にも付き合っている。そして、今の状況も全て亜子のことを考えての行動だ。つまり、今日誠也は全て他人のために行動していることになる。誠也が得をしたことなどあるだろうか。おそらくないだろう。少なくとも損をした方が多いに決まっている。考えてみればこの前のケンカの件についても同じようなことが言える。亜子は今日一日で、笹原誠也という人物を見直していた。もしかしたら結構いいやつなのかもしれない、と。
「あ、もしもし」
亜子がこんなことを考えていると、電話が繋がったようだ。
「その携帯電話の持ち主ですけど……」
誠也が状況を話し始めたのだが、すぐに表情が変わり、
「警察?」
亜子の携帯電話は親切な通行人により、警察に届けられていたようだ。すぐさま交番に向かい、事情の説明と本人確認をすると、返してもらうことができた。その間、何度も電話が鳴っていた。おそらく絵里たちだろう。すぐに連絡を取り、合流すると、開口一番、
「何で連絡してくれなかったの?あたしたちも一緒に探したのに」
いきなりお叱りを受けた。
「それが嫌だったの。皆に迷惑かけたくなかったのよ」
「水臭いって!そんなの迷惑にならないから」
「いいじゃん、もう終わったことなんだから」
「まあ結局見つかったならよかったけど。何にしても連絡くらいしてよ。笹原はケータイ持ってたんでしょ?」
誠也は連絡しようとしていた。しかし、亜子がそれを阻止したのだ。まあ結局亜子の意見を取り入れ、連絡しなかったのだから誠也も同罪だろう。
「悪かった」
ならば謝るしかない。理由はどうあれ、心配かけたのは間違いない。何せ、三人は結局何もせずに待っててくれたのだから。
「もう、しょうがないな。あんたたちのせいで、一時間無駄にしちゃったじゃん。落とし前はつけてもらうからね」
どうやらしばらく帰れそうにない。やはり昼食が終わった時点で帰るべきだったかもしれない。誠也は後悔したが、完全に後の祭りだ。あとは最後まで付き合うしかない。誠也は完全に諦めた。
「今日のことは借りにしておくわ」
少し落ち込み気味の誠也に、亜子が話しかけてきた。
「この借りは絶対返すから」
「別にいい。大したことしてないからな」
結局皆を心配させてしまったのだ。決していいことをしたとは言えないだろう。しかし、
「このケータイが返って来たのは、間違いなくあんたのおかげだから。諦めなくてよかった、って思っているから」
どうやら亜子にとってはいいことと言えるのかもしれない。結果論だが、悪くない仕事ができたのかもしれない。
「そりゃよかったな」
亜子の言葉で、誠也の後悔は少し薄れた。全く素直ではないが、もしかしたら感謝してくれているのかもしれない。亜子らしいと言えば亜子らしい気持ちの伝え方だった。しかし、きちんと礼を言うあたり、しっかりしていると言える。あまり褒められたことではないが、先ほど連絡しなかったのも周りのことを考えてのことだったし、ただのわがまま少女というわけではないようだ。公式でファンクラブを作るような高飛車な女かと思っていたが、どうやら違ったようだ。誠也は今日、亜子の真の部分を垣間見たような気がした。